【7月の日記⑦】捻くれ者の推し論
「推し」「推し活」「推しは推せるときに推せ」
いつの間にか私達の日常に溶け込み、いまや世代を超えて、皆が使い始めた言葉、それが「推し(おし)」。実は、私「推し」という言葉が苦手です。自らすすんでは使わない。人との会話の中で出てきたら相手に合わせて使うことは、まぁまぁあるけど、自分の口からはなるべくなら言いたくない。
というわけで、「推す」でググってみました。すると「前や表立った所に出るように力を加える」と出た。次に出てきたのが「人や物を、価値がある、適当だとして、用いるようにすすめる」。つまり「推し」は後者の意味合いで使われていることになります。
そもそも「推し」って、アイドルのオタク用語だったそうです。今はアイドルのみならず、俳優、タレント、芸人、ミュージシャン、アスリート等でも使われていますよね。
ぜ~んぜん、知らなかった。
ただ、私の好きなバンドやシンガーは、「推し」という言葉が誕生する前から好きな存在だったので、いきなり「推し」と呼ぶのは、なんか違う気がするし、「推し活」の概念も良くわかりません。過去に私がやってきたこと(ライブの地方遠征や、ライブレポートを書くこと)もきっと「推し活」になるんだろうけど、一応(これでも)プロの音楽ライターを目指していたので「これは推し活ではない!」と言い聞かせていました。でも、振り返ってみれば、そんな意地を張らなくてもね…と思う。まぁ当時は、本当に必死だったんです。
「推し」という言葉を使うこと自体は、悪いことではないです。ただ、私が使いたくないだけ。使い方を間違えると、相手に対して「品位」や「敬意」のない言葉に聞こえてしまう時もあると思うので、ちょっと気を付けないといけないんじゃ…などと疑問に思い始めて、はや数年。
すんごくめんどくさいことを、さっきからツラツラ書いているけど、10代の頃から私は、流行やそれに染まる回りの人達と調和すること自体がとにかく苦手なタイプでした。
捻くれ者、『推し、燃ゆ』も読む。
そこで、芥川賞受賞された宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』も、読んでみました。私は「売れているから読む」というスタンスでもないので(はい出た、めんどくさい)食わず嫌いしていたけど、これが面白くて一気読み。
読み進めていくうちに「あ、わかる」と共感する箇所があったので、抜き出してみます。
10代の頃、自分の存在を感じられない場所で、数年間生活していたことがありました。30代の頭には、大きな喪失を経験しました。そのとき、私が寄りかかることができたもの、自分の居場所になってくれたものが音楽でした。
『推し、燃ゆ』を読み終え、敢えて私が「推し」という言葉を使うのなら、このバンドだなと思いました。それが、2019年11月に解散したNICO Touches the Wallsです。
物語の主人公にとって、推しは自分の「背骨」です。私にとってのNICO Touches the Wallsは、自分を突き動かす「原動力」であり「起爆剤」でした。解散して今年で3年になるけれど、未だに彼らの代わりになるようなバンドには出会えては…いません。
せっかくだから夏の曲を。