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「がんばっていれば報われる」わけではない。
見えないところでも努力していれば、必ず評価してもらえる。が、幻想であることを社会人になって、だいぶ経ってから気づいたことをふと思い出した。
サラリーマンには人事評価なるものがあって、大体は「目標(プロセス)」と「結果(実績)」の総合で採点されることが多いかな。
その中で、会社に対しても自身に対しても、おそらく最大限の努力をした(つもり)。が、中途採用されて来る方々の履歴書・経歴書に記する「結果のみ」によって、プロパーを無視するような役職人事される現実に直面し、少なくとも会社に対する努力は止めようと悟った。
世界は公正であると信じていたのだろう。それは勘違い(誤謬:ゴビュウ)
努力したから天才ではなく、努力しなければ天才にもなれない。の意だ。
日本における努力主義にはうんざりするけど、結果に持ち込むためには努力が必要なのは理解できる。ただその努力は報われない(要は結果をもたらさない)こともある。
フリーランスとなった今では「結果」がすべて。
僻んで(ルサンチマンと化して)自己正当化するくらいなら、歪んだ世界自体が現実と受け入れたうえで言動する強さを身に着けよう。
※「何事にも一万時間説」もあるが、これもその対象によって異なることも併せて覚えておきたい。