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ようやく一人になる

永井玲衣

伊藤さんはふらりとやってくる。
そして、ふらりといなくなる。
わたしは伊藤さんを思い出すときはいつも、さりげなく去っていくその背中を目に浮かべる。
からから笑って、細くてきれいな手を振って、ふらりといなくなってしまう。伊藤さんはどこへ行くのだろう。

釜ヶ崎の東側にハルカスがみえる

―わたしも最初会ったとき、厳しい、厳しいの、社会とか誰も信用せえへん顔をしてるわっていうのはもちろんわかったし。
でもほぐれていくところを、伊藤さんは通ってくれたというか、関わってくれたから、こうして付き合いがつづいている。
 
伊藤さんは釜ヶ崎に2016年2月28日に、やってきた。ポケットには167円だった。
假奈代さんが「信用せえへん顔」と言うに足る、多くのことがあった。
釜ヶ崎でもいろんなひとに出会った。
椅子を蹴った。
血も吐いた。
「甘えときや」と声をかけられた。
厳しく張り詰めた空気をいっぱいにまとって、伊藤さんはとにかく混乱していたのかもしれなかった。
出会いが出会いを呼び、伊藤さんはココルームにふらりとやってきた。
ある日のココルームは、釜ヶ崎芸術大学の講座をやっていた。
その日は自由俳句だった。
やったことがないと躊躇する伊藤さんに「ないならやってみ」とうながすひとがいた。

―順番回ってきて詠んだら、それを褒めてもろうたんや。
「むかし神童、いま外道」。
これが、わあっとうけて、気持ちええなこれはって。
それから釜芸ってええなあって思ったんや。
単純なことやで本当に。


釜芸では詩、天文学、哲学、ガムラン、狂言、合唱、さまざまな講座が開催される。
そこにいるひとも、遠くからきたひとも、ごちゃごちゃとひとが集まって、その瞬間だけの、とりかえのきかない表現が生まれる。
生まれてしまう。自分がしたいと思っていなくても、なぜだかふと生まれてしまう言葉がある。
それから伊藤さんは何度も釜芸に参加した。
ココルームにも関わるようになった。
飽き性だと假奈代さんに言われたけれど、毎朝ボランティアで、ゲストルームの掃除も続いている。

釜芸 合作俳句の様子 写真:齋藤陽道

―いろんな詩の書き方があるやんか。
あれを本当に楽しんでる。
ひとの話を聞いて書くっていうのは、やっぱり最初はちょっと演歌調にこだわって演歌の歌詞のように書いとったけども、本当になんつうの、枠はないやん。
自由に発想できて。
そういや歌も歌ったな。
昔は型を大事にする方やったけど、型なんて全然必要なくて。
どこまで心に思ってるかっていうのは大事やろうなと思う。
 
互いの話を聞いて詩を書くという講座に、わたしも参加したことがある。
伊藤さんと一緒だった。
伊藤さんはわたしのぶつぶつした話を、ふんふん聞いて、慣れた手つきで紙いっぱいに詩を書いた。
わたしもまた、伊藤さんの話を聞いて、詩を書いた。
生まれてはじめて書いた詩だった。
伊藤さんの話は何度も語り直される。
假奈代さんと一緒に学校に話に行くこともある。
「わたし横で何回も聞いてるよ」と假奈代さんは笑う。
「なんべんも喋っとるね、これね」と伊藤さんも笑う。
何度も、何度も、言葉は重ねられる。
だが、そのたびにわたしたちは、伊藤さんの言葉に出会いなおす。

釜芸 詩の講座 こころのたねとして 取材しあって詩をつくる

この話もまた、わたしは聞いたことがあった。
あのとき、伊藤さんとわたしは、飛田本通商店街をとぼとぼ歩いていた。わたしは東京に向かう新幹線に乗らなくてはいけなくて、動物園前駅まで伊藤さんがわたしを送ってくれている途中だった。
なぜだろう、わたしはその話を聞いてぼろぼろ涙が出たのだった。
伊藤さんはまた、その話をわたしたちに語りなおす。
 
―俺が一番素直に心を打ち明けられたのは、花巻空港での出来事ですね。
假奈代さんが飛行機で帰る、おれは電車で帰る。
そのときに飛行機まで送るわっつってエスカレーター乗って。
俺が「放浪の旅に出たくなる。もう、どっか行こうかな」って言った。
 
るんびにい美術館でのトークのために向かった岩手から帰るために、二人は歩いていた。
あのときのわたしにしたのと同じように、假奈代さんを空港まで送るところだった。
でも、伊藤さんはふらりとまたどこかへ行こうとした。
去ろうとした。
だが、假奈代さんは振り向いた。
怒っていた。
 
―あんた何言うとんの、あんたには帰るところあんねんで!

大きな声だった。
エスカレーターに乗っている見知らぬひとびとが振り向いた。
ひとり、ふたり、さんにん、振り向いた。
あのときの伊藤さんのおどろきとふるえが、わたしにふたたび伝播する。「ずっと語り継いだろ思ってん」と伊藤さんは笑う。
わたしも笑って、いまそれを書く。
書いている。

「伊藤さんがあの話すると わたしまで 涙腺ゆるむんですよね
いったい どういうことなんでしょうね あれは わたしが言ったのではなく 誰か別の人が わたしの口から言わせたのかしら」
 
言葉が、假奈代さんの身体の中に転がり込んだ。
そして、伊藤さんに向けて飛び出した。
みんなおどろいた。
言葉は生き物のようにわたしの身体の中にも入り込んで、いつまでも居座った。
あの時のわたしも、誰かの代わりに涙を流したのかもしれなかった。

釜ヶ崎のある日 写真:齋藤陽道

だからといって釜芸は、独特な親密さに満ちた空間なわけではない。
他者たちがねっとりと、つねに傍らにいる場所ではない。
コップは自分で洗うし、適度に放っておかれる。
あんなにごちゃごちゃしているのに、ちゃんと一人になれる。
だからこそ、言葉がわたしのがらんどうの身体に入り込んで、ふと表現が生まれるのかもしれない。
 
―やっぱ結局俺は一人が好きなんやろなと思って。
昔からそうやったと思う。だから多分、それが俺一番ええなと。
 
伊藤さんは一人で立っている。
でも、一人でいるためには他者がいなければできない。
伊藤さんは、釜ヶ崎でたくさんの他者に出会い、ようやく一人になれたのかもしれない。
 

オンラインで、3人で話をした 永井玲衣(上)伊藤さん(右下)上田假奈代(左下)


 

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ココルームの日々
現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています