〈 YOGA 〉ヨガ哲学で対となる言葉 #2
一元論と二元論、ラージャヨーガとハタヨガ、モクシャとサマディなど聞いたことがあるけれどどう違うの?一緒なの?と、ごちゃごちゃになってしまう言葉ですよね。
私もまだまだ理解できていないので、整理してみた第二弾です!
一元論と二元論とは?
ヨガ哲学における一元論と二元論は、存在の根本的な性質について異なる立場を持つ哲学的見解です。
ヨガ哲学を学ぶ際に出てくる有名な経典のヨーガスートラは一元論の世界観で書かれたものです。
また、バカヴァッドギータは二元論で書かれたものになります。
実は違ったんですね!
ここがごちゃごちゃになりがちで、ヨガ哲学を難しく感じてしまっていたポイントかもしれません。
以下に、それぞれの学派の特徴や違い、代表的な教典について説明します。
一元論(Advaita Vedanta)
一元論(Advaita)は、全ての存在が一つの究極の現実(ブラフマン)であるとする哲学です。個別の自己(アートマン)と宇宙の究極原理(ブラフマン)は本質的に同じであるとみなします。
分離や二元性は無知(アヴィディヤ)によるものであり、真の知識(ヴィディヤ)を通じて解消されるべきとされます。
代表的な教典
『ウパニシャッド』
古代インドの哲学的な教典で、一元論の基礎を築く重要な文献。概要
人間の内なる自己(アートマン)と宇宙の究極原理(ブラフマン)の一体性を説いています。
『バガヴァッド・ギーター』
ヒンドゥー教の聖典であり、一元論的な教えを含んでいます。概要
実践を通じて自己とブラフマンの一体性を理解し、解脱(モクシャ)を得る方法を解説しています。
『ブラフマ・スートラ』
一元論の哲学を体系的に解説した教典。概要
一元論の哲学を論理的に展開し、多様な解釈を整理しています。
二元論(Samkhya-Yoga)
二元論(Samkhya-Yoga)は、存在を二つの根本的な実体、すなわちプルシャ(純粋な意識)とプラクリティ(物質的な現実)に分ける哲学です。
プルシャとプラクリティは本質的に異なるものであり、解脱(モクシャ)はプルシャがプラクリティから完全に分離することで達成されます。
ヨガ学派は、サーンキヤ学派と密接に関連しており、実践を通じてプルシャとプラクリティの識別を強調します。
ちなみに、思考や知性もプラクリティと言われています。なので、プルシャとプラクリティが合体すると人間になります。
代表的な教典
『サーンキヤ・カーリカ』
サーンキヤ学派の基本的な教典で、二元論の哲学を説明しています。概要
存在の二元性を説明し、プルシャ(意識)とプラクリティ(物質)の関係を解説しています。モクシャはプルシャがプラクリティから完全に分離することで得られると説いています。
『ヨーガ・スートラ』
パタンジャリによるテキストで、ヨガの実践と哲学を体系的に述べています。概要
ヨガの八つの段階(アシュタンガヨガ)を通じて、心の制御と究極の解脱を目指す方法を説明しています。ここでの解脱は、プルシャとプラクリティの識別を通じて達成されるとされています。
まとめ
一元論(Advaita Vedanta)は、全ての存在が一つの究極の現実(ブラフマン)であると教え、個別の自己と宇宙の究極原理の一体性を強調します。
なので、アートマン、プルシャもプラクリティも全部ブラフマンに含まれているという考え方です。
二元論(Samkhya-Yoga)は、存在をプルシャ(純粋な意識)とプラクリティ(物質的な現実)に分け、解脱はこれら二つの完全な分離によって達成されるとします。
ラージャヨーガとハタヨガとは?
ラージャヨーガいう名称はハタヨガが生まれてから生まれた呼び名で、ハタヨガ以前のヨーガスートラに基づいたヨガのことを呼ぶ名称となりました。
以下に、ラージャヨーガとハタヨーガの特徴や違い、教典とその概要を説明します。
ラージャヨーガ (Raja Yoga)
ラージャヨーガは「王のヨガ」とも呼ばれ、精神的な修練と瞑想を重視します。
心の制御と高次の意識状態に到達することを目指す。
パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』に基づき、8つの段階(ハ支則)から成り立っており、倫理規範や自己訓練、姿勢、呼吸法、感覚の制御、集中、瞑想、そしてサマディ(超意識状態)に至るとされています。
ヨーガスートラは、自分の心をどのようにコントロールするのかを目的としています。
目的
心を止滅させること
自分の内側に目を向けること。
精神的修練
ラージャヨーガは主に精神的な修練を重視し、瞑想を中心に行います。心の制御や内面的な自己探求が主な目的です。
内的な統制
ラージャヨーガは心と精神の制御を強調し、内的な平和と自己認識を追求します。具体的なポーズよりも、マインドフルネスや集中力の向上に重点を置きます。
教典
『ヨーガ・スートラ』 著者: パタンジャリ
概要
全195のスートラ(短い詩句)から成り、ヨガの哲学と実践方法について詳細に述べています。特に心の静寂と自己の本質を理解することを重視します。
ハタヨーガ (Hatha Yoga)
ハタヨーガは「力のヨガ」とも呼ばれ、身体的な修練を重視します。
身体の柔軟性と強さを高め、エネルギーの流れを整えることを目指します。
アーサナ(ヨガのポーズ)やプラーナーヤーマ(呼吸法)、ムドラー(ジェスチャー)、バンダ(体のロック)などのテクニカルな技法もふまえて、身体を整えることで精神的な安定と瞑想の準備を行う。
ハタヨガは、まず自分の身体と向き合うことで今生を生きる中での効果を目的としています。
目的
まず、身体に対するアプローチ
最終的に心に向き合うための準備
身体的修練
ハタヨガは主にアーサナ(ポーズ)とプラーナーヤーマ(呼吸法)を中心に行われます。身体の柔軟性や強さを高めることが目的で、具体的なポーズを通じて体を鍛えます。エネルギーのバランス
「ハタ」という言葉は「太陽(ハ)」と「月(タ)」を意味し、これらのエネルギーを調和させることを目指します。バランスを取ることで心身の健康を促進します。浄化と準備
ハタヨガは身体を浄化し、より高次の精神的な実践(例えば瞑想)への準備をするためのものとされています。
教典
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』
著者: スヴァートマーラーマ
概要
15世紀に書かれたこの教典は、ハタヨーガの実践方法について詳しく説明しています。アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダなどの技法が含まれています。
『ゲーランダ・サンヒター』
著者: ゲーランダ
概要
17世紀に書かれたこの教典は、ハタヨーガの実践についてさらに詳しく述べ、シャットカルマ(浄化法)や瞑想法についても触れています。
ラージャヨーガとハタヨーガの違い
ラージャヨーガは精神的修練でありハタヨーガは 身体的修練です。
ハタヨガは身体の浄化とエネルギーのバランスを重視し、ラージャヨーガはパタンジャリの八支則に基づいて心の制御と精神的な自己実現を目指します。
目的とアプローチ
ラージャヨーガ
精神的な制御と瞑想を通じて心の平静と高次の意識を目指す。ハタヨーガ
身体的なポーズと呼吸法を通じて体と心を整え、精神的な修練の基盤を築く。
主要な実践
ラージャヨーガ
瞑想、集中、倫理規範(ヤマ・ニヤマ)などの内面的な修練。ハタヨーガ
アーサナ(ポーズ)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、ムドラー、バンダなどの身体的な修練。
ハタヨガとラージャヨーガはそれぞれ異なるアプローチと目的を持っていますが、どちらも最終的には心身の調和と自己実現を目指す点で共通しています。
自分の目的や興味に合わせて、どちらか一方、または両方を取り入れて実践することができます。
モクシャとサマディとは?
ヨガ哲学において「モクシャ」と「サマディ」は非常に重要な概念で、それぞれ異なる意味と特徴を持っています。
以下に、それぞれの概念の特徴や違い、関連する学派や教典について説明します。
モクシャ(解脱)
モクシャとは「解脱」や「自由」、「解放」を意味します。また、輪廻転生のサイクル(生まれ変わりの連続)からの解放を指します。
インド哲学における最終的な目標であり、苦しみや束縛から完全に解放される状態です。
ヒンドゥー教やヨガ、仏教の概念の中には、現世は苦しみや痛みがあるとされているので、その苦しみや痛みを取り除いていくことで、幸せになるという考え方があります。
あらゆる苦しみからの解放がモクシャということになります。
今目の前にある不安や苦しみは、本当にそうであるのか?と考えて、本質を見抜く目を養っていくことが大切です。
自己認識、精神的な修行、倫理的な生活、知識の追求などを通じて達成されるとされています。
関連する学派
ヴェーダンタ
特にアドヴァイタ・ヴェーダンタ(不二一元論)では、アートマン(自己)とブラフマン(絶対的存在)の一体化がモクシャとされています。サンキヤ
プルシャ(純粋な意識)がプラクリティ(物質世界)の束縛から解放されることがモクシャです。ジャイナ教、仏教
それぞれ独自の解脱の概念を持っています。
関連する教典
バガヴァッド・ギーター
クリシュナがアルジュナにモクシャの道を教える。ウパニシャッド
特にムンドゥカ・ウパニシャッドやカタ・ウパニシャッドでモクシャについて述べられています。
サマディ(統一)
サマディとは、私が私であることを忘れて全てのエゴや思い込みを手放し、精神が完全集中し内的な静寂と一体になる統一された状態に達することです。
エゴが完全になくなった状態となるためわ本当の自分、プルシャ、アートマンとなり本質を知ることができます。
ヨガの修行における最終段階であり、心が完全に静まり、自己と対象の一体化が達成される状態です。
主に瞑想(ディヤーナ)、呼吸法(プラーナーヤーマ)、倫理的な生活(ヤマ、ニヤマ)などを通じて達成されるとされています。
関連する学派
ヨガ学派
特にパタンジャリのヨーガ・スートラに基づく古典的ヨガ(アシュターンガ・ヨガ)がサマディを最終目標としています。ラージャ・ヨガ
精神的な統一と瞑想を重視するヨガの一形態です。
関連する教典
ヨーガ・スートラ
パタンジャリによるもので、ヨガの八支則(アシュターンガ・ヨガ)の最後の段階としてサマディが詳述されています。バガヴァッド・ギーター
ヨガの実践と精神統一についても言及されており、サマディに関する教えも含まれています。
モクシャとサマディの違い
目的の範囲
モクシャ:究極の解脱、輪廻からの解放。
サマディ:精神的な統一、瞑想の最終段階で、モクシャを達成するための一つの手段とも見なされる。
達成の状態
モクシャ:永続的で変わらない解放の状態。
サマディ:瞑想中に体験される一時的な集中と統一の状態。
これらの概念は、インド哲学とヨガの実践において中心的な役割を果たしており、深い精神的理解と修行を通じて追求されます。
いかがでしたか?
対となるヨガ哲学の概念や言葉の理解のお役に立てたなら嬉しいです!