『合理的配慮を学校へお願いする時の注意点』
合理的配慮が
私にとって「合理的配慮」はなかなか理解してくれない学校に文句を言わせない強力な武器、「伝家の宝刀」でした。
けれど、強力な武器を得たにも関わらず、最初は上手く行きませんでした。
少し話変わって、わが家の『伝家の宝刀大事件』をご紹介したいと思います。
子どもが小さい頃は特に、私がいっぱいいっぱいになると余裕がなくなり、主人と喧嘩になることが続きました。
発達っ子は2~3歳幼い…と言われますが、小学生の頃は元気な男の子とトラブルになることがよくあり、
複数の保護者から呼びだされ、囲まれて非難されたりもしました。
ある時は、ある男の子にケガをさせてしまい、菓子折り持ってお詫びに行ったのですが、
玄関口で絶対許さないと冷たい態度を取られ、
その帰り道は人目も憚らず泣きながら歩いて帰ったこともありました。
子どものことで振り回され、非難され、そんなことが続くと心も身体も疲弊してくるんですよね。
しかも主人は忙しい人でほとんど帰って来ないのです。
我が家は事実上、ワンオペでした。
そんな時、些細なことで喧嘩になって主人から「俺が働いているおかげで生活できているんだろ!」と言われたんです。
その言葉にプッチーン!と切れました。
絶対に言ってはいけない言葉を、
絶対に許せない言葉を投げつけられたと、怒りと哀しみとで震えました。
そもそも働きたくとも学校側からは他の子たちとのトラブル回避のため「登下校付き添ってもらわないと困る」と言われているし、
担任や学年によってはほぼ登校できない不登校。
行けたとしても、休みを入れながらの登校でした。
そんな子を抱えてどう働けと?という状況での「俺が働いているおかげで」発言ですよ。
言わせてもらえば、私が家庭にいて子供たちの世話しているから働けているんじゃないですか?と怒りに震えました。
私だけに子育ての責任と負担を押し付けられたような思いに悲しくて情けなくて絶望しました。
けれど、しばらくして良く考えてみると「俺が働いているおかげで!」も主人が使った『伝家の宝刀』だと気づいたんです。
私が学校に使った「合理的配慮」という権利を振りかざしたのと一緒だな・・・と。
その頃、子供を守ろうと学校側とは臨戦態勢でしたから、
管理職や先生との話し合いは戦と同じことだったんです。
今思えばそれでうまくいくわけありませんよね。
ある支援者が、「合理的配慮」って言葉大嫌いなんだよねと仰いました。
「保護者はうちの子はこれができない、支援する側はこれができない・・・とお互いできないことを言い合っている。
本当はうちの子はこれができる、こうすればできそうと、できることを話し合うべきなのに!」と。
それが「建設的な話し合い」ですよね
子どものために!と言って、険悪な関係になって良いことなんかないんですよね。
私が『伝家の宝刀』と思っていたものは実は諸刃の剣でした。
今はこの失敗から、一方的に権利を主張するだけでなく、先生方からも何かいい案はないですか?とアドバイスをお願いしてみます。
そうすると、先生方も考えてくれやれることをやってみてくれる。
そのうち先生方から提案してくれたりと上手く回っていきました。
『ねばならない』に囚われていないかな…
その行動に伴う感情は何かな…
話し合いの真ん中に支援する子どもがいるかな…
時間軸や本人の意向などマッチングしてるかな…
と折々にちょっと振り返ってみて欲しいと思います。