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2020年11月19日「いつぶり?」

昨日は書いてなかったー!って思ったんだけど、一昨日も書いてなかったみたいです。

ということで、、、いつぶり?

もう日記のていも成してないけど、これも何かのシルシとして。空白というキゴウとして。

今日は休みにした。勝手に。

へっへっ。

気をモミモミするんだもの。

私もよくないんだけど。だけど性格なんだわ。
どうにもコントロールできない時は、余白が足りない時なので、休む。

フリーに働いてる人間の、、、
というか、仕事も私生活も曖昧な私たちの、休むにはいくつか種類がある。

今日は心に栄養をいれて、情動を自由にするお休み。

朝は自家製のヨーグルトに、お友達がくれたスペシャルなメープルシロップ、そしてキウイ、クコの実、かぼちゃの種。

ゆるゆるラジオ体操。

休みにしてまえ!と、決めた私の清々しさ。

少し遠くに行く彼を見送る。
お友達にもよろしく〜。

そして掃除。

(有意義にする)お休みの日は掃除をする。
普段あまりしないところの掃除ね。
お掃除関係の企画を手伝っていたのも、意欲の一役。ありがたいです。

今日は窓のサッシのところ。サッシのところだけ。(笑)

サッシのところだけやるなら全部やらんかい〜
と、思って、それで結局見送るときも多かったのですが、
やっぱりタスクは小さめに、で、いいね!

とりあえず、サッシのところだけは綺麗にした。

我が家の窓、普通よりも背が高かったり、
あと、家具の配置的に、すごく掃除しにくくなっていて、ほんとに、年に何回かやるだけになってしまっている…。

いやぁ、こういうのも、
次引っ越しの時は気をつけよ。
って思っているポイントである。

やっぱり自然光入らない&外にサッと出られないってのは、地味にストレスで、苦手なんだな〜と、思います。

前はね、起きたらそのまま庭で歯磨きしてたんだけど。おじいちゃんみたいに。めちゃくちゃ気持ちいいんだよね。

んで一旦YouTubeですね。
仲里依紗と児嶋一哉とエガちゃんとさまぁ~ず。

ちょっと今回の児嶋さんのはアレでしたねぇ。
わーなんかアレだなーって思ったら、同じ感想の人がコメント欄にも多くて、
同じ気持ちです〜、とも思いつつ、
でもそのコメントさえももう…、みたいなのもありつつ…。

むずいよねぇ、情報発信とかコンテンツつくりってさ。
結果的に意図してないイメージになっちゃったりするもんね。

でも児嶋さんのリスナーは基本的にとても平和な感じだから、児嶋さんやスタッフに対してのクレームにはなってなくて、それはチャンネルのあり方として上手くやっていたという事だから凄い!

それからBGMをヘクトパスカルに替えまして

アロマオイルも焚きまして

昨日整理して、出てきた本を読みます。

いつ買った?!って本がゴロゴロ出てくるんだよなぁ、我が家。
2人で思考が循環することがあるから、どっちが買ったのか分からない本もあるし、おそらく自分で買ってないけど今これ読みたいですって彼の本も混ざっている。
どんな内容だった?って聞くと、あんまり覚えてなかったりもする。私もそうだけども。
覚えてない本、中見出し読んでピンとこない本、は、期待しすぎずにザッと読んで、
こんなもんか〜〜って時間かけずに吸収しちゃう。
(そして然るべきときに売りに出す)

でも本も出会いだから、あの頃の自分とか今の自分とかで感じ方が色々なんだよね。
意外とハマる本もでてくるから厄介である。

そういう意味で、昔は本を手放せない人間だった。
電子書籍の仕組みも腑に落ちてないし。

でも最近はね、捨てざるを得ない。

置き場所無いのにどんどん買ってくるからねぇ。
新刊も、古本も。

家にもタマリバにも、意外と本だらけ。

出かける。

表参道に、久しぶり。

ちょっとお店変わってるのね、流石に。

9月に出来たらしいキラキラのカフェで時間調整。
なんとドアの開閉をスタッフさんがしてくれる。
ちょっとスタッフ人数が多すぎて、そんなお店今どき中々ないからドキドキする。表参道恐るべし。

オーガニックとかサステナブルとかそういう思想のあるお店なのだけれど、昔ほどではないけど、ある程度アンテナを張ってそういう場所に行っていると、何気ないティーバッグのハーブティーもメニューでメーカーがわかってしまうもので。 

さて、それがいいことやら、なんやらかんやら。

美味しいし、良いものだと分かっているし、
昔ならむしろ、こういうものが普及していて素晴らしい!!と、思っていたと思うんだけど。

でも、もう、こんなに社会も成熟してきて、多様化してきて、目にするものはいつも同じメーカーばかりか…という寂しささえ持つようになってしまった。

あぁ、これも素晴らしいけれどね、もっともっと他にもあったりするんですよ…。なんてね。

ただ、やっぱりブランディングとデザインの力はこういうステージでいきてくるんだろうなぁ。

グレード相応の品質。グレード相応の見栄え。
思想からくるストーリーと、それを欲している人との結びつけ。

・・・
日本という国は、スクラップ&ビルド式に、戦争や災害で真っさらになっては技術で急激に発展してきた強さがあるから、デザイン、ブランディング、訴求ってのはしてきてない、必要がなかった。だから根付いてない、と、言われる。

それの一役があって、一億総中流階級という平和で波風の立たない社会から、二極化に流てしまった面もあると思っている。

物が飽和した状況下で、予測が難しい状況下で、どのように訴求するか、より良く見せるか、選んでもらえるか、分からない。

いい物を作れば自ずと売れる、という訳でもない難しさ。
長い年月をかけて作ったものは響かず、ハッと閃きで稲妻のように稼げることもある。

安ければ安い方が良いと、買う方は考えがちだが、売る方と買う方は常に入れ替わる。
安い方が良いよね、と考えている人間が、同時により高く売ることを考えるのは、私にはどうもどこかで分断が生じてるように見える。

それは例えば、企業の中の社員としての自分と、消費者としての自分と、明確に分けられるような状況ならば出来るのかもしれない。
大きな経済の中に取り込まれてしまえば、考えなくても良いことなのかもしれない。

でも、自分で事業をしたり、売り買いをやってきたら、その小さな経済の中では、矛盾すると気がついてしまう。

気がついてしまったら、とたんに、その価値観が共有できない場合、とてつもなく虚しい。

寄付をしたり、新しい経済をつくろうとしたり、個々の取り組みは増えてるし続いているし。確実にそれは誰かの生活を変えている。役にも立ってるだろう。

でも、やってもやっても、社会構造はかえられない。国という単位は元より、広く見れば見るほど難しい。
これは本当に虚しい。

虚しくて、集落に移住する人たちもいる。
小さな経済圏の中で自由に暮らそう、と。
私もそうやって生きていけたらいいなとも、思う。

でも、蠍座の性ですか?
ついつい、大きな大きなものが対象になってしまう。

私がいくら稼ぎ、還元しても、
内閣府にお便りを送っても、
寄付を続けても、
授産品を売ろうとも、
5秒に1人、子どもが飢餓で死んでしまう。

だからって辞めないよ。
辞めないけどさ、これは本当に虚しい。

あとみんな寄付をしろ!とも思わない。
私だって余力がある時しかしてない。
その代わりにずっとお付き合いのある団体の活動は、それこそ体で支えているけども。(笑)

いやぁ、ほんとに日本の貧困は難しさがあるなぁと感じる。いわゆる途上国と同じように、なにかやっぱり複雑なものがあるように思う。

それが、空気なのか、何なのか。。。

めちゃくちゃ書いちゃった。

だからね、たくさんのお金が欲しいなら、たくさんのお金をまず使って、振る舞いも華やかにしなさい!という風水的アドバイスはね、ある意味理にかなっていると思うの。

お金があるところにお金は集まるというのはつまり、循環しているからなんだよね。

四の五の言わずにわたしも、大きなお金を扱える人間を目指してみるというのは、あるかもしれないです。

うーん。どうなんだろうね。

で、、?

表参道!

これから一緒に仕事をするであろう人と待ち合わせて、素材の展示をしてるギャラリーに。

つい一昨日ネットでたまたま記事をみて、たまたま予定変更があって行ける余白が生まれた。

行ってよかったー。

お連れした人にぴったしの場所だった。一緒に行けてよかった。全然そんな場所だなんて知らなくて、スタッフさんが声かけてくれて良かったわ。

あーゆーのやりたいんだよね。うんうん。
でも残念ながら、次の仕事のステージではすぐには無理っぽいんだよなぁ…。

はやく自由に活動できるようになると、良いんだけどなぁ…。

その後は一緒にご飯食べながら、作戦会議。

そう、すぐにあれはできないから、
どうしたらそういう筋書きになるかの会議。私の中では。

でもまずはこの2ヶ月のりきって、そして次の3ヶ月のりきって、、、までのお手伝い。

楽しいことしよう。
楽しいこと考えよう。

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