台湾の占い〜夢と現実が交錯する。
2014年頃に初めて台湾へ旅行へ行った。
特に目的もない、ありきたりな行ってみたいというだけでの興味本位での旅行だった。
荒く雑多で生きるエネルギーを感じることが出来るとも思った。
航空便は溜まったマイルで取り、ホテルを直接予約した。
2泊程度の弾丸ツアーだ。
ガイドブックとネットで観光プランや注意などを下調べしていた。
普段することはない、占いに目が止まった。
行天宮の交差点の地下道に出店されている。
実は、四柱推命というものもそれまで詳しくは、知らなかった。
後から、星と数字などによる統計学に近いものだと知った。
いわゆる一通り有名な場所を観光をしつつ、その場所も訪れた。
そこは、屋台のように軒を連ねて占いをしている。
何気なく目に止まった年老いた男の占い師に見て貰うことにした。
日本でも幾度か紹介されたらしく、実際の記事を掲げているお店だ。
日本の有名人も、数多く訪れている。
私が占いを訪れた理由は、ただ折角来たからというくらいのものだ。
この時は、もちろん何も考えていないし、信じてもいなかった。
何か聞きたいことや相談したいことがあった訳でもない。
占って貰って聞いていたが、まぁ当たっているかなと思う程度だった。
しかし続けて、耳を疑うようなことを語り始める。
年齢的には、占いの内容にとても違和感があるものだった。
内容を端的に言えば、「男の子を作りなさい。」というものだった。
20代で授かった子供も二人(男女)いたし、年齢的にもすでに厳しい。
しかし、彼は全く引かず続けて言った。
「その時が来る。状況の全てを受け入れて生まれる子を迎えなさい。」
一緒に行った年上の嫁も、今からは無理だと笑った。
当然、そんな予定はなく、占いなどはそんなものだと月日は流れた。
そして、その旅行も忘れているほど時間が経った2016年の暮れ。
あるプロジェクトで単身赴任していた時に、ある女性と出会う。
しかし当初は、好みでもなく異性として見ることもなかった。
特別な感情は、全く起こらなかった。
それに、浮気したいとか他の女性への興味も無かった。
しかし、仕事で数回、顔を合わせたある日のことだった。
今もはっきりと思い出せる印象的なことが起こる。
その日、彼女を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃が体を走った。
私は、直感した。彼女と、寝ることになると。
それでも、興味は薄く少し距離を保ったスタンスで過ごしていた。
一番大きな理由は、好みだ。悪いわけではないが、ただ好みではなかった。
しかし、強烈な才能を持っているのは、仕事と会話から分かっていた。
そんなある日、彼女から知人とのディナーに同席して欲しいと言われた。
私は、仕事仲間を紹介するというなら他の誰かも誘わないのか。と、聞いた。
すると、他は役不足で安心して紹介できない。と、言う。
そう言われてはと思い、要望に応えるべく同席を引き受けた。
その日遅くまで呑み、それ以降は距離が大幅に縮んだ。
単身赴任していたからだろうか、その頃ちょうど嫁から、
「もう限界だ。」と、SNSアプリでメッセージが届いていた。
激務だったこともあり、連絡を疎かにしていたのは否めない。
不思議なことに、嫁に対してどこか冷めてしまっていた。
だから、「じゃ、終わりにしよう。」とだけ返事を入れた。
そして、実際に離婚することになった。
私から言い出したわけでも無いのに、慰謝料を払う羽目になったが、どうでもよかった。
嫁は、同じ占い師に〇歳で人生が180度変わると言われていた。
実は、離婚した年が、その〇歳だった。
そして後日、成り行きのような状況から彼女との関係が始まった。
ある日、ふと台湾でのことが浮かんだ。
彼女とは、結婚なども考えていなかったし愛を語り合うわけでもないドライな関係だった。
直接的に一言、「俺は、男の子が欲しい。」と、占いで言われた内容からただ話してみた。
すると意外にも彼女は、「いいよ。」とだけ、即答した。
そんなこと世の中に起こるものだろうかと、驚嘆した。
しかも、お互いに入籍は望んでいない。
生まれてきたら子供は俺の籍にに入れればいいと言う。
彼女はまだ30代だった。
その時、はっきりとあの占い師が脳裏に蘇った。
これを読み取っていたというのか。
いずれにしろ、あの占いの通りになりそうだと感じた。
しかし、これ以外のことも、まだまだこの占いは当たり続ける。
それから少し時間がたったある夜、夢を見た。
装飾を纏った象の背中に男の赤ちゃんが乗って行進してくる。
とても明るい笑顔で両手におもちゃのようなものを握っている。
本当に楽しそうに嬉しそうに、象の背中で満面の笑みなのだ。
とても鮮明で、印象深い夢だったので、目が覚めて絵にしておいた。
そして更に不思議なことが起こる。
彼女から、行きたいところがあると言われた。
東大寺四月堂だ。以前にも行ったことはあるそう。
私は、快諾して奈良へ向かった。
そこで、私が目にしたものは、この占いを裏付ける決定的なものだった。
彼女は、千手観音の横の小さな普賢菩薩を前に、静かにお祈りしていた。
私は、普賢菩薩がどのような神様なのか知らなかった。
目にした時の驚きは、いいよと即答されたことと同じくらい衝撃だった。
そこには、装飾を纏った象に神様が乗っている。片手に、法具を持って。
私は、夢の話と絵を見せた。そして、共に暮らし始めた。
決め事もなく、曖昧な始まりだった。
その間、色々なことがあったが、2018年に男の子が生まれた。
私は、性別がわかる前に男の子だと確信していた。
そして、強い生命力を持っていると、疑わなかった。
新人の医者から、新生児の観測器で異常があると言われた。
入院期間を伸ばすとか、精密検査をするとか、ややこしいことを言われた。
しかし私は、この奇跡を疑わなかったから、その必要はない。と返答した。
実際私は、観測器の方が信憑性に欠けることを目撃していた。
ナースが飛んできて呼吸が確認出来ない。と、言っている。
しかし、見ていたから分かるが、すやすや寝ているだけだった。
それを説明したが、先生に先生にというばかり。
新人先生とナースに、向かってはっきりと言った。
「こんなものを信じて仕事をしているようでは任せられない。」
そして、翌日手続きし退院した。
以降、すくすくと成長し何の問題もない。
その子が、生まれた翌月のことだった。
長男とは、何年も前から離れて暮らしていたが、ある連絡が入る。
深夜にバイクで自損事故を起こした。そのまま彼は、他界した。
生まれた子と、自分の誕生日、長男の亡くなった日、この3つの数字には、因果関係がある。
占い師は、このことも見ていたのだろうか。
私は、この長男の出来事を受け止めるだけだったら、自ら死んでいたかもしれない。もしも、離婚もせず、占いに従わず、この男の子が生まれていなければ、どうなっていただろう。
長男の死の現実を受け止められなかっただろう。この苦痛に耐えられなかっただろう。
二つの出来事が、人生に及ぼした影響を随分と考えた。
幾度も幾度も幾度も、悲しみに暮れた。
占い師の言葉を思い出して、まるで運命が決まっているような気分だ。
50分デジャブも経験し運命を考え続けてきた。
そして、運命を考えさせられるような出来事をこれ以外にいくつも体験している。
そして私は、生きることを選択し息子と過ごしていた。
しかし、時代の波と流れは大きく、またしても不本意なことが起こる。
コ□ナ禍となり、彼女との不仲もあり、少し距離を置く生活が始まった。息子は、約束通りに俺の籍に入っているが、以前に話し合ったときとは心情的にお互いが変化している。
俺は、ひどいことを言えば、もともと、好みではないし、それに知りたくはないことを聞かされてしまい、心が完全に離れてしまっていた。
私は、コ□ナをきっかけに、世の中の真実を追い始める。
色々な方の記事や、SNSを読み、本を読んだ。
そして、これまでの考えとは180度変わってしまった。
彼女には、影響のない範囲で事実を通知している。
子育ての考えもお願いのように通知している。
占いの最後だが、2019年までは最悪な運勢。捉え方次第。最悪な運勢は、コ□ナのせいか2021年も続いている。
今までのことを考えれば、悲喜交々で全くその通りである。
そして続いて、とにかく勉強をすること。と、書かれている。
更に、〇歳で人生が180度変わる。とあり、
その後、83歳まで教える人生だ。と、いうことである。
180度考えは変わったが、本当に人生が変わるとは限らない。
2021年からのこれから先、何が待っているのだろうか。
こんな風な人生だったから、私は楽観主義と見えるようにもなった。
重大なことでも、私にしてみればそうでもない。
幾度も試練を乗り越えてきたからだろうか。人生は、重要なことが起こっているようで、実は大したことは起こっていない。仮に誰かが死んで悲しんでも、自分のこだわりの強さが悲しみとなって現れるだけのことなのだ。
誰に何を教えるのだろうか。
正直、学業はそれほど納めていないし、歴史に学ぶほど賢くもない。
ただ、この世情にあって直感していることがある。
この先、日本だけでなく、世界中が恐ろしいほど乱れるだろう。
真実を知り、心情が180度変化し、覚悟を決めたことがある。
もしかしたら、それが教えることに結びついてゆくのだろうか。
人間の生死さえも、宇宙の巡る星の数値に置き換わるほどのこと。
台湾の占いは、四柱推命を基にしている。
幾度かの死線を乗り越えてくると、臨む死線ならば良いがそうでなければ無責任に回避するだろう。
何かの答えが出るのだろうか。
人生は、目的を持ってやってくるというが、今はそれすらも疑問だ。
多分、この世で果たしたかったことは達成したように思っている。
愛する息子たちを抱きしめること。
この世界で一番の愛を捧げる女を見つけること。
まだ何かやり残しているのだろうか。