柑崎いと(ここゆママ)
選択しなかった方をもし選んでいたら、、、 をよく考えてしまう。 もし私が地元に戻っていたら、 もし私がもう少し親のレールに乗って親の言うように大企業の入社試験を受けていたら、 もし私が額面ではなく手取り年収500万の人と結婚していたら、とか。 自分で道を選んできたはずの大学時代から記憶を遡り出してしまう。 内容は多少違えど、「もし」の無限ループ。 まさに、私も『たられば娘』だなと気がつく 頼んでいたフレッシュネスバーガーの呼び鈴が鳴る 後悔なのか反省なのか分からない空
聴きとめてくれること それだけでいいんです 外で頑張り屋さんな娘が 疲れを溜めて、家に帰ると、「赤ちゃんのふり」じゃなくて、「本当に赤ちゃんになった」かのように振る舞うんです。 それを聞いた先生たちは 驚きのあまり、ほとんどの方が、訝しげな表情をされます。 この親は、何言ってるんだ、この娘さんはちゃんとして出来てない子の手助けだって出来るのに。 って。 その表情や そのあとの言葉にまず「でもね」 が来る事が往々にしてあります。 私は「先生方皆さん、娘はしっかりしてると
とある映画の記憶に残った一言 正確ではないかもしれませんが 「両面性どちらも愛してあげる事は難しいですか」 この問いは 自閉スペクトラム症の娘を育てる私に 静けさをくれた 年長の娘には二面性があって 園の先生方に見せる「頑張り屋さん」の面と 家で両親に見せる「まだ赤ちゃんでいたい私」 その差が、 太陽と月、天と地、北極と赤道直下、くらい違う。 「内と外と、違って普通だ」というあなたの想像の三倍は内と外の様子がかけ離れていると想像してほしい。 朝、激しく登園渋りをし
尾石晴さんのinstagramでシェアされていた書籍『Microsoft Wordを開発した伝説のプログラマーが発見した「やりたいことの見つけ方」がすごい!』という本を読み進めている。 そこで、無意識の中に潜伏していて自己の人生を豊かで有意義だと感じることを”阻んでいるもの”を見つけたので、その一つをシェアしてみたいと思う。 100あるものを100賭けるのか 「100ある種は100蒔きなさい」 と中学校だったか、高校だったかで、権威ある方から教わる機会があった。 私の
過去から学んで踏み台にして、その次へ 前回の記事『「労働の生きる目的化」と発達グレー育児の両立可能性』という記事を書いた後に、簡潔に腹落ちしたことをtwitterに投稿しました。 ハッシュタグにしましたが、そのまま私の屍超えてゆけ、という気持ちでリンク先の記事を書いています。 ただそうやって割と都会(地下鉄も都市高速もある)に生まれたのにそれが辛くて、朝窓開けたら天気が良いとちゃんと雀の鳴き声が聞こえる自然のある小さな地方へ住み着いて、よかった事・得られたものも沢山あり
負荷度の調整の為の思考分解プロセス 小難しいタイトルですが、単純な話で「キャパオーバーをどう評価し、どう対応するか」という話です。結局そこ?ってなるかもしれません。 これは結論やアドバイスのあるような話ではなくて、n-1の体験談をシェアしているだけです。一億人いたら私に似たような状況の方は1人か2人くらい居るんじゃないかな、戦友と思って下さる方がいるかな、という気持ちで自分の状況俯瞰・分解プロセスをシェアしてみようと思います。 私は割と抽象的に考える癖があって、具体的に
いつも何かを探している気がする 幸せとか成長とか、学びとか、良い交流とか、。そういうぼんやりとしていて、掴みどころのないものを求めて動いているような気がする。 どうして私はここにいるんだろう。 何かがココにある気がするんだ。 でもその”何か”がまだ掴めないんだ。 っていう状態も少なくない。 ただ 私はこれまで自分の感性を研ぎ澄ませてアンテナを張り、その時の自分が将来にわたる影響までも最大限考慮して、最良だと思えることを選択してきた。 自分の通う学校を大学進学時に
はじめまして。柑崎いとと申します。 最初の投稿は、恐らく9割以上の方が自己紹介やこのNoteを始めたきっかけからお話しされるかと思います。 ですが定型的なご挨拶を省略して「私がIターンして得たもの失ったもの」について書かせていただきたく存じます。 これはある意味自己紹介よりも深く自分の人生を振り返りつつ現状を自分の持ちうる最大限の客観視にて分析したものです。 私はIターンを決める時に、「他に同じように悩み選択した人はいないのか」と大学3年生の就活の時期に激しく悩み、相