沈黙している感情
何かを決めるのが億劫、ということがありますね。
ランチセットのドリンクを決めることすら難しいことがありました。コーヒーを飲んで目をさましたいのか。ハーブティーでリラックスしたいのか。それとも、数十円追加してしぼりたてジュースで元気になりたいのか。
今思えば体力も気力が低下していたので「全部」欲しかっただけのこと。でも、「こんな簡単なことを決めるのに悩んでしまうなんて、私はどこかおかいしいのではないか?」と、余計に苦しんでいました。
「決められない」というのは、感覚的には居心地悪く、不自由な感じです。
私は当時慢性的に「どんより」した感じでした。
心の中に濁った池がある感じ。
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「濁り水」ー
これは当時の私のなかにいつもあった「気持ち」のたとえです。
気持ちは「気」を「持つ」と書きます。
「濁り水」のような「気」をたくさん持っていたんですね、当時の私は。
この「濁り水」のような心の池にも、時には「楽しみ」という透明感のあるキラキラした水がチョロチョロ流れてくることがあります。
お笑い番組を見たり、美味しいものを食べたり、犬とあそんだり。
けれども「濁り水」はとても重量感があって、チョロチョロ流れてくるようなキレイな水では全然きれいにならない。なにかが沈殿している感じ。
この沈殿しているものはなんだろう?
これを動かして流したら、どれだけすっきりするだろう?
休めばいいと言われて、休んでみたけれど
休んでいるだけでは、この「沈殿物」は消えない。
キレイな水が流れてきて、ずいぶんと「うわずみ」はきれいになるけれど
この沈殿しているものは一体なんなのだろう。
どうしたらいいのだろう....
それが
「見逃していた声」「表現できなかった感情たち」だったと知ったのは
それからしばらくたってからのこと。
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やさしいことばが、心にしみるけれども、
吸い込まれるように、その暖かさは消えてゆく。
休むだけでは、変わらない。
毎日ゆううつ。
もしあなたがいま、そんな状態だったら
まだ「見逃していた声」「表現できなかった感情たち」が
たくさんあるのかもしれません。
きっといつかは
そうした声や感情に出会える時がきます。
そのとき、はじめて「沈殿していた感情」たちが流れ始めて
あなたのこころも、ダイナミズムを取り戻しますよ。
今日の一言。
沈黙の感情も、いつかは語り始める。
それが、変化のチャンス。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。