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娘が学習障害と診断されるまで〜幼稚園編
ママの笑顔は地球を救う!というミッションで活動しているまどかです。
小学校1年生の娘を育てています。
2023年10月に娘は学習障害と診断されました。
娘が学習障害と診断されるまで、どんなエピソードがあったのかを
振り返って、思い出しながら書いてみようと思います。
保育園時代(0歳〜3歳まで)
妊娠、出産
私は、不妊治療の末に40歳で高齢出産をしました。
妊娠中は特に目立ったトラブルもなく、幸せな妊婦ライフを送っていました。
出産は陣痛が長引きましたが、正常分娩でした。
産後の戻りが悪く、娘が泣いているのに、体が痛く、抱っこしてあげるのが辛くて、情けない気持ちでした。
母乳育児だったのだけど、娘が飲むのが下手すぎて、いつもおっぱいが張っていて、おっぱいマッサージに通っていました。
産後に、急激にホルモンが変化したことに、体と心がついていけなくて、娘に虐待をしてしまいそうになることを必死に抑えていました。
これは産後うつかもしれないと思い、婦人科を受診し、ピルを服用することで、ホルモンの乱高下がなくなり、嘘みたいにイライラしなくなって、平和な日が戻りました。
保育園に入園
娘は生後8ヶ月から私が勤務していた職場に併設された保育園に入園しました。
保育園時代は、発達について何かを指摘されるようなことはありませんでした。
保育園の行事、例えば、運動会、お遊戯会などには参加できていて、みんなと一緒に踊ったり、走ったり、歌ったりすることができていました。
私の仕事が終わって、お迎えに行ってから、玄関を出るまでがとても時間がかかったことを覚えています。
遊びを途中でやめることが難しいことと、園にいる先生方全員に、バイバイの挨拶をしてからでないと帰りませんでした。
早く帰りたい私は、いつもイライラしていたと思います。
この頃、仕事が忙しくて、子どもを可愛いと思える心の余裕がありませんでした。
靴を履かずに裸足で過ごす
日常生活で、一番覚えている困りごとといえば、歩けるようになった頃、靴を履くのを嫌がることでした。
近所のショッピングセンターの中でも、家の周りの歩道もずっと裸足でした。
よく「なんで靴を履かせないの?怪我でもしたら危ないでしょう?」と見知らぬ人に言われました。
「履かせてもすぐに脱ぐんですよね〜」と苦笑いするしかありませんでした。
感覚過敏があるのかもしれません。
幼稚園は上靴でしたが、娘はいつも裸足で、外では靴を履くようになりました。
小学校に入学してから、数週間経った頃、やっぱり上靴を脱いで過ごしたようで、先生をびっくりさせたようです。靴を履いていないと、怪我をするかもしれないし、もし、急に避難することになった時に危ないよと声かけしてくれて、それ以降は、今のところ一度も上靴を脱いではいないようです。
保育園時代は、私が仕事が忙しくて、あまり娘のことに関心を向けられていなかったかもしれませんが、思い返しても、発達に何か問題でもあるんだろうか?と思うエピソードはほとんどありませんでした。
靴については、発達というよりは、過敏なのかな?くらいの認識でした。
幼稚園時代(3歳〜6歳まで)
娘が3歳の頃、私がうつ病になってしまい、退職することになりました。
仕事を辞めて、いつ復帰できるかわからなかったため、幼稚園に転園しました。
娘が入園した幼稚園はキリスト教の教えに基づいた教育方針でした。
園長先生をはじめとし、すべての先生たちにどれほど娘とともに私も支えられたか計り知れません。
娘だけ行事に参加できない
幼稚園に入園し、年少さんの運動会の時に、娘はみんなと一緒に踊ったり走ったりすることが出来ずに、私のところへやってきて、ずっと離れませんでした。
当時、娘以外の他の子供たちは、みんな踊ったり走ったりすることが出来ていたので、愕然としたし、とてもショックで泣きました。
この時に、初めて、娘は何か発達の問題があるのだろうか?と疑問が生じました。
娘は片耳が高度難聴なので、先生方の指示が聞こえていないのかもしれないということもあるかもしれないし、どっちなんだろう?とずっと思っていました。
色々な人に相談してみる
幼稚園の先生との面談の時に、運動会の時のことを相談したら、市の教育相談のチラシを渡されました。
発達などで悩みがある人が相談に行く場所です。
早速、アポを取って、相談に行ったのですが、その時の相談員さんは年配の男性で、娘に対して優しい語りかけも何もなく、淡々としていて、私へのアドバイスも、規則正しい生活をしてくださいというものでした。
ここへ行っても、私の中のモヤモヤが解消されることはなく、次に、聾学校へ相談に行きました。
聾学校は両側性難聴の子たちが通うところでしたが、未就学児の聞こえの相談にも乗ってくれるということを知って行ってみました。
ここでは、簡単な聞こえの検査をしてくれて、親身に話を聞いてくださったけれど、まだ、小さいから様子を見ましょう、ということで終わったと思います。
まだ納得がいかない私は、教育の専門家の方に相談しました。
一度、講演会に参加したことがあり、その先生のLINEに登録していて、悩みがあったらいつでもLINEしてくださいとおっしゃっていたことを思い出したのです。
その時の返信は、まだ3歳であれば、母親にくっついて離れないのは普通のことです。というものでした。
ここで、ようやく、成長するのを見守ろう。とりあえず、経過を見るしかないと思えるようになりました。
私が恥ずかしい思いをしたくない
今、振り返ると、娘がなぜみんなと一緒に行事に参加できないのか?ばかりに目がいっていて、娘の気持ちはどうなんだろう?と娘の立場になって考えることは出来ていませんでした。
一人だけ行事に参加できない娘が恥ずかしいと思っていたのだと思います。だから、私が恥ずかしい思いをしたくないから、娘にみんなと同じようになってほしいと思っていたなと思います。
成長につれて少しずつ行事に参加できるようになる
年中さん、年長さんと成長するにつれて、落ち着きはないものの、少しずつ行事に参加できるようになりました。
どうやら、いつもと変わりない園生活は大丈夫なのだけど、行事に向けた準備など、いつもと異なる動きがあると、途端に不安になって、集団を離れ、職員室に逃げ込むということがわかってきました。
幼稚園の先生は、娘に寄り添って、無理矢理に参加させようとはせず、少しずつ慣れるようにサポートしてくださいました。
いつも、娘のことを認めて寄り添ってくれたからこそ、娘は安心して過ごすことが出来ていたのだと思います。
娘のことを恥ずかしいと思う気持ちに向き合う
私も、娘が他の子と違う行動をすることが恥ずかしいという気持ちに向き合いました。
簡単なことではなかったけれど、私の捉え方や認識を変えなければならないと思ったので、諦めませんでした。
少しずつ、少しずつ、娘のことをまるまんま受け入れることができるようになってきました。
妊娠中、障害の有無を調べる検査を受けませんでした。
高齢だったので、勧められたけれども断ったのです。
なぜなら、どんな障害を持っていたとしても、私たち夫婦のもとに降りてきてくれたのだから、絶対に産むし、育てると夫婦で話し合って決めたからです。
このことを思い出して、娘を授かったことが奇跡的なことなんだと自分に言い聞かせていました。
今でも、時々、つらくなった時は、生きているだけで幸せだと思うようにしています。
ひらがなに興味を示さない
年長にもなると、周りのこどもたちが、ひらがなを読んだり、書いたりする子もちらほらいました。
娘は全くひらがなに興味を示しませんでした。
ひらがなを教えようとすると、機嫌が悪くなって嫌がるし
無理矢理、教えたところで、覚えなかったらお互いに疲れるだけだし
小学校に入学してからでいいかなと私も諦めました。
結局、娘は読み書きや音読が苦手な学習障害と診断されたので、文字に興味を示さなかったのも、ひとつの症状だったのだなと、今は振り返ってみて思います。
娘の好きなこと、得意なこと
娘は、時間があれば、ずっと絵を描いています。
ずっと描いているので、絵はどんどん上達しています。
幼稚園の時も、先生たちによく褒められました。
クラスでひとつの大きな作品を作るときは、
積極的にアイディアを出して、先生たちもそれを採用してくれて
それがとても嬉しそうでした。
娘の絵を他の子の絵と比べたことがないので
どのくらい上手なのかよくわからなかったのだけど
娘が好きなことだから、好きなだけやらせてあげようと思いました。
公園に行けば、疲れ知らずでずっと遊んでいました。
私が、疲れやすいので、主に夫に公園に連れて行ってもらっていました。
娘は、成長の過程で人見知りをしたことがありません。
近所の道ゆく人たちにも元気よく挨拶をします。
同じマンションの住人さんの中でも有名な子です。
公園やスーパーなどで、赤ちゃんを見つけると
すぐにそばに行って可愛がります。
泣いていると、あやしたり、遊んであげたり
幼稚園でも年長さんになった時、3歳未満の子のお世話を
よくしてくれて助かると先生たちに言われました。
家では猫を2匹飼っています。猫も好きだけど
動物全般が好きなようです。
近所で散歩しているわんちゃんも好きだし
牧場に行った時に、牛や馬も大きさにビビることなく
触りに行きます。
幼稚園時代は、困りごとが少なかった
娘は、小学校に入学してから、結果的に、学習障害と診断されたのですが、幼稚園の頃から、なぜ、発達障害の病院に行っていなかったのかというと、娘は特に困っていなかったからです。
行事に参加するのは、不安になったり、大変だけど
行事はそんなに多くはありません。
園生活では、先生方が優しく寄り添ってくださったので
娘も幼稚園は好きだったし、困ることはありませんでした。
私としては、発達について何かあるだろうなとは思っていたけれど
娘が今のところ困っていないのに、受診するのはどうなのかな?と思っていました。
娘は、納得感がとても大事で、説明して納得すると行動できる、自分の意思がちゃんとある子なので、小学校に入学して、耳のことも含め、具体的な困りごとが出てきてから、病院受診するのが良いだろうと思ってのことでした。
この判断が、良かったのかどうかはわかりません。
もしかしたら、もっと早く受診していれば良かったのかもしれません。
今は、通常クラスに通っていますが、支援クラスの方が合っているのかもしれません。
「もし、あの時〜だったら」という考えは、何の発展性も生み出さないなと思っているので、私は、その時々、真剣に考えて判断したのだから、常にベストな判断をしたんだと捉えるようにしています。
たくさん悩んで、つらい気持ちを抱えたこともあるけれど
全ては、娘のことを愛しているからこその悩みであり、感情なんだとも思っています。
この記事を書いている今も、つらい気持ちになったり、悲しくなったり、イライラすることもあるけれど、その気持ちを長引かせないように、短い時間で穏やかな状態に戻れるように日々工夫して取り組んできました。
だから、堂々巡りの悩みの中にいる、というよりは
どうするのが娘にとってベストなのか?という問いの答えを
見つけていくために、今、できることを淡々とやっていくだけだなと思っています。
娘が学習障害と診断されるまで〜小学校編に続きます。
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