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満たされない穴の正体
寒い。
目が覚めると胸の真ん中が痛い。
じわじわと寂しさに支配されてしまいそうな
そんな痛みだ。
“何が寂しいんだろう?なにが悲しいんだろう?”
静かに身体の声に耳を傾けてみる。
「寒い。冷たい。」
両手でそっと肩を抱いてみる。
あぁ、原因はこれだったのか、とわかる。
“寒かったんだね。冷えちゃったんだね。”
身体から温もりが奪われると
胸の奥のみぞおち辺りが痛むようになっているのだと知る。
わたしは自分の身体のために、暖房をつけ、
白湯を沸かす。
ふーふーと熱を覚まし、口に含んで、ゆっくりと器官に流していく。
じんわりと胸の強張りがほどけ、白いため息が漏れる。
ふぅ。温かい。
それでもまだ、なんとなく心許なくて、次は緑茶を淹れる。
ほんの少しの苦味は、わたしに燃え上がる“火”のエネルギーを与えてくれる。
世の中の多くの人が、コーヒーを好む本質的な理由は、この苦味が与えてくれるエネルギーにあるとわたしは思っている。
こうしてほんのちょっと、必要な感覚刺激をいれてあげると、身体は息を吹き返し始める。
「寂しいよ、悲しいよ。」
そんな胸の痛みは、自分が自分を労ってあげていないことで発っされる、シグナルみたいなものだとわかる。
多くの人は、これを見誤って、誰かのせい、何かのせい、出来事のせいにする。
でも多分、本当はちょっと違うと思う。
満たして欲しい穴は、もともとそんなに大きくはない。
いつまでも放ったらかしにしているから、いつしかその穴は手におえないほどに大きくなってしまう。
やがてその中には日々の出来事が、自分や誰かの感情が、無意識に無選別に次々と流れ込んできて、一緒くたになってゆく。
そこまでいくともう何が入っているのかわからない。恐怖の闇鍋の完成だ。
その頃には、痛みや満たされなさの根本の正体など遙か彼方に追いやられてしまっている。
探しても探しても見つからない、いつしかそんな自分探しに翻弄されて、途方に暮れてしまうのだと思う。
心の平安は、本来少しの温もりがあれば守られる。
温もりは、自分じゃない相手や何かの存在を、ダイレクトに感じさせてくれる。
暖房も白湯も緑茶も、全部誰かの発明のもとに生まれた。
電気を発明してくれた人、
お茶を栽培してくれた人、
茶器を作ってくれた人、
それをここまで送り届けてくれる人やシステム。
そんな人たちの温もりの結晶。
その結晶に触れられている奇跡。
あぁ、生かされてるなぁと思う。
もうすぐ、冬がやってくる。
冬は否が応でも自分と向き合わなければいけない。
内に向かう季節だ。
寒いのが嫌いで、いつも布団から出られなかった理由が、今ならちょっとわかる気がする。
そんな大嫌いだった冬を、寒さを、少しずつ好きになれてきている自分がいる。
もうすぐ、
自分を抱きしめるための季節がやってくる。
寒い、冷たい、寂しい、悲しい。
だけどそのどれもが儚く美しく、
温もりへの道標となってくれる。
それは冬の奇跡。
わたしがわたしであるために
四季の巡りがくれる贈り物。
今年もまた、
新たな冬物語が始まろうとしている。
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