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坐るだけが瞑想じゃない 〜マインドフルな旅 in ベトナム

2024年8月7日から11日まで、ベトナム中部にある慈徳寺というお寺で、マインドフルネスのリトリートに参加した。ここはティク・ナット・ハン禅師のマインドフルネスを修行する僧侶たちが生活する場。

マインドフルネスといえば瞑想。
瞑想といえば坐禅。
でもここでは坐るだけが瞑想ではないという。

今回はここで体験したさまざまな瞑想をご紹介したい。
リトリートの概要や、わたしの軟弱な修行ぶりについては以下の記事をご覧ください。

坐るだけが瞑想ではない

プラムヴィレッジ(ティク・ナット・ハン禅師の創設した僧院、マインドフルネス・プラクティスセンター)では、瞑想は坐ることだけではない、とよくいわれる。
実際、5日程度のリトリートの場合、坐禅をするのは朝の30-45分程度のみ。

それではあとは何をするのか。

歩く、食べる、働く、話す、きく、歌う。
これらを瞑想として行うことを学び、実践する。

それぞれの行いに100%の意識を向けること。

それがマインドフルネスのプラクティスだといわれる。

菩提樹の下で坐るブッダ像

行住坐臥

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という禅語が、マインドフルネスのプラクティスをよく表しているように思う。

「行住坐臥。行は歩くこと、住はとどまること、坐はすわること、臥は寝ることです。禅でいう行住坐臥には、これらすべてが禅なのだという意味が含まれています。」
曹洞宗大本山 總持寺

https://www.sojiji.jp/kotonoha/3753/

これらすべてが禅。では禅とはなにか。

「禅とは心の別名です。ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。」
臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺

https://www.myoshinji.or.jp/about_zen/zen

日常の行いすべてが、無念の心境、ほとけの心からのものである、ということか。

いいかえれば、日常の行いのひとつひとつに100%の心を置くことが、修行そのもの。なにも前人未到の難しい技をやれといっているわけではない。

スマホを見ながら食事をする、作業をしながら話をきく、考え事をしながら歩く、という「ながら行為」をやめること。でも現代人にはこれがなかなか難しい。

リトリートが行われた慈徳寺 ベトナム語ではChùa Từ Đức


ティク・ナット・ハン禅師の名前は「モノタスク」

わたしたちの先生、ティク・ナット・ハン / Thich Nhat Hanh / Thích Nhất Hạnhは、漢字で書くと、「釈 一行」となる。

ひとつのことを心をこめて行う。

あるとき師は弟子達に、「100%」と書かれた名刺大のカードを印刷して配ったことがあるという。

今していることに、100%の意識を向けているかを自分に問うプラクティス。

瞑想するためにホールに向かうとき、行かなければいけないから行く、という意識になっていたり、食べる瞑想の最中にぼんやりとしてしまったり、そういうことはよくある。

それに気づいて、もう一度自分のしていることを問う。

師が「100%」と書いたカードを配ったときのことを話すプラムヴィレッジのブラザー・ファップ・ユン https://www.youtube.com/watch?v=34nxEUWHXIk&t=359s


日常の全ての行いを禅の修行、マインドフルネスのプラクティスとする。
現代社会ではマルチタスクを求められがちだが、それに抵抗し、モノタスクでいこう、というおすすめなのだ。
プラムヴィレッジは、現代社会への抵抗運動だといわれることもある。

実際、人間にはマルチタスクは不可能で、瞬間瞬間それぞれのタスクにスイッチを切り替えているだけで、それは非常な消耗を伴うばかりか、決して効率的でもないということが研究でわかっている。


人生に深く触れる実践としてのマインドフルネス

「今、この瞬間に起きていることに意識を向け、目覚めているというエネルギーです。それは人生に深く触れることを、一瞬一瞬繰り返す実践です。」

                     ティク・ナット・ハン禅師

マインドフルネスの説明で一般によくいわれるのは、そのやり方と効果だろう。効果として、ストレス低減、リラックス、集中、生産性の向上などをうたう場合も多い。

ホーチミンのカフェでいただいたライチティー 

お茶を飲むことも瞑想になる

ティク・ナット・ハン禅師は、マインドフルネスは、誰にでもできるもの、それは人生の不思議に触れる体験だ、という。

一杯のお茶をゆっくりと飲む。
ただお茶を楽しむために飲む。

お茶も、自分自身も、今本当にこの場に存在する。
心がここになければ、お茶も自分も本当にはここにいない。

うっかりと、ぼんやりと、人生を無駄づかいして、人生の深みに触れないまま、あれやこれやの悩みにふりまさわれながら生きる。

そんな状態から、マインドフルネスはしっかりと人生を生きることを教えてくれる、とわたしは思う。

「日常生活におけるマインドフルネス、集中力、洞察力」 ティク・ナット・ハン Mindfulness, Concentration, and Insight in Daily Life | Thich Nhat Hanh (short teaching)  (Youtubeの字幕自動翻訳で日本語を選択可能)


ということで、次回は、具体的に坐る瞑想、歩く瞑想、歌う瞑想、働く瞑想などについて書いてみたい。
(2024年8月7日〜11日)

続きます。


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