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私的プロレススーパースター烈伝㉒鶴龍コンビ
今回は鶴龍コンビのご紹介です。鶴龍コンビとは、日本のプロレスラーであるジャンボ鶴田さんと天龍源一郎さんのタッグチームの呼称です。鶴田さんの「鶴」と天龍さんの「龍」をとって命名され、1983年から1987年にかけて全日本プロレスで活躍しました。
ちなみに、鶴龍を「かくりゅう」と読むことについて鶴田さんは当初不満があったらしく、TVやプロレス雑誌のインタビューで「俺は鶴田(つるた)だから『つるりゅう』だ」と言っていましたが、語呂の良さから「かくりゅう」が定着しました。
ジャンボ鶴田選手はミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表、天龍源一郎は大相撲の前頭筆頭という経歴を引っさげて、ともに鳴り物入りで全日本プロレスに入団しました。
1981年、再度の海外武者修行から帰国した天龍さんは、ビル・ロビンソンさんと組んでのインター・タッグ戦以降「全日本プロレス第3の男」と言われるまでに急成長を見せます。
そして1983年2月のジャイアント馬場の渡米によるエキサイト・シリーズ欠場を機会に、タッグを組む機会が増えていきます。全日本プロレスも日本テレビも鶴田・天龍のコンビを次期全日本エースチームとして売り出しはじめ、各プロレス紙誌も二人を「鶴龍コンビ」「鶴龍砲」と呼称するようになったのです。
83年末の世界最強タッグ決定リーグ戦においてジャイアント馬場さんが、ドリー・ファンク・ジュニア選手とタッグを結成。それに伴い鶴龍コンビが新しい全日本代表チーム、全日本エースコンビとして最強タッグに出場することになりました。
翌1984年のPWF世界タッグ王座決定リーグ戦でもハンセン&ブロディに優勝を譲りはしたものの、年末の最強タッグではミラクルパワーコンビの反則負けにより初優勝を飾ったのです。
鶴龍コンビといえば、なんといっても1985年に入るとジャパンプロレスの長州力&谷津嘉章組がライバル・チームとして登場し、抗争を繰り広げたことで、その力を大いに発揮しました。
1987年、長州さんが全日本との契約を破棄して新日本に復帰、天龍さんはその穴を埋めるため阿修羅・原さんと組んで「龍原砲」を結成、鶴田さんや輪島大士さんらとの抗争に入ったため、鶴龍コンビは解散し、以降復活することはありませんでした。
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