「人に迷惑をかけない」ように育つ日本人 「他人に迷惑をかけてもいい。」と育つインド人 なぜ?を問う
1 日本人「人に迷惑をかけるな」と育ち インド人は「他人に迷惑をかけてもいい。」と育つ
日本の教育では、「他人に迷惑をかけないこと」が大切にされます。しかしこれに対して、インドでは「他人に迷惑をかけてもいいこともある」という考え方があるようです。
◎インドの教え
「自分が他人に迷惑をかけているということを忘れずに、自分が迷惑をかけられた時は許し、感謝の気持ちを持ちましょう」というインド人の教えです。
◎日本人は子どもに、「人に迷惑をかけないようにしなさい」と教える。
日本では子どもに「人に迷惑をかけないようにしなさい」と教えられます。かつての村社会では、ルールを破った人を「村八分」として一切の交流を断つという制裁が課せられる場合がありました。日本人は人に迷惑をかけることを恐れていますが、それが完全に納得できない人もいます。
一方、インド人は子どもに「人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許しておあげ」と教えます。この違いは何なのでしょうか? 「人に迷惑をかけない」という拘束が、結果的に相手の迷惑を受け入れられない器の小ささを生む場合があります。
コロナの影響で、日本人は他人に対して厳しい印象があるかもしれません。それでも、日本人がそうではないと言いたいところですが、実際には否定することができません。
私自身もインド人の友人と過ごす中で、彼女が「迷惑をかけない」というスタンスをとったため、疲れてしまった経験があります。この違いについて考えると、なぜこうなるのか疑問に思います。
2 なぜ そのような初期の設定に差が生じるのか?の問い
「初期の設定に差が生じる理由は何なのか?」という問いがありますが、それは国民性の違い、文化の違い、価値観の違いなど、たくさんの違いがあるからだと思われます。私自身は、「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方を持っていますが、友人は「迷惑はかけあうもの」と考えています。このような違いがあるため、何か問題が生じる可能性があり、不利益を被ることもあります。この違いがなぜ生じるのかについて、海外で子育てをしている友人に話を聞いてみたり、多くの本を読んでみることで、より理解が深まるかもしれません。
3 【聴覚検査】の話で分かった 事実!!!え??そうなの??
「超相対性理論」というpodcastを聴いていました。
パーソナリティーの渡邊康太郎さんは慶應SFC特別招聘教授で、静岡大学学術院工学領域事業開発マネジメント系列准教授でフィールドサイエンティストの本條晴一郎さんを招き、「キャリア・研究分野を越境する〜振り子の振れ幅」というテーマでトークセッションが行われました。
振り子の仕組みについて研究するにあたり、耳の仕組みについても関心を持ち研究を進めたとのことです。耳の仕組みには興味深いことが多く、例えば赤ちゃんの難聴の検査は耳にマイクを入れて、音が出ているかどうかを確認するという方法があるそうです。また、耳から発する音と外から聞こえる音が共鳴して聞こえることや、周りのノイズによって感じ方が変わることなどが知られています。このような研究を通じて、人間が見たり聞いたりするものは、内部で作り出しているものだということに気付かれたそうです。そしてこのことから、社会やコミュニケーションについて考えたところ、ハラスメントの研究を行うことになりました。「人が見ているものや聞いているものは、私が見るようにあなたも見ろ」というような言動がハラスメントであると述べ、解釈の自由が認められず、弱いコンテクストの発現を認めないことが、ハラスメントの本質であると指摘されました。最初に着手したハラスメント研究のため、とても極端な例として、植民地に関する研究を行おうと考えました。そして、こんな話がありました。先生がインド人に関する研究をしていて、「人間の見ているものや聞いているものは、内部で作られるものである」ということはインドでも常識だと言われたということです。podcastには、さらに面白い話が続きます。
4「人間の見ているもの、聞いているものというのは、内部で作られている。」
ここで繋がりました。
「人間が見たり聞いたりするものは、個人の内側で作り出されている」という考えは、インド人にとっては当たり前のことです。
これは、人それぞれが異なるという前提があるからです。つまり、同じものでも人それぞれの経験や価値観によって見方や聞き方が異なるということです。
そのため、同じ話をしてもアドバイスは人によって異なるのは当然のことです。また、自分自身が持っている個人的なフィルターを通して物事を見ることになるため、違うものが外側に現れます。
このことは、誰でも知っていることでしょうか?
言われたらわかることですが、しかし、根本的なことから違うのかと思わされます。そして、ハラスメントの本質も、「私が見たり聞いたりするように、あなたも聞きなさい」ということです。
他の国の方々はどうなのでしょうか?
言語学クラスで、「聞く」ことにはスキルが必要であると学び、それにも驚かされました。
また、日本では母語教育が十分に行われていないということにも衝撃を受けました。日本語を生まれてからただ聞き取って話せるようになっていると思っていた自分が、「問いを立てる」ことができなかったり、考えていなかったりすることを否定できません。
多様な民族が存在し、「人と違うこと」が前提の国では、人間が見たり聞いたりするものも個人の内側で作られているため、みんな異なるということが常識です。
しかし、周りがみんな同じであろうという「前提」がある国も存在します。
この違いは大きいです。
では、日本人はなぜ他人軸や世間軸を重要視しているのでしょうか。
また、なぜ「人に迷惑をかけてはいけない」と思っていて、そのように子育てをするのでしょうか。
日本人は、「人間の見ているもの、聞いているものというのは、内部で作られている」という考えを持っていないのでしょうか?
これから新しい問いにじっくりと向き合っていきたいと思います。
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