呼吸をするように
1.noteを始めた理由
エッセイの本題に入る前に、わたしがこの『ナイトソングスミューズ杯』へ参加することになったきっかけをお話させてください。
今から18年前、23歳だったわたしは、広沢タダシさんの音楽に出会いました。持っているのはメジャーデビューアルバム『喜びの歌』。当時小さな水色のラジカセでこのアルバムを聴いていたときの感覚を、いまだに身体が覚えています。
23歳と言えば、わたしの人生の方向性が大きく変わる前、“嵐の前の静けさ”の時期でした。平穏無事が物足りず、もっと刺激的な体験をしたい!と思い、ジェットコースターのような人生を自ら望んで選び、穏やかとは正反対の生き方に足を踏み入れる直前に聴いていたのが『喜びの歌』でした。だけどそれ以降、聴く機会はありませんでした。
時は経ち2020年、わたしは、半年ほど前から、この先の人生を心安らかに生きられるよう、人生をかけたデトックスという形で、家族と自宅で過ごす以外は何もせず、ただ自分と向き合う時間を過ごしていました。そんな7月の最中、突然友人に『Twitterやらないか』と誘われました。その友人とは、10年ほど前にmixiで知り合った仲間で、いつもわたしの日記を楽しみにしてくれていた友でした。
しばらくはSNS全般から遠ざかっていたものの、そろそろリハビリ的に発信してみてもいいかなと思い、友の誘いに乗って、新たなアカウントを作って、7月からTwitterを始めることとなりました。
最初は何を投稿すればいいかわからず、自分を語る言葉も見つからず、なかなか投稿する気になれませんでしたが、なんとなく手探りで、少しずつ少しずつ、日常のささいなことから、発信し始めました。
それでも、なんか違う。なんか物足りない。なんか窮屈だ。どこか当たり障りのない部分を切り取って、ただ何となく発信しているだけ。そこに違和感を感じてしまったわたしは、無理して投稿する必要もないと判断し、Twitterはしばらく傍観することにしました。
そんなある日、いつものように布団の上でゴロゴロしていると、突然何の前触れもなく、ある人の名前が脳裏に浮かびました。それはもう、あまりに唐突に。
その人の名前は『広沢タダシ』さん。彼の音楽はかれこれ15年以上聴く機会なく今日まで来ていたので、突然思い出したことに自分でもびっくりしましたが、気になったのでTwitterを開いて検索することにしました。
そこで、広沢タダシさんの現在の活動を知り、TwitterとInstagramをすぐフォロー。そしていろいろ検索を進めるうちに、このナイトソングスミューズ杯に辿り着いたというわけです。
その時、コレだ!と思いました。
そして、迷うことなくすぐさまnoteを開設し、今に至ります。
18年の時を経て、広沢タダシさんにまたふたたび出逢えた意味がもしあるのだとしたら、わたしの内側が大きく反転した(在るべき場所に戻った)からなんじゃないかなって、なんとなく感じています。
『喜びの歌』を聴いていたときの体感覚だけをいまだに覚えているのが、何よりの証かもしれません。
そしてこの半年間、わたしが辛い時、苦しい時に、いつも寄り添い助け励まし続けてくれた整体の先生がかけてくれた救いの言葉が、この胸によみがえりました。
前置きが長くなりましたが、たくさんの人に助けられ支えられながら、今日までなんとか流れに身を任せてきて、半年前には想像もできなかった【今この瞬間】に辿り着くことができて、とてもうれしいです。
それでは、本題のエッセイです。
2.『呼吸をするように』
わたしは何かを「かく」とき、いつも「書く」ではなく「描く」の方を使う。
文章を「かく」とは、正確には「書く」の方なんだろうけど、どうも違和感があってずっと使ってこなかった。
だからいつも、文章だろうが絵だろうが何かを「かく」ときは、必ず「描く」を使ってきた。
日常で詩や文章を描きはじめるとき、いつもまず先にイメージが映像で降りてくる。
頭の中ですごいスピードでドラマが流れ出したかと思うと、ほぼ同時にそれが言葉となって降りてくる時もあれば、時間をかけて、イメージにピッタリとハマる言葉を探るときもある。
前者はエッセイや小説的なものを描くときに、後者は詩を描くときに、そのような状況になることが多い気がする。あとは、気分や体調によるところも大きい。
描く上で一貫していることと言えば、【本当に伝えたいことは言葉で説明しない】ということ。
投げやりな意味ではなくて、言葉にどれほど共通認識の【意味】というものが存在していたとしても、その連なりとしてカタチになったものは、最終的に受け取り側の感性に委ねられる。
どんな感情になるかは読み手が感じることであって、それを説明してしまうのは、ヤボというか、大きなお世話というか、トンチンカンな感じがする。
それに、強く伝えたいと思うことほど、言葉にすることで、真逆のものを同時に生み出してしまう。その瞬間、自分の中に矛盾が生じたようで、なんだか落ち着かなくなる。白か黒か、どっちかみたいな。だから、言葉にならないグレーを含めた無限の可能性は、行間に漂ってくれていればいいなと思う。
言葉は、絵でいうところの線にあたる。
それは変えようのない事実の部分であり、物語の輪郭の部分。初期設定。
そして、わたしが描く上で本当に伝えたい部分というのは、常に感覚的で、流動的で、気分屋で、掴みどころがない、だけど普遍的なものだ。
それが、絵でいうところの色にあたる。
言葉や線だけでは表現できない、感情や色気、匂いや息づかいみたいな部分。
色に意味はない。ただその個性を感じるだけ。
あたまが空っぽになったとき、響いてくる音色のように、喜怒哀楽、それ以上の、言葉にならないどんな感情にも繋がることができるのが、色であり、行間であり、自分自身だ。
感じるということ。
それが、人間として生きる者のよろこびであり、無限の可能性であり、自由だと思うから。
それなら最初から、本当に伝えたいことは、言葉で説明しないでおこうというのが、いつからか、わたしが描く上でのスタンスになった。
それがまるで、絵を描いているみたいだなと思ったことから、意識的に「描く」を使うようになったのだと思う。
小さな花が香るように
道端の猫が鳴いているように
そよ風が肌を撫でるように
太陽の光が降り注ぐように
寄せては返す波のように
ただ、呼吸をするように
これからも、描(えが)いていこう。
そこらじゅうにある
生命の静寂と躍動に、心 とぎすませて。
ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚