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わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる  ・・・・・・・・・・その③

前回の記事では、アリス・ミラーのことば

わたしたちは、子どもの時、親(保護者)から扱われたように、
生涯を通じて、自分自身を扱う。

を引用しました。

実際、わたしは、この内容を如実に生々しく映し出す夢をみたことがあります。

睡眠中に見る夢は、深層心理学では、無意識からのダイレクトで、かつ、純なメッセージとされています。


夢には/では、

意識していない(意識できていない)自分のその時々の心理状態が現れる
目覚めている状態での実生活では、抵抗がありできないことを行動にする
ドラマチックにすることで、本人の心理状態を明確化する

などのはたらきがあります。


その長い夢のあるシーンは、見るに堪えない光景で、わたしは、胸のあたりをドンっとつかれた思いでした。


そこでは、


5歳ぐらいの少女がムチを右手に持ち、横に座る3歳ぐらいの女の子とおもわれる子を、怖い顔をしながら、監視しているのです。
3歳ぐらいの子は、頭から足の先まで、ミイラのように包帯できつく巻かれ、身動きできずに床にペタンと座っています。
唯一、包帯で巻かれていないところから、大きな黒い左目が出ています。
その目は、これ以上の悲しみはないというほど憂いに満ちていて、何かを
強く訴えてくるのです。


この夢は、わたしが扉の向こうの現実(無意識)に自分の意識の光を当て始めてから1年半ほどして出てきたものです。


夢の中に出てくる人物、物、動物などなど全ては、わたしの一部、つまり、
サブパーソナリティとみなします。


ムチを持った子(キリキリしているのでキリと名付けます。)は、両親や周囲の人から指示されたことを深く自分の中に取り込み、それを忠実に守り、包帯で巻かれた子(マルちゃんと名付けました。)を冷徹なまでに厳しく監視し、コントロールしていたのです。

それじゃダメ。何度言ったらわかるの。こうするべきよ。


とビシバシとことばのムチを振りながら。


ミラーのことばが示す通り、わたしは、親から扱われたのと同じように、
自分のことを扱っていたのです。何十年もの間。


マルちゃんの困窮状態、悲しみ、深い傷の痛みは、あの目をみればわかります。マルちゃんをそこから救い出せるのは、わたししかいません。


わたしは、慎重に柔らかい口調で、マルちゃんにたずねます。

どうしたいの?
何が必要?
わたしに何をしてほしいの?


包帯をとってほしい。
のびのびとできて、もっともっと広くて大きいところに行きたい。
助けて、Reiko。ムチで打たれるのはもうこりごりよ。


マルちゃんの返事はわたしの心に迫ってきました。


わたしは、イマジネーションのなかで、マルちゃんの包帯をとりました。
怖かった。。。。


そうっと静かに、ゆっくりと包帯をほどいていくと、ガリガリに痩せた小さな女の子が出てきたのです。

わたしは、悲しくて申し訳なくて、ごめんね、ごめんね、と言い続けました。


わたしの伴歩者・セラピストは、その時、訊ねてきました。

Reiko、2,3年後、マルちゃんはどんな姿をしているかな。想像してみて。


マルちゃんは、今よりもずっとふくよかになって、
花いっぱいの草原を駆け回っていそう・・・。

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わたしの直感は、そんな希望を感じられる画像を送ってきました。

マルちゃんがそのように、のびのびと遊べるためには、わたしが、キリと向き合わなければなりません。

キリがムチを打ち続ける限り、マルちゃんは、自分の本当にしたいことや
気持ちを表わすことができないのですから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く

最後までお読みくださり、ありがとうございます。



Reiko

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