『ヒルビリー・エレジー』J.D.ヴァンスが語るアメリカ白人労働者階級と2024年大統領選挙への影響
2024年のアメリカ大統領選挙にて、共和党から副大統領候補として選出されたJ・D・ヴァンスによる自伝を読みました。
アメリカ社会で「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」と呼ばれている貧しい白人労働者階級の断面が綴られています。
著者のヴァンスが『ヒルビリー・エレジー』を書いた2016年。その頃は、副大統領候補どころか、まだ上院議員にもなっていないまったくの「無名」でした。
しかし、トランプ現象と相まって大ベストセラーになりました。
ロン・ハワード監督によって、Netflixで映画化もされています。
原作となった本著は、映画以上に過酷なヒルビリーの実態を伝えてくれます。
シングルマザーとなったヴァンスの母親がドラッグ中毒で、頻繁にボーイフレンドを取り替えます。
特にボーイフレンド関連は、あまりにも入れ替わりが激しいので、読んでいて途中から把握するのも止めました。
家庭環境はボロボロです。
街もスラム化しています。犯罪も日常茶飯事です。
ダウナーな雰囲気が街全体を包みこんでいます。
「朱に交われば赤くなる」と言いますが、日本でも「荒れた環境」に子供を放り込むと勉強しなくなるどころか、「勉強しないのがカッコいい」といった歪んだ価値観になったりもします。
ヒルビリーも同じような環境なのかもしれません。
そうした中でも、ヴァンスは、
公立高校→アメリカ海兵隊→オハイオ州立大学→イェール大学
……と着実にステップアップしていきますが、「アメリカ海兵隊」時代に、ヴァンスに「確変」が起きました。
今までのヒルビリーでの生活から隔離され、まったく異なる環境で生きることになったのです。
大前研一は、かつて「人間が変わる方法は3つしかない」と述べました。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらないと解きましたが、ヴァンスは3つすべてを変えたので、人生が劇的に変わったのでしょう。
IT大富豪であるピーター・ティールとも出会い、エリートコースを歩み始め、いつしか共和党の副大統領候補まで上り詰めます。
しかし、「歴代で最も人気がない副大統領候補」とも呼ばれてしまいます。
一般的な知名度と反比例して、数々の失言で批判を浴びたのです。
とはいえ、民主党の副大統領候補ティム・ウォルズと公開討論したときは、卒なくこなしました。
さすが、イェール大学のロースクール出身です。
見事なディベート力です。
しかしトランプ擁護は、無理筋なので、かなり苦しかったことも事実です。
2020年選挙の話題では、ヴァンスは1月6日の国会議事堂襲撃事件についての質問に答えなかったのです。
ヴァンスの本音がどこにあるのかわかりません。
本当にトランプを支持しているのでしょうか。
木澤佐登志が書かれた『ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』では、ヴァンスの師であるピーター・ティールも大きく取り上げられています。
ティールは「自由と民主主義は両立しない」という考え方です。右派というよりもリバタリアンです。
シリコンバレーでは、民主党ではなく、共和党……いやMAGAを信奉する人たちも多いので、ヴァンスはトランプではなく、その先にある反動主義的な考え方を持っているのかもしれません。
保守派シンクタンクが作った「プロジェクト2025」も話題になっておりますし、時代がなんとなくそちらの方に進み始めていることも感じ取れます。
また、『ヒルビリー・エレジー』の中では、アームコとカワサキの合併について触れられています。
合併の際には、
「東條英機自身がオハイオ南西部に工場を開くことにしたかのように受け止められたのだ」
とあります。
合併発表後には、表立った批判も少なくなったようですが、内心はやはり忸怩たるものがあると思います。
現在進行中である、日本製鉄のUSスチール買収計画も滞っています。
ヒルビリー含めたラストベルトの人々は、「忘れ去られた人」とも呼ばれました。しかし大統領選では、スイング・ステートと呼ばれる激戦州にいる人々です。今や彼らが大統領選のキャスティングボートを握り、アメリカの政治において無視できない重要な役割を果たす時代が訪れています。
『ヒルビリー・エレジー』で描かれた彼らの生活は、貧困や社会の疎外といった現実の象徴であり、苦しみや怒りが政治的力へと変わり、国全体の行方を左右する存在となりました。ヴァンスの自伝は、彼らの声を代弁し、同時にアメリカの複雑な政治と社会の断面を浮き彫りにしています。