わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる・・・・・その⑦・最終回
前回、お話しした夢は、キリとマルからわたしへの贈り物だったのだろうと信じています。
私が参加できなかった講座のテーマは、
『過渡期における儀式』
でした。
わたしは、猫を看取る決心をし、いのちの最期を見届けることで、
大きな儀式を終えたのではないかと感じています。
他人の言う事に従い、自分の本心を汲みとらなかったわたし
人から何を言われるかをおそれ、自分なりの行動をしなかったわたし
そうして自分を狭い枠へと追いやっていたわたし
から、
夢の中で、フェリーで新天地・北海道に渡ったように、
自分で自分の人生に責任をもって
自分で決めて自由になっていくわたし
へと変容するための儀式だったのでは、
と思えるのです。
振り返ると、わたしの閉所恐怖症は、
キリとマルの二人の内なる子どもの困窮が、
不協和音となって現れ、”指揮者”のわたしに
シグナルを送ってきたものではないか、
と感じられます。
今でも、その閉所恐怖症は、傷跡のように残っています。
でも、深いところにあった傷は、
キリとマルが仲良くなって、
二人とわたしも愛情と信頼感で結ばれて、
癒されてきたと感じられるのです。
何度も聞いた、わたしたちの講師のことば
わたしたちは、
結ばれているほど、つながっているほど
自由なんだ。
に、わたしは深く納得していました。
わたしの心は、閉所恐怖症を切って捨てたかった時の状態から、
全体(whole) へと、ほんの少し、近づいてきたとも感じています。
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『身体が「ノー」と言うとき – 抑圧された感情の代価』
という著書の中で、ガボール・マテは、
と述べています。
ここでいう「全体」は、からだの病気の原因ひとつではなく、身体的要素のみならず、心理的要素、社会的要素を考慮し、これらを全体として観ていく必要があるという意味で使われていると思いますが、
そのうちの心理的要素に関しても、やはり、心を全体として観ていくことが求められるのではないかと考えます。
全体になっていく旅
wholeになりながら自由になっていく旅
わたしは、この旅路をこれからも歩き続けていこうと心に決めています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・完
長いことお付き合いくださり、ありがとうございました。
Reiko