だからあなたに惹かれた
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
2022年もいろいろありましたが、その中でも特に思いうかぶことは、たくさんの【すき】に出逢えたことです。
要らないものを手放して、身軽になるにつれて、【すき】の純度みたいなものが深まって、コレ!っていう光るものに気付くことが出来るようになって、心地よく過ごせる瞬間が増えたような、そんな一年でした。
夏頃には、家の中の家具を総入れ替えするような、片付け、断捨離、模様替えを進めて、それ以前とは比べ物にならないくらい、柔らかい空間に身を置くことが出来たのは、すごく大きな転機になりました。
わたしには、長年の無意識のトラウマの中に『団欒』と言う言葉があり、昨年まで、家にダイニングテーブルを置くという選択肢が全くなく、それまで暮らしてきました。
だけど、生まれて初めてダイニングテーブルなるものを置きたくなり、オーダーメイドで注文したのですが、まるで最初からそこにあったかのような、空間にぴったりのものが届いて、そこから、食事への意識や在り方、空間創造みたいなことへ、自然と意識が向き始めたような気がします。
この3年、リアルで人と会うことはほぼなく、今日まできましたが、そのおかげで、すべてはエネルギーであり、意識の交流に物理的な条件はいらないことを、身に染みて理解する機会を与えられて、ずっと家の中にいてもなんの問題もなく、どこでどうしていても、必要なことは起こるし、それは特別な行動をするとかしないとか、そんなことは関係なく、やらなければいけないこともなく、ただ流れ舞い込んでくるものに導かれているだけなのだということを実感しました。
目標や理想に縛られ過ぎても、苦しいだけだと言うことも、クリスマス前くらいに再確認して、あっちにこっちに揺れながらも、結局今この瞬間の心地よさを選ぶことに誠実でいられれば、波はあっても、それがすべての始まりなのだと思えるようになってきた感じがします。
きっとコレまでの人生、仕事にのめり込み、長年かなり人との密度の濃い時を過ごしてきたからこそ、その反対を体験することで、これまで以上に自分自身を知り、エネルギーへの理解を深める、そんな尊い時間になっていたのだなと思います。
今年からは、ようやく外の世界へ向かう機会が増えてくるような感覚があるので、無理せず、少しずつ、自分の軸を大切にしながら、細胞が惹かれるものの方へ、自然と流れていけたらと思います。
今年の3月には、一昨年の10月にお世話になった東京・代官山のグループ展に絵を出展することが決まっています。
また、来年2024年の2月にも、東京・上野の森美術館で行われる展覧会に出展させていただくことになりました。
上野の森美術館への出展は、何度も声をかけて頂いたにもかかわらず気乗りせず、いただいたメールをスルーし続けてしまったのですが、それでも必要な体験だったのでしょう。三度目に頂いたメールをきっかけに、わたし自身、ある思い込みに気が付き、自分との対話を深めて、出展を決めるに至りました。
その時の担当者の方とのやりとりでは、とても丁寧で心地よく温かいものを感じられ、参加を決められてよかったと、心から感謝の気持ちが溢れました。
そんなどれもこれも、必要な体験、魂が決めてきた人生が展開されているのだな、と感じています。
そうしたやっとの決断で、ほっとしたのも束の間、次は憧れていた、2025年のパリのルーブル美術館敷地内の展覧会に声をかけていただいたのですが、うれしいはずなのに、わたし自身、何か捉われがあるのでしょう。一歩踏み込むことが出来ず。
まだキャパが足りていないのかなと自身の内側を感じつつ、無理せず焦らず、自身のエネルギーを感じながら、動くべきタイミングで動けたらいいなと思っています。
そう言えば、2022年の年始の記事に書いてみたふんわりとした願いみたいなものが、現実に目の前に現れてくれたのは、とても感慨深いです。
話は戻りますが、わたしの【すき】。
この年末は、全細胞で惹きつけられるように出逢った音楽がありました。
Mrs.GREEN APPLEというバンドで、既にとても人気のあるグループなので、ご存知の方も多いと思います。だけどわたしは、それまで聴いたことが一度もなく、大晦日のレコード大賞のステージで初めて観たのですが、歌声、パフォーマンス、世界観、その精妙でパワフルなエネルギーが、画面から溢れ出すように届いてきたと感じた時にはもう、全身の細胞が蠢き、下から上にエネルギーがグワーッと昇ってきて、涙が溢れていました。
そこからは早かったですね。
SNS各種をフォロー、ミュージックビデオやLIVE動画をひたすら見続け、彼(ボーカルの大森元貴くん)の言葉を聴きたくて、昨年7月、2年間の休養期間を経て、新体制で復活した際のインタビュー雑誌を二冊と最新のLIVE Blu-rayを買いました。
それで、なぜこんなにも惹かれるのか、その理由みたいなものの答え合わせをしたような感じです。
そこには、過去に死に物狂いでがんばってエネルギーを出し続けたけど、そんな自分を自分で認めてあげられていなかった苦しさや寂しさだったり、まだ出せていない理想の自分の表現を目の当たりにさせられたような衝撃があって、それらの気付きを、自然と素直に受け入れられている自分がいました。とにかく、彼の言葉に、歌に、エネルギーに触れると、涙が溢れてくるのです。
全細胞で共鳴してしまったんでしょうね。
胸が剥がされるような強烈な痛みも感じたけれど、逃げたくなるような怖さは感じなかった。
爽やかで華やかで温かくてエネルギッシュな歌に惹きつけられながらも、その隙間から漏れ漂う憂いや相反するエネルギーに魅せられ、揺さぶられていました。
そこから、どうしようもなく言語化できない想いが溢れて仕方なくて、彼に映し出して見ているこのエネルギーと“ひとつになりたい”という無意識の想いが、怒涛の行動に現れたのだと思います。
きっと、内側に眠っているわたしの一部を見つけて、居ても立っても居られなかったのだな、と理解しました。
そうこうするうちに、わたし自身も閉ざされていた扉が開いたような感覚で、彼の歌声に触発されるように歌いたくなり、もっと何でも自由にのびのびと表現しよう、と自然に行動に移している自分がいました。
せっかくなので、少し楽曲も紹介させてください🍏
すごく力をもらった曲。細胞を目醒めさせられました。何度聴いても胸が熱くなって涙が出ます。堂々としていて色気のあるパフォーマンスには圧倒されました。
サビがほんとに美しくて、もう、号泣します。癒えてなかった何かが浄化されていったみたいです。
これはソロの曲で、とても温かい曲。死生観を歌われていますが、やっぱり涙が出ます。絵本にもなっているそうで、見つけて注文しました💚絵もめっちゃかわいい☺️届くのが楽しみだ。
歌の内容云々もあるけど、きっと彼を通して生み出されるエネルギーに惹かれた(ご縁があった)のだと感じています。
不思議な流れでした。
でも、この些細な出来事を、ただ、一目惚れしてファンになった、というだけでは済ませられないのが、わたしの個性なのです。
そして確かに、わたしの中には変容が起きたのだから。
【すき】ってすごいなって思いました。
そして【すき】ってわたしにとって、どういう存在なんだろう?って少し思い巡らしてみたんです。
浮かんできた答えは、安心してエネルギーを受け取れる、もしくは明け渡せる、自分の分身みたいなものであり、とても愛しい存在、でした。
そして、その愛しさは、自分自身の内側への眼差しに自然と移り変わり、彼という存在を通して、自分への愛しさにより深く気付かされて、環(ひとつ)に繋がったように感じています。
世の中のもの全てにそう思えることはなかなか難しいかもしれないけれど、だからこそ自分の【すき】に出逢えたとき、同時に人は思いもよらない自分に出逢えて、力をもらうことができる。
そして【すき】は【隙】でもあって、心が開いた隙間から、エネルギー(愛)が溢れるということなのかもしれない。
わたしは、こんな風に【すき】と思えるひとに出逢えて、またひとつ自分の願いに気付くことが出来ました。
そして、その勢いで、歌ってみたくなりました。
今年は、声での発信をしようと思っていたのですが、思いがけずひらめきで歌ってみて、何だか新しい表現が見つかったような感覚で、下手でも出しちゃっていっか、と思えたのは、とてもいい変化だなと思っています。
練習していないので当然なのですが、音程がズレていたり、声量のバランスが取れていなかったりすることがわかりきっているのに、そのまま出すなんて、という、厳しい目がいつもあったのです。
それは文章でも絵でもピアノでも同じだったと思います。でも、そんな厳しく精査しても、自分が楽しくなければ何も始まらないということに気が付き、そういう自分はもう諦めようかなと思えました。
できるだけ、納得のいくものを作りたいし、見てもらいたいと思うものの、そこにこだわりすぎると、永遠に楽しめない事に気が付いたから。
楽しさや心地よさから始まる世界。
そんな目に見えないエネルギーを、今年は、より一層大切にして、創作表現しているわたしそのものを楽しんでいけたらいいな。
今はそんな風に感じています。
と言うわけで、今のわたしの精一杯で歌ってみたもの、よかったら聴いてくださるとうれしいです。
選曲は、もう直感でしかなくて、本当は最初、ほかの曲を歌っていたのですが、安定感はあるけど伝わるものがないなと感じ、歌いやすいとか、季節が合うから、とか、そんな理由で選んでいたものは、淘汰されていきました。
選んだ曲は『ぼくたちの失敗』。森田童子さんの曲です。ほとんど歌ったことはないのですが、印象には深く残っていました。確か父はレコードを持っていた記憶があります。学生の頃、TVドラマで初めてこの曲を聴いたときは、なぜかとても怖かったことを覚えています。
今は怖くはないけど、あの時怖いと感じたものが何だったのかはわかるような気がします。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします✨