1970年のMilkの外観全てが、私の原点である。 MILKというファッションブランドがある。パンクロリータという分類になるが唯一無二の存在として原宿に1970年代に登場して以来、ファンを掴んで離さないその魅力的なブランドとその始まりの小さな店舗は当時14歳だった私の心も鷲掴みにした。 元々、一人っ子だった私は一人遊びが得意でその中でも好きだったのは裁縫だった。母が仕事に出かけた頃私は当時好きだったピンクのクマのぬいぐるみを取り出してきては母のミシンと商店街の角にある布屋
「好き」を追求してもなぜか手に入らないのに 諦めた途端、スムーズに進み出すって経験をしたことがある人きっといると思うのですが 私はまさに今、そんな状況なのです。好きって仕事とは必ずイコールではないと思っていて仕事はまた別の自分に出来そうなことをやろうと決めて来たのですが、よく聞かれるんです。 「南さんって何屋さんですか?」 そこで何屋さんか考えて、出てこない場合いつもMysellforはみんなが自分らしく生きてもらえる場を提供するプラットフォームです とだけお答えし
小さい頃から泣いて泣いて毎日泣いて、だけど諦めないのが自慢です。 今日は面談のため来てくれたTomaくんに このコラムへの出演を依頼した。 就職活動で人が焦るなか、自分は別の道に行くのがいいのではないかという想いに駆られて大学を休学し1年間自分探しをする。 そんな中で見つけた「映像クリエイター」という仕事が彼にとって独立したいきっかけとなった。 彼の一家もクリエイターであり、兄ISETANなどでイベントもしていた有名なイラストレーターだ。 そんな兄にはいつも感化
"僕は靴を商売にしたいわけじゃない。ただの手段の1つに過ぎないんです。靴商売は。" 自分の靴作りをただの「手段」と言い切り、 それを仕事ではなく趣味。としか人に言わない。 だが、その趣味は寝る間も惜しんで明け方まで作るくらい本気。 相手を想うゆえ一足一足に込める時間は膨大なものだ。 そんな生き方と「はきごころ」というシンプルネームで第2の心臓である足を表現する靴職人、平松りょうすけという人物に惹かれ 私は西宮北口の小さなカフェの一角で彼を待った。 「ども。」とだ
根路銘ゆりかという人物を某日 私はプロデュースすることになった 初めての人物プロデュース、嬉しいと反面 元々ファンが多い彼女を自分が受け持つことが 本当に正しいのか?という疑問の中で 少しづつこのプロジェクトは歩き出した。 とはいえ、プロデュースをしてもらいたい。 そう聞いた時の迷わず私は紙を取り出して しまっていたのだが。 この言葉を言われることは潜在的にどこかで わかっていたし、また、私も望んでいた。 それも彼女と出会うずっとずっと前から。 彼女がブログを書いて