「呱々の人」募集の募集の募集の表現をめぐる座談会
釜ヶ崎芸術大学(以下、釜芸)の教授会(2021年4月10日)に、ココルーム・釜芸の人材募集のための表現を募集する募集を行い、制作された募集文を、ココルーム理事たち3人と読み直す座談会をオンラインで開催しました。
進行:上田假奈代(假奈代)、テンギョー・クラ(テンギョー)
コメント:理事 嶋田康平(康平)、社納葉子(社納)、吉田卓央(吉田)
記録:江藤まちこ(まちこ)
假奈代:ようこそ。みなさんお忙しい中お集まりいただき、どうもありがとうございます。ココルームの代表理事・上田假奈代です。
テンギョー:2020年5月末からココルームにレジデンスしてます。
假奈代:今日の場は、二つの流れがあります。一つは昨年の12月から理事の康平くんに叩き台を作ってもらい、ココルームの人材募集を始めたわけです。スタッフが辞めてコロナ禍でよりクリエイティブな人が必要ということで、理事たちが取り組み募集要項をまとめ、SNSではたくさんのシェアもいただいたけど、ほぼ応募がなかった。もう一つは、昨年のコロナ禍で、宿泊業とカフェ業が厳しいなか、経営をなんとか支えるために寄付を呼びかけるしかなく、呼びかけるためには言葉が要るから、”社会的インパクト評価”っていう言葉を誤読しながら、ココルームって何なのか、さまざまな関わりの人たちが言葉にしていく取り組みを進めてきた。「呱々の声をあげる」と名前をつけてやってきて、おかげさまで寄付は集まって、でも苦しい。じゃあ次は、ってなった時に、切実にやっぱり人(スタッフ)が必要となって、「呱々の声から呱々の人へ」になったんです。
でも、実際にはこれらの言葉だけでは足りなくて、人材募集をする表現を募集するアートプロジェクト化して、そのこと自体も公開していこうと考えました。ココルーム流のお人よしの態度なんだけど、自分たちが困っていることは、きっと他の団体さんも困っているだろうから、うちの困りごとが何かの役に立つかもしれない、そんなわけで、募集の募集の募集も公開します。テンギョー:釜芸は毎年春に教授会っていう講座をしているんですね。そこに集まった参加者は”〇〇教授”と名乗り、今年の釜芸どうする?講座をしています。釜芸には、まちこさん達のように”かまぷ~”っていう(正式名称は釜ヶ崎芸術大学アートマネジメントプロフェッショナル)のサポートメンバーがいるんだけど、かまぷ~もなかなか増えない。初年度メンバーがいて、そして去年やっと二人新しく入ったところ。かまぷ~も含め、ココルーム・釜芸に関わってもらう人、担い手の募集を釜芸も求めていたので、教授会でもやってみましょう、っていうことになりました。出来上がった募集の募集の表現を假奈代さんと紹介していくので、それを理事のお三方に、コメントを入れていただいて、その言葉自体がまた広がっていけたらいいなっていうのが今日の狙いなんです。
假奈代:みなさんにまだお伝えできてないこととしては、お正月明けにうちのスタッフ、主に清掃や用務員さん的なことをしてくれてた釜ヶ崎のおじさんが失踪しちゃったんですね。私としてはこの間ずっとココルームの特にスタッフ周りの空気の淀んでいる感じが気になっていたので、彼の失踪をうけて、かまぷ〜や理事達にも入ってもらい、かなり突っ込んで、みんなと何度も話をして、みんなの力で空気が動き出したかなと思っていたんです。そしたら、この4月に戻って来てくれたんです。本人の話を聞いていくと、ここに復職したいと、なったんです。失踪の理由は、(ココルームの働きにくさなどではなく)パチンコ依存症だったと判明しました。スタッフたちと話をした中で、本人をまじえ話し合いを数回おこない、いっしょに働こう、けれど前のよう(若干疑似家族的な雰囲気)にはならない、と全員で本人にお伝えしたんですよね。彼は、覚悟をきめて復職します、ココルームの役にたちたいです、よろしくお願いします、となったけれど、初日に来なかったんです。どうやら釜ヶ崎を出てしまったようです。
その数ヶ月前にも、ココルームをなんとかしたいという思いを持って、2年余りココルームに泊まりつづけた人が、昼夜逆転生活になるんですね。まずはご自分の生活を優先された方が良い、と伝え、いったん距離をとるようお願いしたんです。
ココルームへの思いを語る人が現場にその身をおくと、なんだか調子が崩れるというパターンが散見されています。そのことが引っかかっているのでお伝えしておきます。でも、辞めたスタッフが、ココルームの人手不足の状況を聞いて週に1回ボランティアに来てくれたり、出会い直しもあるので、関係性としてよくある話だと思っています。
テンギョー:全体の流れのところに話を戻して付け加えると、”呱々の声”で集まった声を社会に発することで応答してくれる人っていうのが、おそらくココルームで働いてみてもいいかなとか思ってくれる人、かもしれないっていうこと。そこで露わにされる言葉っていうのは、結局つまりはココルームで働くっていうのは何だろうっていうことを明らかにしていくことにつながるんじゃないかと思っている。ココルームを実験場として、いろんな社会と人の関わり方、その中から働きっていうものが立ち上がってくるようなことをずっと假奈代さんがやってきたと思う。そこに地平がつながっていくようなプロジェクトのような気はしてる。なので、”声から人へ、そして働くということ”が最終的にはつながっていって、ココルームがやろうとしていることへつながっていくプロジェクトではないかと、勝手に思っているんです。
假奈代:ココルームの理事は11人、サッカーチームができますね。自己紹介から。
吉田:吉田貞央です。主にココルームではIT系。普段の仕事がIT系なので、ココルームの苦手なIT系の相談に乗ってます。ココルームと出会ったのが、今から5、6年前。釜ヶ崎に面白そうなゲストハウスがある、というのをインターネットで知って、ふらっと訪れて、假奈代さんと出会ったというのがきっかけです。
康平:嶋田康平です。2010年に、ルワンダ人と一緒に釜ヶ崎を訪ね、ココルームに行ったんですよね。それから年に一回とか二回とかココルームに行くようになって。
5年ぐらい前ですかね、ゲストハウスを始めた時にスタッフがいなくて困っているからと、3ヶ月ぐらいお手伝いしました。泊まり込みでココルームのことしか考えない3ヶ月でしたね。クリエイティブ関係の仕事もしてないですけど、時々假奈代さんとおしゃべりしているという、おしゃべり要員ですかね、今は東京で働いていています。
社納:こんにちは。フリーでライターをしてる社納葉子と申します。2004年頃に、ココルームのフェスティバルゲート時代に取材に行ったのが假奈代さんとの出会いでした。それで違う媒体で2回ほど取材をさせていただいて、なぜかわからないけど、すごく惹かれて、また行きたいなと思って、一人客としていくようになったのがきっかけですね。假奈代さんちの娘さんが産まれた時に、子守りでもないですけど。
假奈代:随分ね、随分助けてもらいました。
社納:そんなことも積み重なっての、今の理事としてお手伝いをさせてもらってます。よろしくお願いします。
まちこ:江藤まちこと申します。かまぷ~を始めて4年目になります。その前に東京にいて、ずっと広告の仕事をしていて、それを辞めてアート関係の勉強も始めたりし、アーツカウンシルの東京の学校へ行って、そこでココルームの話を聞いていたんです。4年前にアーツ前橋の展覧会でココルームの活動のことを観ましたね。大阪に帰ってきて、まずココルームに行こうと、訪ねたのが4年前の教授会だったんです。教授会でアレヨアレヨと見事かまぷ~になりました。
テンギョー:参加者のかまぷ〜でもある、あ~さ~さんからいただいた作品を紹介します。
お父さん、お母さん、ボクを生んでくださってありがとうございます。
おかげさまで、ボクは明日から、ココルームで働きます。
空へぐ~んと伸びる時があるかもしれない。
井戸へドボォ~んと落ちる時があるかもしれない。
そして、今の世の中にない新しい生き方を周りの人達に表現できるかもしれない。
とにかく、ココルームの人達は温かい人ばかりで安心です。
きっと充実した人生を過ごすでしょう。
では、ごきげんよう。
あっ!まだ引き続いて募集中なので、
お父さん、お母さんもぜひ応募してください。
ひろしより
吉田:めちゃくちゃ面白いっすね。
假奈代:お父さんお母さんに宛てている手紙ということで最初びっくりしたけど、最後は、なぜかお父さんお母さんも応募してくださいって、もっとびっくり!
テンギョー:家族ぐるみでですね。ゲストハウスもあるんで、みんなで移り住んで来てもらってもいいんですけど。
康平:僕なんかでもちょっと違うふうに読んだけど。お母さんでもお父さんでも応募できますよ、ってこと。自分のお父さんお母さんじゃない方にも呼びかけているんでは、と。
テンギョー:年齢問わず、みんな応募できますよ、って。
假奈代:ココルームでね、70歳の方も働いてる。10代の人もお手伝いに来てくれる。年齢幅は広いですね。
康平:それに刺さっちゃったのは、”今の世の中にない新しい生き方を周りの人達に表現できるかもしれない。”ってところ
假奈代:”きっと充実した人生を過ごすことでしょう。”っていうのは、占い師のよう。
テンギョー:自分のことなんだけど、ここがいきなり人ごとみたい。
吉田:人柄がすごく出てるなと思いました。”お父さんお母さん、僕を生んでくださって”って、ココルームの人材募集の入りが両親への感謝からっていうのが斬新です。純粋な人なんだろうな。ココルームでは高齢の方が働いてる話があったじゃないですか。いろんな人に門出を開いているんですよっていうメッセージは伝わりますね。一方で、これをきっかけに応募してきた10代20代がいたら気になるな。
康平:新しい生き方をしたい人が来るんじゃない。
社納:”空へぐ~んと伸びる時があるかもしれない”でも一方で、”井戸へドボォ~んと落ちる時があるかもしれない”っていう最初から覚悟を決めてる姿勢が、いいなぁって思いましたね。ドボォ~んと落ちる時って、誰かのせいにしたいじゃないですか、まさか自分が落ちるとは思ってなくって、つい人のせいにししたくなるけれど、自分はね、伸びる時は伸びるんだけど、落ちる時は落ちても釣瓶を、掴んでね、這い上がって来るじゃないかなぁ。
テンギョー:はい。じゃあ、次、読みますね。オーイさんの言葉です。
聴こう!語ろう!唄い、躍ろう
笑い、哭く
生きるとは?
仲間とともに見つけよう。
ココルームで!!
假奈代:オーイさんは、「本間にブックカフェ」の店長を、週に3回してくれてます。お坊さんだったけど、2年前に家出して釜ヶ崎に暮らしてらしゃいます。
康平:新しい生き方ですねー。お坊さんなのに家出をしたって、どういうこと?
假奈代:出家してお坊さんになって、そして家出したってことでしょ。
康平:"出家"したんでしょ、そこからまた出るわけですね。 本当に、新しい生き方を目撃するところですよね、ココルームって。働いていた時も、いっぱい目撃してましたわ。
假奈代:そうなんですよ。ココルームという場所にはそういう人がいっぱい来るから、どんどんどんどん新しい生き方を自分の中に貯めることはできるんだよね。そして、自分はどういう生き方をするのかは自分でみつける。
康平:普通の人が行くとね、人生狂っちゃうから、あんまし行かない方がいい…あ、そんなこと言っちゃいけない。
テンギョー:あ~あ~あ~!康平くん!ニッチなまんまになっちゃう。微妙なとこだな。
康平:カット、カット、カットしといてください。カット。
假奈代:いやいやいや、そこはでも大事かもしれない。
テンギョー:そこはそこで本質なんですけど、とはいえ。
假奈代:じゃあ、変わってる人がいいのか?っていうとそんなことじゃなくって、変わってるとか変わってないとかじゃないのよ。だから、しょうがないじゃない、私は私なんだから、っていうところもあって。変わってるって思われたいから、釜ヶ崎に来るんだったら、それは違うよっていう話ですね。切実さ。
社納:自分が変わってるって思ってる人に限って、変わってなかったり。常識に捉われてたりすることもある。
テンギョー:”仲間とともに見つけよう”っていうのが、一人で考えてなくて、とにかく人の中で、もがいてみぃやみたいなことなのかな、エールかな。どうなんだろう。
吉田:ここの取り方はいろいろあるなぁと思う。”生きるとは”っていうのを”見つけよう””仲間とともに”ってあるから、結局自分で見つけるしかないんだけど、ココルームだったら、いろんな仲間ができるから見つけやすいよっていう話かな。
テンギョー:さっき康平くんが話したことにもつながるよね。いろんな人の生きざまを目撃してしまうのがココルームで、そういう人たちに囲まれながら自分も自分の生き方を見つけていく。一人じゃないよって言っているかもしれない。
吉田:ココルームには、ほんとか嘘かわからないような経歴を持った人がたくさん来るじゃないですか。釜ヶ崎にそういう人、いますよね。僕が一番最初に釜ヶ崎来た時って、釜ヶ崎は日本のインドみたいに思った。
社納:私はいちばん最初に”聴こう”ってあるのが、すごいなぁって。ココルームの本質やなって思うんですよ。
康平:なるほどね。
社納:語ろうじゃないんですよ。これはずっとココルームがやってきたこと。だから、
假奈代:確かにね、そうですね。この”哭く”もね、上に口が二つあって犬の哭くですからね。”人の死を悼み大声で泣く”の哭くですね。
康平:泣くこともね、人と関わる中で、ほんとにあることだからね。
假奈代:オーイさんは、この街で娘さん亡くしてはるの。娘さんとともに生きれなかった時間をご自分の最後はこの街で過ごしたいっていう家出だと聞いてる。だから、聴こうっていう言葉になるのね。
(どこからか歌声が聞こえてくる)
テンギョー:では、和子さんの言葉です。
・生きることをいっしょに楽しみませんか
・西成の森ではらぺこあおむしとめだかを一緒に育てようヨ!
テンギョー:西成の飼育係みたい。
康平:幅がすごい。1作目から3作目までの表現の幅が広い。はらぺこあおむしですからね。
假奈代:いろんな生きものがいるっていうことは間違いない。
康平:この方には、悲しみも感じますね。楽しいことばかりではなかったのかもしれないなと、少し。
テンギョー:”一緒に”って、二度あって、そこに一緒にやろうよっていう思いが伝わってくる。
吉田:レイアウトが可愛い。半円の虹のよう。
テンギョー:ココルームも時々可愛い瞬間あるもんね(笑)。
社納:私も康平さんと一緒で、悲しみというか、と同時に、”西成の森ではらぺこあおむしとめだかを一緒に育てようヨ!”と、ちょっと距離があるように感じるんです。ふっと違う世界に連れて行かれるような。生きることを楽しむって、難しいことじゃないですか。童話の世界のような西成の森に結び付けはったところが、生々しさに距離を置いて見られる世界を感じましたね。
假奈代:森の部分がココルームなのかなって思った。森には多様な生きものがいる。未知なものと出逢っていくことを一緒にやって行きましょうって、誘ってくれている文章なんですね。
假奈代:では次。しょうゆさんは二つ描いてくれてますね。
・バナナの葉っぱ おおきいなあ‥‥ なんだかわからない気持ちになるとき 知らない自分と出会う 釜ヶ崎芸術大学
・こっこっこっこ こけっこー あたしは釜芸のたまごうり Yeah!
たまごはおいしいよ ゆでても やいても もちろん生でも あなたの味つけ次第です おいしいごちそう一緒につくって一緒に食べよう! 釜ヶ崎芸術大学
テンギョー:かまぷ~のしょうゆさんが、釜芸が魅力的だよっていうことを伝えてくれました。
吉田:ココルームの魅力の一つに食卓を囲むっていうのがあると思うんです。それを象徴している。
康平:”なんだかわからない気持ちになるとき 知らない自分と出会う”、秀逸ですね。しかもバナナの葉っぱを見てる。で、そうやっている時にこう知らない自分が見えてきたりするじゃない。
假奈代:青い空とね、バナナの葉っぱの瑞々しい緑の大きい葉っぱ。なんとも言い表し難い気持ちで一人佇んでるしょうゆさんが目に見えるわけです。釜ヶ崎なりココルームなり釜芸なりと言う場所で立ち尽くす、しょうゆさんであり、私であり、誰かであると思うわけですね。その時、言葉はないんだよね。
康平:その微妙な瞬間というか時の流れを、とてもよく伝わってくる。
假奈代:なんとも言えない気持ちになる職場だよとかっていうところで働きたい人はいるかな。
社納:ココルームにバナナが生えてますよね。切っても切っても伸びてくる。しかも、西成に釜ヶ崎にバナナ、やっぱりわからない。そして、しょうゆさんの寄る辺なさ。私も釜芸に行くと、自分も知らない自分と出会うっていう体験を何度もしているんですね。ココルームって、バナナ的な存在やなあと思うんですよね。切られても切られても生えてくる。なんのためっていうか、人間にとっては全く意味はないけれど、バナナはちゃんと生えてくる。
康平:雑草みたいな言い方じゃないですか。
社納:しかも、でかい。葉っぱが。わけの分からなさがココルームっぽい。だって私たちこの1年、ココルームってどうやって言葉にしたらいいか探して、探しても探しても誰もぴったりくる言葉がね、出てこないんですよ。
テンギョー:僕は、たまごの方、深読みしたいんですよ。“たまごうり”っていうのは自分のことを言っていると思っているんです。”たまごはおいしいよ ゆでても やいても もちろん生でも あなたの味つけ次第です”って。僕らはたまごには黄身と白身が入っているって無条件に信じてるじゃないですか。でも本当は割ってみないとどんな黄身か白身か分かんない。割ってみないとわかんないよ、あなた次第だよーというのは、釜芸、そしてココルームの行ってみないと分かんない、やってみないとわかんない面白み、難しさを表してると思いました。
假奈代:次はテンギョーさん。
テンギョー:YESとNOに分かれてるチャートみたいにしてやってみました。質問に答えてYESならこっち、NOならこっちっていうふうに分かれてる感じです。
“今、自分のやりたいことがある?”→”NO”→”ココルームで働きながら探そう!"→”YES”→”その実現方法を知っている?”→”NO”→”ココルームで働きながら見つけよう!”→”YES”→”そのための準備をはじめている?”→”NO”→”ココルームで働くことが準備になるかも!”→”YES”→”3年後の自分がやりたいことを実現しているイメージが思い浮かぶ?”→”NO”→”とりあえず3年間ココルームでイメトレしながらその時その時のやりたいことをやってみよう!”→”YES”→”それはよかった!時々ココルームに遊びに来てね!できたらお手伝いもお願いね!”で、キャッチフレーズが、”待たせたね。ココルーム”。
假奈代:”待たせたね、ココルーム”は、小説とかで出てくるフレーズだよね。
テンギョー:あえて主語を書いてないんです。どっちがどっちを待たせたのかわかんないんですね。
康平:いやあ、いいですよね。 “今、自分のやりたいことがある?”いや、”NO”だから僕はココルームで働きながら探さないといけないなって思いながら聞いてましたよ。これね、多くの人が最初の質問で”NO”の方に行くんじゃないかなって思いますよ。
テンギョー:じゃあもう、ココルームで働きながら探せるよね。
康平:”その実現方法を知っている?”、これもね、”NO”ですよね。
テンギョー:とはいえ、自分次第です。”探そう”って言ってるけど、見つかるとは言ってない。”見つけよう”とは言ってるけど、そこも見つけてあげるとは言ってない。あなた次第ですよっていうのを強調してあるんですけど。
吉田:ポスターでもいいですね。”NO”になると自動的にココルームで働こうになるのを、これを見る人に本当に寄り添うかたちで、流れ汲むとより説得力が増すのかなと思いました。例えば、“今、自分のやりたいことがある?”で”NO”の場合、他の選択肢も示しながら、さらに分岐があって、そこから、ココルームに出会うというような。説得力のある流れだったら、ココルームとのミスマッチも減らせる。
社納:やっぱりこの”待たせたね”の主語がどう読むかによって、その人のスタンスがわかりますね。そこを面接では話してもらいたいな。待たせたのはどっちだとあなたは思いますか?と尋ねてみる。普通の会社だったら、経理を頼みたいとか、営業して欲しいとか、はっきりしてるじゃないですか。でもココルームはそうじゃなくって、全部といえば全部だし、でもその人のやっぱり持ち味っていうものを活かしてって欲しい。12月に出した募集要項を読んで応募する人が少なかったということは、一体自分がどこにはまるのかとか、これはできるけどこれはできないとか、その人なりに全部やるのは無理っていう気持ちがあったのかなっとも思うんです。本当は働いてみる中でだんだんはっきりしてくることだと思うんです。
テンギョー:僕のイメージは、自分は一体どんなことができるんだろうとか、例えば社会の中で力を発揮したり、役に立てるんだろうか、ずっともがいてもがいてとにかくわかんないまま突き進んできた人に対しても、待たせたねってココルームが言えるといいなと思ってる。僕はそうだった。20年間海外をフラフラフラフラして自己完結してたんだけど、突然ココルームと出会ったことで、いきなり社会との接点を持たせてもらえるようになった。ココルームでいろんな企画させてもらってる。ああ、ここにあったか、僕のやれる場所。そういう実感があった。
康平:テンギョーさんに質問なんですけれど、”今、自分のやりたいことはあるんですか?”
テンギョー:まぁ、自分がやりたいことは常にあるよね。
康平:”その実現方法は知ってるんですか?”
テンギョー:知ってるー。あれ?
康平:”準備は始めてるんですか?”
テンギョー:準備もやってる、もうやってます、渦中。
康平:ほーーー。”3年後のイメージは?”
テンギョー:3年後はですね、あんまり生きてるか死んでるかわかんない。ここからあやふやです。
社納:そういうことか、テンギョーさんのことだったのね!
テンギョー:わかんない。そこまで考えてなかった。きっとそういう人がいるだろうと思って作った。
假奈代:となるとね、イメトレに実はね、引っかかったわ。
テンギョー:こっちの3年後の自分に掛かってるわけだよね。イメトレは現実につながっちゃってる。
康平:”ココルームで働きながら探そう"ってあるでしょ。働かない人も結構いるんだよね。ココルームでちょっと遊んでいる感じ。働きながら探すのって実は難しい。
テンギョー:確かに。この働きっていうこと自体も振れ幅あるね。概念というものがよくわからないかたちで生成されてってる感じ。誰かが、それ、いい働き!みたいな感じになるまでは、自分でも本当に働いているのかなってわかんない時もある。とにかく自分でピンと来たことをやらしてもらってたら、まわりから、いい仕事しているよって言ってもらったことがあった。
康平:遊んでいると思ったら、働いてたみたいな。働いてると思ってたら、ああ遊んでんじゃんみたいな。
テンギョー:ココルームあるあるだよね。こうやって言語化していけば、どういう感じでみんなが関わりしろを作ってもらえるかっていうヒントになるかな。
康平:働くと遊ぶの境界は何か、みたいなところにもしかしたら少しヒントがあるのかもしんないですね。ココルームを考える上で。
テンギョー:假奈代さんがやってきたことは、多分マジで覚悟して本気で遊んでいるということだと思うのね。
康平:なるほど。僕は隣にいたらそんなこと言えないけど。
テンギョー:では、次はなぎちゃん。
・週イチスタッフもアリですヨ!
・\今日からアナタも/アートマネジメントのプロフェショナル!!釜芸アートマネジメントプロフェッショナルチーム・かまぷ~
・裏方も講師で、講師もウラカタ!?釜ヶ崎芸術大学2021はじまります!
・言いたいことは言っちゃう!そんなあなたとあーだこーだと言いあいたい!
・釜ヶ崎芸術大学 世界へのいざない。
・釜ヶ崎芸術大学はスタッフを募集しています。
・西成・釜ヶ崎から世界へ さあみなさんごいっしょに!
・釜ヶ崎発世界行 かまぷ~で旅しましょう
テンギョー:なぎさちゃんは、週一スタッフであり、かまぷ~でもあります。かまぷ~募集に寄せた言葉になってますねー。これは、かまぷ~っていうのと、ココルームスタッフっていうのとは若干違うベクトルが発生するんでしょうか。
假奈代:これは、まちこさんにインタビューを。
まちこ:なぎさちゃんが急にかまぷ~になってるなぁっと思ったんです。
康平:かまぷ~はそんなに排他的なんですか?
まちこ:なぎさちゃんには、敬意を持っています。スタッフとしても、ココルームを愛してますよね。その純粋な思いがあるのを知っている。なのにもっと踏み込んだ何かがあるでしょと思ったりしてました。
康平:なるほど。やっぱり人なんです。表現の裏にある人にたどり着いて、私たちはココルームを語っている。ココルームの言語化っていうのは人の言語化なのではないか、というのが今僕の中で沸き立っている問いかけなのです。
まちこ:すごい、すごい、すごい視点ですね。
康平:なんか全然関係ないところ、かまぷ~の話からこんなことになるとは思わなかったけれど、
テンギョー:でも、真実かも。だからこそ呱々の声は呱々の人なんですね。
社納:私はなぎさちゃんの、逡巡を感じるんですよね。最初2つはね、本当にアルバイト募集中ですね。だけどその下にね、”言いたいことは言っちゃう!そんなあなたとあーだこーだと言いあいたい!”。これは去年からのココルームでの課題なんですよね。言いたいことは言おうよ、正直になろうよっていう、これがね混在している。表面的なところから始めたけれど、突然正直に、なんて全然つながらない。ここになぎさちゃんの葛藤というか、思いみたいなものが垣間見える流れを見るんですね。ここがココルームが抱えてきたところ、いつもここでつまづいてしまうところ。言いたいことを言えずに流してしまう。でもそのためには、自分も正直に言わないといけないじゃないですか。そのせめぎ合いを感じましたね。
テンギョー:後半からずっと”世界”っていう言葉が出てきます。広がりを表現しているのかな。
假奈代:私はそうだと思う。世界っていうのは、今この目の前だけではないところ。それは知の世界であったり、あるいは違う文化。広がりを指す世界だと思うんだけど。
テンギョー:釜ヶ崎っていうローカルなところから世界へ、グローバルなところへの、振れ幅の大きさみたいなものが魅力でもあると表している。
假奈代:”裏方も講師で、講師もウラカタ!?”学びあうっていう釜芸が釜のおじさん達が先生になったりしているような講座も増えてきましたよね。支援する/されるを混ぜ返していくのがココルームや釜芸。なかなか生々しい言葉で、活動をご存知ない方は最初はびっくりするかもしれないですね。
テンギョー:ココルームは誰がスタッフで誰がお客さんかわからないって時々言われるよね。シームレスな関係、固定されていない在り方、これも一つの表れ方だよね。巻き込まれちゃうこともある。
まちこ:あと”裏方も講師で、講師もウラカタ”っていうの、私も最近報告書書かせてもらってわかった部分があるんです。書かないと理解していなかった。裏方も携わり方の深みなのかな、ていうのを経験しているところです。
假奈代:じゃあ次に、まちこさんの作品をお願いします。
ココルームに来るようになって4年。ときどき釜芸に参加して、ところどころで手伝って、しているけれど、釜芸もココルームも、ああ、こんなところだなとわかったような気になったと思ったら、いや違う、いろんなことが起こる。わかったような気になったら、想像外のことが起こる。
いまだに、なにって言えない。けれども面白い。いつも大笑いしている。世の中のことがわかったら、それはそれで面白いかもしれない。そして楽かもしれない。そしたら、次は?
いろんな人とことに出会いつづける。はじめまして、新しいこと。新しい人。立ち上がる新しいくうき。
蓄積が応用できることもあれば、できないこともあると思う。そういう変貌しつづけるこの現場を楽しむことができる人。わからないことを面白がれる人。いっしょにつくっていきましょう。
康平:核心的。”この現場”って言える人いないですからね。現場ですよ。
假奈代:わからないことに出会うことをね、面白がれる人。私がハッとしたのは、”立ち上がる新しいくうき”。その新しさに出会えるなら、ココルームええとこやんって思いますよね。喜びですよね。
まちこ:でも実は、新しいであって、いいとも悪い、とも書いてない。
康平:そう、悪い空気が来たなって時もあるんです。いつのまにかスタッフがお客さんと喧嘩してたりするんですよね、昨日まで笑顔だったのに。まさしく”立ち上がる新しいくうき”。まわりは処理ができない。
テンギョー:予定不調和ね。飽きないね(笑)。
康平:ただでさえごちゃごちゃしてんのにね。もっとごちゃごちゃするわけですよね。いろんな人が来て。でもそれを、最後は面白がれる人。
假奈代;ねぇ、悪かろうと良かろうと、空気が変わらんかったらね、淀むから(笑)。
テンギョー:”蓄積が応用できることもあれば、できないこともある”って、どういうことな?
まちこ:長いこと広告の仕事をしていて、慣性で流れていく仕事もあるんですよ。何もしなくても湧いて来る仕事。するとその応用だけでできてしまう。でもココルームって新しいことがいっぱい起こるので、応用だけでできるってことは多分ありえない。その場その場で、経験値も活かせるだろうけど、それだけではなくって、その場その場でその状況で考えていく、決めていかないといけないことってあると思うんですよ。そう簡単じゃない。
康平:わかったつもりになるんじゃないよ、っていうまちこさんのメッセージとてもいいと思いますよ。世の中のことがわかったら、それはそれで面白いかもしれない。わかったつもりになっているんじゃないよって思いながらもいるんだろうなっていうのがとてもよくわかって、僕は爽快です。
吉田:共感しますね。個人の体験を丁寧に描写することでココルームの断片が見えてくる。もちろん、捉え方って人によって違う。共感できるっていうのは僕が見えていることを描写してくれてるんですね。
社納:やっぱり正直な言葉というのは読んでいて気持ちがいいなと思ったんですね。本人はね、全然そんなふうに思ってなくっても、やっぱり読む人には伝わるんだなぁって感じました。
まちこさんがおっしゃる、わかった気になっていたらなんかしっぺ返しにあってまたすぐにぶつかるっていう感覚もわかる。まちこさんは広告のお仕事されていて、慣れでできる仕事でもやっぱり経験を積めば積むほど出てきてしまうし、自分の中でそれはできちゃうっていう、できちゃうけどやらないっていう選択をも、していく。そうしないと結局自分に仕事が来なくなるんだなぁっていうのを思っているから。楽な方を取ってしまおうとする自分を自分で壊していかないとフリーランスでやっていくには、1年後3年後5年後にはね、仕事がなくなるんですね。私もやっとこんな歳になってわかるようになってきたんです。自分で壊していくことが生きていく力になる。それをどうしたら共有できるのかっていうと、難しいです。共有できる人はやっぱりそうやって生きてきた人なんですよね。できたものがすごいというよりは、そういう姿勢をずっと続けてきた人。自分で自分を壊していくという作業ができる人。この前ソケリッサのアオキさんと假奈代さんの対談のお仕事を手伝わせてもらった時、それを感じましたね。だから共感するし、共鳴する。だから二人が一緒に仕事をすると面白いものが生まれる。それは二人とも慣れっていうことをしないから。まちこさんのその言葉と通じる、わからないことを面白がれる人。そして、ココルームは基本的に来る人を否定しない、拒否しない。でも、例えば臭う人が来たら、お風呂に入ってもう一回来てくださいねって伝える、お金がないなら無料のシャワーを紹介するとか具体的に伝えていく。そうやって正直であることと、面白がれる人っていうのが、ココルームのキーワードとしてぼんやり見えてきました。
テンギョー:ちなみに、このメッセージを見た時に、どんな人がこうビビッと来て、ココルーム行ってみようかなぁって思うかな。
假奈代:もう線引っ張ってあるよ。”わからないことを面白がれる人”。
テンギョー:うん、うん。ストイックでありながらも、遊び心も忘れないような人ですかね。
吉田:ココルームに来ないとわからないんだっていう話になってるよ。
まちこ:そうなんですよね。皆さんにいい言葉をいただいたんですけれど、実際わかってないんですね、ココルームのこと。4年経ってますが、全然わかってないんですよ。
康平:大丈夫ですよ。みんなわかってないから。
まちこ:ああ、そうですか。私は転職を繰り返していて、応用効くことなんて全然ないなって思ってます。実際ココルームはわからない。行かないとわからないし、経験しないとわからない。経験してもしてもわからないっていうのを表現したかったんです。
假奈代:私ね”いつも大笑いしている”っていうのが、結構肝でもあるなと思いましたよ。笑ってるだけじゃなくって大笑いなんですよね(笑)。自分の中で誰がなんと言おうと私は面白いんだとか、自分の笑いを信じている人じゃないと笑えないと思っている。結構実は、”わからないことを面白がれる人”っていうのは、自分の幹がわりとしっかりしている人なんじゃないかなって思いました。
康平:”わからないことを面白がれる人”っていうのをね、続けるのは、実は難しいんですよ。
テンギョー:そんなに快適なことじゃないですね。わからないことをそのまま引き受けるのは。
康平:だって言われるんだもん、わからないのー?って、
假奈代:誰に?
康平:いろんな人に、わかんないって。わかんないって言えばいいじゃん、問題ないじゃんって思うけど。普通の社会だったら言われるわけじゃないですか。
假奈代:あ、そうなの?
吉田:そんな言われないよ。そんなに言われない。
康平:え?結構、言われない?ここはやっぱり、普通の社会で生きてる人あんまりいないからかなぁ。
吉田:自分が思ってる普通の社会っていうのは多分普通じゃないんだよ。
テンギョー:普通論になってきた(笑)。これ大事だよね、普通論っていうの。ココルーム普通じゃないっていう人いるけど、真面目な日々しかやってないと思うんだけど。
康平:いや、そうなんですよ。
まちこ:私は、あ~さ~さんやしょうゆさん、テンギョーさんの文章、嫉妬したんですけどね。
みんな遊んでるなあって。
假奈代:そうやって表現で遊ぶってことはもちろん大事。そういう見せ場のある場所ではあるんですよね、釜芸、ココルームって。でもあえて、そこを、遊び方ではない、自分の中にあるわからないものを取り出して差し出そうってする態度に対して私は誠実を感じましたよ。ジンと来てましたよ。
テンギョー:げんちゃんの釜芸寄りの文章です。
・やわらかく作ろう 釜ヶ崎芸術大学
・一緒に生きる場所の一つとして 釜芸。
・気がつくとあなたも作っちゃってる もうちょっと作ってみる?
吉田:ご自分の体験なんでしょうね。自分が気がつくと作っちゃってたってことなんでしょうかね。
康平:柔らかく作りたいんですね。
吉田:”生きる”っていう言葉使う人多いですよね。
假奈代:居場所ってありますね。居場所が生きる場所というふうに読み解くなら、ココルームはそういう場所ではあるんですよね。
康平:生きる場所を運営しているってすごいですよね、しかし。
假奈代:ねぇ。大袈裟ですよね。
テンギョー:でも、生きることは表現することってのを、言っちゃってるからね。
假奈代:言っちゃってる。
テンギョー:そしたら表現する場所を担保しているってことは、ココルームは生きる場所ってなってしまうよね。
康平:”もうちょっと作ってみる?”っていうのが素晴らしいですね。ココルームに来て、誰かにそうやって一緒にやってみない?作ってみない?って恥ずかしがりながら言ってる姿が想像できますね。
社納:この人はこれから出会うというか、まちこさんが出会って来たような世界にこれから出会う人なのかなっていう、つまり初めて今ココルームに出会って、それが新鮮なんだけど、自分がいきなり中の人になったという感じで外に向けて募集するメッセージを書かれたんですね。
吉田:”生きる場所”っていうのが、僕はミスリーディングだなって、思っちゃうんですよね。生きる場所ではないと僕は思ってる。
テンギョー:タカセさんの作品です。この日はじめてココルームに入ってきて、そのまま参加された釜ヶ崎に暮らす人です。
地いき交流の人こいしいさみしい人々の集えるみがるな館で この会を使って知り合う他の人間の考え方や文化の違い そうぞう力の違いで どうゆう人生を学び伝えてゆく しょう来の自りつ力をもたらす為の場所として 人へとつなげて行く交流社会の場 されば海外の人へと輪を広めて行く。
吉田:素晴らしいですね。
康平:館(やかた)に映ってるんですね。
吉田:ココルームの体験談なんだと思うんですよ。初めての人にとって、一番最初の体験のアウトプットがこういうことなんですよね。言葉を盛ったりしている印象はないので、率直な意見かと思うんです。
テンギョー:”自りつ力をもたらす”は、ココルームが常に提唱しているね。
吉田:いい感じに描写されているなって感じはしますけどね。
假奈代:でも、”人こいしいさみしい人々の集える”(笑)…
康平:やかたってねぇ、森や山の奥なんかにある感じが、しますよね。
假奈代:でも、行政の文化会館を話す時、やかたって使うよ。
康平:そういうことなんでしょうね。町内会みたいな感じかな。
テンギョー:なにか一つの思いを持って、共通する思いを持って集っている場所もやかたのイメージにならない?
假奈代:だから”人こいしいさみしい”と(笑)
ご自身がそうだからいらっしゃったんでしょうか。
テンギョー:”されば海外の人へと輪を広めて行く”は、賢治の農民芸術論みたい。
社納:言葉の選び方とか書き方は、その人なりのあらまほしき人生の在り方、道筋はあるんだけれど、なかなか現実は上手くいかない、だけど自分なりの理想を、求める気持ちを持って、例えば假奈代さんのことを知って訪ねて来はったのかな。そういう足取りが表れているような言葉だなっていうふうに思いました。こういう人が来るじゃないですか。全然珍しくない。これがやっぱりココルーム。そして、こういうのを残していかはる。
テンギョー:次に、ワタルくんの行こうか。
・ケチでびんぼうなココルームだけど、ええもん ありまっせ
・間違って入ったら、巻き込まれます。
巻きこみます。巻き込んで下さい。
テンギョー:短くまとめてくれましたね。”巻き込む、巻き込まれます”。巻き込み力強い。
吉田:ワタルくんは4年ほどスタッフとしてココルームで関わっている人ですよね。なんだろう、これは。
康平:わかります。僕もね、書いてって言われたらね、結構いろいろ知ってるからこそ、言葉が出てこない。気持ちとしてはわかりますね。
吉田:でも、なんのことも語ってなくない?なにがわかる?これから?
康平:カットだから。もう、全カットで。
假奈代:ココルームの内部にいる人ほど、言語化できないということが、こんなに露わになるんですね。これが募集の募集の募集であるからこそ言うと、やっぱりこっち側、働く側っていうことの難しさも正直表してはいると思うんだよね。
康平:そうですね。
テンギョー:自分たちではできない。
假奈代:だから、正直に、他者の力を借りる。
テンギョー:次に、慶次郎さんのですね。当日即興で歌ってくれたんです。
(テンギョー、慶次郎さんの作品を演歌調で歌う)
おいで おいで みにおいで
一度でいいからいらっしゃい
きっとイイコトあるよ ココルーム
どうせきたなら オテツダイ
してみりゃもっとイイコトあるよ ココルーム
なんならここで「ハタラク」か
そうきっとアナタはスタッフだ
おいで おいで さあココルーム
康平:目つぶって聞いてましたけど、面白い!これ急に。”アナタはスタッフだ”って急に(笑)。
吉田:いいですよね。ココルームのある動物園前商店街ののBGMは演歌。親和性を感じるし、土地を感じる。日中ココルームの前を通ると聞こえて来たら、面白いですね。
テンギョー:ココルームは、面白いけどちょっとダサいんですよ。全部をスマートにやり切らないところがあって、ちょっと抜けてる感があって、うまいこと拾ってくれたと思います。
假奈代:物語だよね。最初はね、”おいでおいで”と来たことない人に言うてるわけですよ。一度でいいからねと。声かけていく感じは慶次郎さんの好奇心であり優しさ。ココルームっていう場所を信頼をしてくれているから。
康平:”そうさ、きっとアナタはスタッフだ”って最後に言ったじゃないですか。誤読かもしれないけど、慶次郎さんが、お前スタッフだったの?って誰かに思ったんじゃないかなってちらっと思ったんだけど。それから、「ココルームで働いてみるか」って誘ったり、面白いな、「あれ?お前スタッフだったの?」って驚く、そんな瞬間が思い浮かんじゃったんですよね。だから笑っちゃったんです。
テンギョー:いいですねぇ、誤読。
假奈代:ココルームが清掃の人がいなくなっちゃって、慶次郎さんが毎日のようにボランティアでトイレやシャワールームの掃除を手伝いに来てくれてるんです。それはスタッフではないんだけれど、自分の働きとして来てくれていて、それを、生活のリズムとなることや、そのことが自分の気持ちを支えてくれてるって、話してくれるんですよね。もしかしたらココルームのスタッフではないけど、スタッフとはまた違う自分の役割を果たしていることが喜びだということを伝えている言葉なのかなというふうにも捉えたんですよね。”なんなら”っていうのが面白いですよね(笑)。
テンギョー:”なんならここで「ハタラク」か”と。
假奈代:なんか釜っぽいよね。
テンギョー:このハタラクには、カギカッコがついてるんですよね。ハタラクもオテツダイもカタカナになってる。
假奈代:これは募集の募集の募集を意識して書いてくれたのかな。
康平:みんなおんなじ空間で、じゃあ募集文作りましょうって、作って、歌い始めたの? 假奈代:そう。
彼は歌ったですね、これを。
康平:立ち上がるねぇ、くうきが。敵いませんね、本当に。
テンギョー:ある意味、釜のおっちゃんが持ってる力みたいなものかも。
假奈代:いろんな経験をして来て、かっこつけてもええこと言ってもしょうがないことをよくわかってる。楽しむ。
テンギョー:いろんなものを引きずって来た重みを知った上で得た、軽やかさみたいなのがある。周りにいたみんなも乗れたっていう感じがあるのかな。
社納:伊藤さんを知ってるから、ビジュアルが出てくるんです。伊藤さんが肩組みをして、どうやお前もここで働くか?って言ってくれてる。ややこしいことも含めたココルームに対する全肯定っていうか愛情をね、すごく感じます。
假奈代:伊藤さん、ココルームでいろんなことが起こることを、本当にここは面白いって言ってるのよね。面白がってて、そして、それが若い人にとって、ここにいることがどれだけ経験になり、勉強になるかって捉えてらっしゃるんですよね。
社納:この「イイコト」っていうのも、徳とかじゃなくてね、そういうことも含めたイイコトですよね。ややこしいことも含めた。
假奈代:しんどいこともあるけど、そういうこともいいことなんだというね。
テンギョー:それは彼がそういうふうに見えるから。ちゃんとそういうふうに見てるから。
康平:これは、こちらも表現したくなるような、作品ですね。
目的に適ってんのかわからないけど(笑)。こちらも表現したくなるようなって、わかんないけど(笑)。率直な感想です。
假奈代:でも、ココルームっていう場所で働くならば、自分も表現すること、実はとても重要だったりもするからね。
テンギョー:そうなんだよね。呱々の声をあげる。
テンギョー:じゃあ、締めに代表理事です。
假奈代:わたし?全然良くないんだもん。でも読まないとね。
・運命を変えるであいがある。
・おもしろさは自分で決める。
・行ったことのない道は未知だ。
・自由だから、日々、自分が試される。
・ふりかえれば、自分の足で歩いてきた道がみえる。
吉田:”運命を変えるであいがある。”っていうキャッチコピーでしょうね。
假奈代:これは自分のコピーのパクリ。美容業界の広告作ってる時に”運命を変える前髪がある”っていうコピーを書いたことがある(笑)。
吉田:マッチングアプリも運命を変える出会いがあるじゃないですか。
康平:伝えたいのは、”おもしろさは自分で決める。”っていうところなんじゃないかなっていう気がするけどね。
假奈代:実は時間は20分ぐらい。みなさん短時間で作ってるんですよ。
康平:総じてスタッフより、スタッフじゃない皆さまの方がすごいね。今回は。
吉田:やっぱり、体験として語ることでわかりやすくなるんだと思ったけどね、俺は。中の人が語れることって、実は多分そんなに多くないんじゃないかな。
康平:では、働くということと、体験している人達、働いている人達と体験している人達のココルームの体験のされ方がだいぶん違うんだなっていうのが、若干見えてきましたね。
テンギョー:假奈代さんのは、これ青春なんすよ。なにかわかんないところに切り込んで行く時の高揚感も、不安感も、それでもやっぱり勇気振り絞って行く、その覚悟が問われているところに、もう向かい風思い切って歩いて行く時の、やるしかないって腹括った時の気持ちよさみたいなものも含めた、青春エールみたいなココルームなの。僕は毎日そうなわけ。朝よっしゃ行ったんぞって、風切ってココルームに向かう。だって、ココルームは本当に何があるかわかんないけど、自分がビビらなければ、すごいもん掴めるかもしんないっていうワクワクがある場所だから、飽きないし、めっちゃ面白い。自分の度胸とか勇気とか試される。自分の弱さとか卑怯なところとか。いつも向き合わざるを得なくなる。でもそこから逃げなかったら、そこは残ってる希望がある。何歳になってもココルームは青春だなっと思ってる。
假奈代:なかなかの青臭さ。
テンギョー:そこはたまらない。やっぱ青臭さ必要だと思う、ココルームで働くっていうことは。
假奈代:その青臭さを青臭さのまま持つのか、中にいるスタッフとして働いた人が言葉を持ち得ない時に、どこに寄っていくかっていうのは、難しいね。自分の青臭さを見るのはね、結構しんどいからね(笑)。
社納:“面白さは自分で決める”って、今日同じようなキーワードが出たと思うんです。一瞬みんなが共感すると思うけど、でもよく考えると、あなた面白いと思ってるけど、私面白くないねんっていうこともあるじゃないですか。
假奈代:往往にしてあるわ(笑)。
社納:さっきのまちこさんの言葉じゃないけど、わかったような気になって、それに乗っかってると、客観的に見たときにね、一人で悦に入って面白がっているのも、違うこともある、もちろん面白さは自分で決めたらいい。そこからしか始まらへんねんけど、それを見て誰が面白いのかっていうことも考えないと本当に面白いものにはならないって思う。そこがね、途中で止まっている人が多いような気がするんです。独りよがりになってしまう。その先を考えられるか考えられないままに終わるのか、境目はどこにあるのかってよく考えるんです。客観的に見るっていうことなんでしょうか。想像力?
まちこ:私は、ココルームを語る時に、面白いって伝えることの危うさってあると思っていて、面白いよとは絶対言わないんですね。
假奈代:私はこれが面白いと思って自分が決めてきたからなんだけど。でも、人の話を聴いて、応答として取り組んだ仕事が多いんですよ。
まちこ:そうなんですよね。
康平:面白いですね、なんかね。“一緒に“って言う人がいて、一方でね、"自分は自分で決める"とか、"自分次第"とも言う。その二つの要素が入り混じりながら存在している。
テンギョー:そろそろ総括に。
吉田:僕はココルームっていうのをどう伝えたらいいかわからないからこそのアプローチとして、個々人の体験からココルームを明らかにしていくっていうのがいいんじゃないかなというのは思いました。
假奈代:そう、「呱々の声」の取り組みはまさにそれをしようとして、いろんな人がココルームをどう見てるのかを提示することで、そこから出てくる言葉を集め、実際とても面白かったんです。それをじゃあどうしたらいいのかというのが、今思ってるところです。だから声にしてラジオに流してみようとか、ちょっと印刷物にしていろんな人の目に触れることで、何か次へ繋がるといいなと思っています。
康平:最初わけわかんなかったですけどね。皆さんがココルームを表現してくださったのを見ているうちに、皆さん自身も再発見があると思うんですよね。自分のバックグラウンドや日頃の積み重ねからココルームを見ているので、自分ってこういうふうにココルームを切り取っていたんだって感じられたと思います。そういう意味では総合的というか、一方的じゃないっていうのを感じました。もう一つは、それをやってる私たち自身も理事たち3人が捉えるのも僕と全然違っていて、そして循環している気がしたんですよね。影響し合っている。呱々の声といいつつ、チープな言葉ですが、つながりみたいなものが感じられるような時間でした。
吉田:それぞれ、違う部分がたぶんある。良し悪しじゃないもんね。それがいいんだと思う。
康平:だからココルームを通して僕と吉田さんが発見し合うこともある。今日は目的がそこにはなかったけれど、まさしくそれは誤読とか誤配。ココルームの募集のことを考えようと思ったら、僕と皆さんの違いと共通点が明らかになった。
社納:私も刺激されて、自分の中の言葉を引き出されていく感じがしました。自分一人だったらいろんな見方やこんなに言葉は出てこなかったですね。釜芸の合作俳句が好きで参加するんです。そこではできた俳句を必ず褒めるんですね。できるだけたくさん褒める。そのことを思い出しました。でも、つい表面的な言葉に反応しちゃったけど、あれはあれで正直な気持ち。その言葉をいろんな角度から見てみるっていうのは、一人でするのは難しいけど、今日は皆さんが言葉を出してくれたので、私も自然にそれができました。
まちこ:私は、皆さんが本当にそれぞれの見方でそれぞれの言葉で、文章について、その人について語られることに驚きました。ものすごくポジティブだなと思いました。
テンギョー:皆さんにお付き合いいただいて、3時間語り尽くしても、やっぱりまだココルームって何だろうって、掴みきれないっていうことは再認識しました。ココルームの面白さでもあり、怖さでもある。
假奈代:そして、内部の私たちができないってこともかなり明らかになりました。ここをね、飲み込んで、どう呼びかけるのか。あるいは来てもらう方はそれをどう飲み込まれるのかというところを、糸口を持っていたいので、また皆さんと対話を重ねたいと思いました。
テンギョー:本格的に「呱々の人」へのフェーズが始まります。やっぱり目指すところは人材募集。呱々の声に応答して、呱々の人が現れるかどうかの、今勝負どころなのでね、ココルームとして出せる知恵は全部出しますね。
假奈代:ね、お願いします、皆さん。力貸してください。懲りずにこれからもよろしくお願いします。運命を変えるような出会いが、お互いにありますように!
現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています