殺人魚雷改

私的プロレススーパースター烈伝⑮殺人魚雷コンビ(テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス)

今回はかつて全日本プロレスなどで活躍したテリー・ゴディ選手&スティーブ・ウィリアムス選手のタッグチーム「殺人魚雷」のご紹介です。

殺人魚雷という名前の由来はウィリアムス選手のニックネームである殺人医師と、ゴディ選手のニックネームである人間魚雷を合わせたものです。

12月と言えば、全日本プロレス名物の世界最強タッグ決定リーグ戦ですが、90年代初頭は、この殺人魚雷が席巻していました。1990年の世界最強タッグではリーグ戦最終戦で残り1秒でウィリアムス選手がスタン・ハンセン&ダニー・スパイビー組を破って優勝。

さらに翌1991年も優勝し史上初の世界最強タッグ連覇を成し遂げました。このように世界タッグは通算5回獲得、さらにはアメリカマットでもNWA世界タッグ王座とWCW世界タッグ王座を統一するなど最強タッグと呼ぶに相応しい活躍を見せました。

1990年代前半の全日本プロレスマットにおいて、超世代軍、鶴田軍、聖鬼軍などの日本人との対決、また当時の全日本外国人エースだったスタン・ハンセンとの外国人世代闘争による激しい戦いは、ファンから多大な支持を得ました。そのあまりの強さに対しては、ブーイングが非常に多かったのもこのチームの特徴です。

しかし、1993年夏よりゴディ選手が急病により長期欠場、代わりにパートナーのウィリアムス選手が小橋健太選手との三冠挑戦者決定戦をバックドロップ・ホールドの連発により制し挑戦権を獲得。王者・三沢光晴選手には敗れたが、これを境にウィリアムス選手はシングルプレイヤーとしても実績を残していくようになります。

また新たなパートナーとしてジョニー・エース選手とのタッグを結成し、この時点で殺人魚雷は事実上の解散状態になります。その後ゴディ選手は復帰、来日時にウィリアムス選手やエース選手と組んで試合を行うものの、体調面から以前のような活躍は難しく、1994年7月を最後にゴディ選手は全日本に参戦しなくなり、自然解散しました。

殺人魚雷の入場曲はKISSの「I Love It Loud」です。元々はウィリアムス選手の全日本移籍後の入場曲でしたが、その後ゴディ選手も単独で使うようになります。前奏部分をファンが叫んでいる中で2人が駆け足で入場し、リングインの後もロープワークで十字交差するのがおなじみの光景でした。


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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。