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文学敗者復活説!!

ちょっと「死ぬな(中)」(略しすぎ)の余波が尾を引いていて、なかなか落ち着いて歌の鑑賞をしたり、歌のゆたかさをことほぐ「気」になれない。

Xでは変なエアリプが来たり論難している相手からブロックされたり、まあいろいろ起こっている。ちょっと覚悟してXに戻ったのだけど、場が荒れ気味なのでいつ通常運転に戻れるかわからない。

でも毎日書かなければ行けない。それが自分の役目。嫌でも書くし楽しくなくても書きます。

本来は「短歌をやるとこんなに苦しいよ」ではなくて、「短歌はこんなに楽しいよ」を書き残さなければいけないのに、ほんと思い通りには行かない。

そういうこともある。それも文芸だと思う。

無理なチャレンジはしないで、自分のできることを一日一歩少しずつ。

ほんとに短歌なんて短くて「だれにでもかける文芸」じゃないんですよ。いいときも悪いときも、病めるときも健やかなるときも、つねに創作を続けなければいけないので「自分のキャラ」なんて設定している暇はありません。

書いていくうちになにかできあがっていくものです。

意外と1年目で主語を「ぼく」にした歌よりも、20年目に主語を「ぼく」にした歌のほうがかっこよかったりするんです。

そういうもんかもです―。

さて、実は少し前に

文芸(文学)って人体でいうと自律神経みたいなもんだよね
(文学自律神経論)

という「気づき」をミニミニ随筆に書きました。

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経済とか物流は、人体でいうと血液とか動脈といわれます。国会みたいな立法機関が頭脳なのか、いろいろな「社会を人体にたとえる」という試みは昔からされてました(ルソーが言ってたらしいです)

文学は社会の何にあたるだろうか。ぼくの結論は、「自律神経」でした!!

経済も回っている、政府も機能している、しかし人はピリピリしていてちっとも落ち着かない。ネットには罵詈雑言があふれ、街には感情的な「怒声」が聞こえる。

「落ち着こうよ、落ち着こうよ」と言っても聞かない。

そしたら文学者はどうするか。

出番です! いまこそ渾身のふるまいを!

僕だったら、大声で茨木のり子さんの詩でも叫びながら街に繰り出して魂を鎮めて行くかも!

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

「倚りかからず」茨木のり子

ぼくは詩も好きだし短歌も好きです。
なにかホッとする。自分が間違っていないんだと思える。こんなシンプルに気軽に自己を肯定してくれる詩が日本語にあるのだから、大声で叫びながらひとりで「詩」でも叫んで街を練り歩くと思う。

文学は「社会の自律神経である」というのは、社会での役割の一つではあリます。しかしもう一つ、文学には社会のなかに新たな役割があることを指摘しました。それが以前のツイートです。


ぼくはもう家族もおらず仲間もいず、病気持ちでひとり文学をやっているわけです。しかし、文学がまったく機能していないのなら、ぼくはこの社会でただの「敗者」です。

金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人
大学卒は大学卒、中卒は中卒

その進路は決まっているみたいに社会が固定化してしまっていると、どうがんばっても貧乏人は貧乏人のままですよね。変な話、昔なりのマルクス主義でいくと、社会で成功した人が金持ちになるとするなら、そのあとは社会で成功した金持ちに作られたルールが社会のルールになる。

いまなんて週20日働けないと、ろくな賃金もえられないし、結局、なんかそれができないからぼくは病気だといわれているわけですよ。これだと、貧乏人はいつまでも貧乏人のまま。ぼくらはいつまでも敗者のままなわけです。

しかしぼく、朝は起きられないかもしれないけど、自分の頭でかんがえた文章を毎日5000字書ける。それは、普通の人でも結構ハードルの高いことです。

ならばその特技で一発逆転、これでお金が儲かったら、敗者復活大逆転大成功じゃないですか。

事実石川啄木がいかに駄目な人だったか、というエピソードは枚挙にいとまがありません。お金は使うわ、奥さんがいるのに毎日遊郭に行くわ、とにかく「負け組」どころじゃない「社会不適合者」の代表みたいな人生です。しかし彼は敗者復活で「どえらい歌人」になったじゃないですか。

自殺しちゃった太宰や芥川。文学には基本変な人がたくさんいるんだけど、この一発で敗者復活したら、もうそこら辺の金持ちより有名ですよね。教科書にまで名が残る偉人になったりするわけです。

これぞ、

「文学敗者復活説」


です!

実は近代文学では、「もう社会で負けて負けてだめでだめ」でもラストのワンチャンみたいなものが社会のあちこちに用意されていました。

あの「満州」だって、庶民からみればそんな「ワンチャン大逆転」「敗者復活戦」みたいな場所として知られていたようです。

実際、社会で成功していれば満蒙開拓団なんて行く必要がないけど、日本ではもうだめだから「ワンチャン満州で息を吹き返そう」みたいな言説も多くありました。

ところが現代社会はどうなっているのか。植民地なんてないし、文学はまったく力を失い、とてもじゃないけど書けば大逆転みたいなものは庶民には何もなくなりました。

歌人だって、書いているのは「ふつうな人」じゃないですか。あなた無理に短歌やらなくても、社会でもうまくやってたんでしょう? という人ばかり。

人生で働いて成功して、短歌でも成功するとか、それはずるい。社会不適合組のぼくらは指摘してもいいと思います。

いまこそ、社会に敗者復活を


日本文学党、
わたしの政見放送です!!

ほんと、これがないと敗者は、強者に社会の理不尽を体験させるツールがありません。文学で「悲惨な人生」を書けるのは、ほんとうの社会では起こらない、架空のできごとだからですよね。

文学以外で、ぼくらがまざまざと勝者に敗者の理不尽を突きつけるのはなにか。それが現代ではオレオレ詐欺とか、闇バイトになってしまっているらしいです!!

これは岡田斗司夫さんの説です。恐ろしや。犯罪しかのこってないじゃないですか。

文学が敗者復活として機能しないと困るんですよ。若手だからどうとかじゃないんです。社会で成功してる人は若手ベテランに関わらずうまくやっていただいて、世の中の敗者こそ、ワンチャン歴史に残るくらい光を浴びる場所が必要なんです。

それが、昔は文学であり、いまもおそらく「文学」がその役割を果たさないと困る。

それこそが、

文学敗者復活説


なのです! がんばろう! 一生懸命自分の歌を磨けば、短歌はもしかすると人の心を癒やしたりできるかもしれません。そして、もしかすると「社会のなかで輝けないあなた」が再び輝く場所になるかもしれません!!

さあみんな、可能性に賭けよう!

本日の参考文献

茨木のり子さんの名作です。岩波もあります!


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西巻 真
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