Iターン10年目の現在/自己紹介込み
はじめまして。柑崎いとと申します。
最初の投稿は、恐らく9割以上の方が自己紹介やこのNoteを始めたきっかけからお話しされるかと思います。
ですが定型的なご挨拶を省略して「私がIターンして得たもの失ったもの」について書かせていただきたく存じます。
これはある意味自己紹介よりも深く自分の人生を振り返りつつ現状を自分の持ちうる最大限の客観視にて分析したものです。
私はIターンを決める時に、「他に同じように悩み選択した人はいないのか」と大学3年生の就活の時期に激しく悩み、相談する相手や聴くべき場所も分からず自分の短い経験則と勘だけを頼りに選択をしてきました。
経緯は違えど生まれ育った土地を離れて生活をしてみたいと願う全ての(きっと多くは若者の)参考になればいいなと考えています。
「私がIターンして得たもの失ったもの」
・故郷から離れた生活
・過去のしがらみやトラウマ的な感情を再燃させない安寧な日々
・人混みや毎日街のどこかで起きる窃盗や引ったくりに怯えない日々
・自分の家で自分が選んだものに囲まれる生活
・店が多すぎて良いものが多すぎて「手に入らない」物の多さにゲンナリする事のない日々
今ではあり得ない事だが、学生時代の私は”持ちうる選択肢全て”の中から選んで後悔したく無い。という”慎重”過ぎる性質が全開で、靴選びに丸2日も繁華街・天神を人混みの中探し回り続けて疲弊しきったという過去を持つ_
少ない店舗から、”都会から厳選されたものが集められた”状態で選べる事は割と快適である。
・親との信頼関係の再構築
・都会暮らしの煌びやかさ
多分オーラがこちらIターン先の住民たちに馴染んできている。身なりへの気遣いだけではなく、関わる人の背景が明らかに都会の人の方がから受ける影響がある。
・親親戚と距離が離れ(友人とも)、良くも悪くも刺激;情報が減った
自分が普段行かない店に行く事が本当に無くなった。旦那もあまり外出や”冒険”をしないタイプの人なので、料理のレパートリーの低下に影響していると思う。
・”新卒切符”を、社員教育がしっかりとある大企業に使えなかった
→身バレの心配をしたくないので現状居住地は伏せて記載するが、県庁所在地の市が人口50万人程度だとその県内でリクルートで新卒採用している企業というのは、私が就職した10年前で5社程度であったと記憶している。その中で現状東証一部に上場しているのは恐らくたった1社であり地元の金融機関である。私の出身県は福岡県だ。それも福岡市だ。どうしてその利点を使わないのか未だに疑問に思われる事が多い。ただその事よりも、Iターン先の経済状態が、”社員教育”だとか設備投資や今で言えばDX化に使うほどの余裕が無い状態であるという事の方が大変気掛かりであるし、人の職業人生において最も伸び盛りである新卒後の数年という期間に、吸収出来たであろう知識や技量などを日本の代表的な巨大都市の巨大企業(支社や本社)で働く人ほど恐らく蓄えていないのではないか、(Noteもされていて Voicyにもいらっしゃるワーママはるさんのお話しを聞いていても企業の力の差を歴然と感じさせられる事からそう感じる)という点が損失と見ている。
人口150万人の市から、人口12万人の市へ
実に12分の1の人口規模の市へ移住したのは、生まれて18年間で疲れ切った都会生活から逃れ、癒しを求めていた事に他ならなかった。
大袈裟だなぁと思われる方もいらっしゃっるかと思うけれど、私は典型的に良い家庭から逸脱した家庭で、二世代連続でシングルマザーとなってしまった割に小学校から高校まで12年一貫、女子校に通わせていただいた。「捻れ」とはこういう状態なんだろうと体感している。
Iターン10年目。後悔してる?
後悔しているかどうか、というと、そうでもない。ただ、隣の芝生は青く見えるなぁと考えられる状態である。という事である。
#○日続けてみた のハッシュタグ企画にのっとって書くと
故郷から離れて自分の人生を自分の選択と責任によって歩む。という事を#3650日続けてみた
という事である。
自分の選択に後悔はしていないし、現状に多少の不満はあるが、地下鉄もある都市部に戻りたいかと言われたら、そんなことはない。
県指定の鳥が街中で見られて、その他の野鳥も見れて、空気も朝焼けも綺麗で、必要なものは不自由なく揃っている人口12万人市での生活は苦になる事など、(収入を気にしなければ)何一つもない。
福岡市内で新卒就職していたら、もっと安定した企業体制やサポートがあって、物珍しい店に目を輝かせた人たちが沢山集まってそういう人口と経済規模の利益を私ももしかしたら享受していたかもしれない。リタイヤ後の落ち着いた生活というものを20代に初めてしまったような気分にも時々なる。でもそれはそれでいい。今の私は今ここにしかいない。
ネット社会がより加速して地方も都市部の垣根もより低くなってくるという甘めの打算もある。
自分の人生を自分で選択してきた。高校卒業までの18年間は言われるがまま行動して思考停止していることが生存要件だと感じていたし、実際そのようにしていた。
今自分で選び決定し生活していく行為そのものが楽しいのだ。
#3560日、自分で自分の時間と体力の配分を自分の采配で決定してこられたおかげで、随分と私は「生きている!」という感覚を味わうことができている。
一応触れておきたいのだが、衣食住に困らず「生かされていた」時代には、少なからず感謝している。それだけでも、シンママ家庭で私と親が過ごす時間がひどく少なかったとしても、衣食住がきちんと補償され履歴書映えする学歴が残ったことは親の執念と努力とある種の狂気がもたらしてくれた唯一無二の資産だ。
まだIターンして10年だ。18年を超えて”折り返し”地点となるまで、まだ8年ある。
Iターン18年目以降、私の人生のリトライは、また違った局面を迎えるかもしれない。その時長女は13歳、長男10歳。程よく親から精神的に自立してくる時期だ。ちょうど良い。8年後も楽しみだ(笑)
神崎いとは2児の母。
時短勤務のいわゆる、共働きワーママです。
さて、急だがこちら都合で時間となってしまったので、この記事は私がこれから書いていきたい事柄をざくっと書いて自己紹介にしてしまったような雰囲気に仕立てようと思う。
実は、Noteはやりたいと思っていて実は何年も過ぎています。
その間にNoteさんは更に使いやすく拡散しやすいWeb媒体となっていかれました。そんなこんなで、下の息子が3歳・上の子が5歳とまだ手のかかる時期。仕事も子育ても両立しながらも、並行して「えいや」で色んな事をやってみたいと思っています。その一つがこのNoteです。時間を縫ってやっていくので、せっかく読んでくださっている読者様に、100じゃなくとも20でも、読んでよかったと思えるものを残していけたらなと考えています。
読んでくださっている方に向けた言葉は、ですます調。自分の独り言のように思い馳せながら書く所は、言い切り方。
書き方も統一性があまりなく、よみ辛いかもしれませんが初心者の新参者のやる事なのでご容赦頂けたらと思います。
思い立ったがやる時。
やらなければ、投稿しなければ、始められない。
下書き保存しててもしょうがない。
ということで、「えいやっ」
最初の投稿を最後までご覧くださった優しい方。ありがとうございます。もしよければ♡を、次回の投稿も読んであげてもいいよという方はフォローくださると嬉しいです。
それではまた。
神崎いと
Instagram:cocoyu2525
長女の抱えるASDや場面緘黙といった自閉症関連の投稿をメインに、グレーゾーンの子育てをする試行錯誤等を共有しています
Twitter:@cocoyu25
私の興味関心をなんでも。なアカウント。発達障害系のつぶやきは半分以下というポートフォリオとなっています。