輝きは、「不具合」の顔をして訪れる

この数日、お天気のせいか、気持ちも身体も今ひとつパッとしない。
私は低気圧が近づくと自律神経のバランスが崩れて、めまいがおきがちだ。こういう症状を持っている人はそれなりにいるようで、最近では「気象病」という名前もついているらしい。

つらいくせに、無理をし続ける。

私の場合、雨の数時間前にめまいがひどくなり、雨が降り出すと症状は軽くなる。もちろん「台風」や「爆弾低気圧」の前は、世界がぐるぐる回っているように思えるくらいだ。

かつては、めまいがしても無理に仕事をしたり、予定をこなしていた。
濃いコーヒーやドリンク剤を飲んで乗り切ろうとしたこともある。
が、パッとしないなかで仕事をしても結果につながらないし、周りの人に心配をかけたりで、最終的には自己嫌悪に陥って終わることが多かった。

つらいのに無理に仕事をしていたのは、今よりも若くて体力もあったし回復が早かった、というのもある。要するに「ここでちょっと頑張っておけば、なんとかなる」というやつだ。

が、本当のところは
「仕事に穴をあける人」と思われて、信頼を失うのが怖かったからだった。

自分を休ませなかったものは、心の中にあった恐れ。

休んだら、信頼を失う。
休んだら、遅れをとってしまう。
心のどこかで、そんな恐れのストーリーがいつもぐるぐるしていた。
無意識のうちにこの恐れに突き動かされていたのだった。

この恐れに出会ったとき、私は少しほっとした。
恐れを感じながら、ほっとするというのは妙に聞こえるかもしれないが
自分のやっていることの「理由」がようやくわかった気がしたからだ。

私は当時自営業で、自分の働き方の決定権は100%自分にあった。
にも関わらず、「調子の悪い」自分を働かせていたのである。
自分の行動がなんだかおかしいな、と思っていたのだ。

恐れは心の中に漠然とある「幻」のようなもの。
「休んだら、信頼を失う。」という恐れに向き合うことは、
仕事と、そして人生を考え直すことになった。

「めまい」を、自分の一部として存在を認めてあげる

本当に「休めない」のだろうか?
私は、これから、どんなふうに働きたいのだろう?
私は、これから、どんなふうに人生を送りたいのだろう?

見直しは、自分自身へのそんな問いかけからはじまった。

まあ途中端折るが
今は、めまいがひどいときは優先順位の高いものだけ手をつけて、
あとは体調をみながらペースダウンしている。

めまいを軽減する薬を飲んで、仕事のペースをおとさないという選択肢ももちろんあったが、「めまい」を自分の一部として共存しながら働くことにした。

言い換えれば、「見て見ぬ振りをするのはやめた」ということ。

めまいを受け入れたおかげで、
自分がどんなことに無理をしていたのかもよく見えた。
めまいがひどい時でも、苦にならないものは「好きなこと」で、
(noteを書くとか、クライアントさんのセッションをするとか)
全くやる気がおきないものは嫌いなこと(料理とか掃除とか:笑)、
ということもわかった。

それまでは、自分が何が好きで嫌いかもわからずに、
休みたいという身体の声も無視し、
ただ目の前にあるものをこなして
ひたすら走り続けていたのだなあと今思う。

低気圧が来るとめまいが起きることは昔も今も変わりはない。
が、今は「めまい」がおきても、心穏やかでいられる。
過剰に自分自身を責めることもない。
これは以前の私には考えられないことだ。

まあ、私がここでいいたかったのは、「めまい」のように一見不快なものでも、邪魔扱いせずに迎え入れると面白いことになるよ、ということだ。
受け入れのプロセスは簡単にスムーズにはいかないこともあるけれど、そこでみつかる豊かさは人生を彩る宝石になる。

月並みな表現だけれど、本当に人生に何一つ無駄はない、のだよね。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。。

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