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マインドフルネスは与えられる
インドの人たちは「私は悲しい」って時に「私に悲しさがきてとどまっている」と表現するそうです。
コ〇ナにかかっても「コ〇ナになった!」ではなく「コ〇ナがわたしにきて、そしてとどまっている」ですね。つまり、自分の意図でそうしたのではなく与えられたということです。「私が」とか「私は」などとちがってどこか主体性を欠いていて風まかせ、あなたまかせっていう感じがします。これを与格(よかく)って言うんだそうです。
これを聞いたとき、「ああ、マインドフルネスも一緒だな!」って思いました。つまり、マインドフルネスって多くは与格的に偶然与えられるものだからです。
たとえばマインド[レス]にクヨクヨしている時にはっと我に返って「クヨクヨしてた」とマインドフルな気づきを得たとします。これって偶然ですね。クヨクヨしながら、「やばい、このままじゃうつになるかも。そろそろマインドフルになろうか…」なんて意図的にマインドフルネスに入ることはできません。つまりいざという時のマインドフルネスはたいてい偶然に与えられたものなんです。
もちろん、「今からヨガをするぞ」「マインドフルネス瞑想やるぞ」って時は主体的にマインドフルネスになることもできます。ただ、ヨガだとか瞑想だとかを今からやろうって思いついたってことは…これって偶然思いついたんじゃないでしょうか。だとしたら、すべてのマインドフルネスは与えられたものってことになります。
じゃあ、意図的に起こせないなら偶然のチャンス待つしかないのか?そんなことはありません。常日頃、マインドフルネス瞑想でマインドフルに過ごす時間を増やし、マインドフルネスの質を上げておけばいざっていう時にマインドフルネスが与えられる可能性がたかまります。
というわけで、私は今日もまたマインドフルネスを実践するのです。