[プロレス映画鑑賞記] 狂猿(ネタバレなしバージョン)
プロレスリングFREEDAMSの今
映画「狂猿」では、私が観に行けていない間の葛西さんを中心に、プロレスリングFREEDAMSの今が切り取られていた。正直コロナでなければ東京でも見に行きたかった。でもそれを思いとどまったのは、結局声出しができないというコロナ後の新ルールがあったからでもある。
やはりFREEDAMSにいって「DEVIL」のイントロが流れて、「か・さ・いー!」コールができないと、なんか消化不良な気分になってしまう。他団体に行っても何となく感じている物足らなさが、FREEDAMSやデスマッチではより顕著に骨身に染みる。
声出しも満足にできない中で、デスマッチファイターたちが見せてきたものに、私はたまらなく愛おしさを感じたし、と同時にたまらない枯渇感をも感じていた。
丁寧に追いかけている
確かに狂猿はとてもよくできたドキュメント映画である。なにより川口潤監督がドキュメントの名のもとに控室までずかずかと入り込まないのもよかった。取材先にも丁寧に根回しして、色んな答えを引き出している。
ドキュメント映画の監督としてはとても優秀な方だと思う。
プロレスファンではなかったという川口監督が、葛西純という題材に魅せられて、そのさまを丁寧に追いかけているのが、非常に素晴らしい作品である。
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見ていて感じた「渇き」
ただ、私は本物のデスマッチというものを知ってしまった人間である。正直、狂猿から受ける何億倍のエネルギーを生のデスマッチ観戦で味わえることを知ってしまっているのだ。
だから、とてものどが渇いている私に、水を差しだしてくれているのだが、その水はスクリーンの中にあって、決してリアルで飲むことはできない。そんなもどかしさが狂猿にはあった。
たぶん普通の映画ファンだったら、「狂猿」は絶賛できる内容だと思うし、映画ファンとしては、この映画と出会えたこと自体に感謝しないといけないのだが、こののどの渇きはついに映画を観終わるまでいやされることはなかった。
「デスマッチ観にいきてえ」
終劇して最初に思ったことは「デスマッチ観にいきてえ」「か・さ・いコールしてえ」というものだった。映画館ではコロナ前だと「応援上映会」とかいうのがあって、声出しOKな上映スタイルもあった。そして「狂猿」はこの声出しにもっとも向いている作品だとも思った。
しかし、いくら換気が徹底している劇場でも、今のこのご時世で声出し上映するのはリスキーすぎる。そもそも地方で声出し上映というには、おそらくやってくれるところはないだろう。
仕方ないので、片道一時間45分かかる帰り道で「DEVIL」を車内で大音量で流しながら、一人で葛西コールをしながら、帰路に就いた。正直これでも「一方通行」でしかなく、もどかしい気分は残ったのだが、だいぶんもやもやはなくなった。
飢えを気づかせてくれた
ただ、自分の中の「狂猿」が完結するためには、やっぱり会場で生のデスマッチに触れて、大声で葛西コールするしか方法がないと思う。そのためには一日も早くコロナが収束してほしいところだが、今まで日常だと思っていたプロレスの風景が当たり前でなくなった今、「狂猿」はプロレスファンとしての私の飢えを気づかせてくれる映画になっていた。
やっぱり非日常を求めて会場に行っているんだから、手拍子だけでおとなしく帰ってくるのってなんか違う。今はそれでも、生でプロレスが見られるありがたみを噛みしめておいかないといけないんだけど・・・
(2021年6月16日鑑賞)