「こころの傷」について

対応と責任の所在

前の記事「死ぬな、瀬戸夏子、死ぬな」(中)について私からはこれ以上、なにか反応がない限り特に触れることはいたしません。しかし読者の方の中には一体、いまの状況の何が問題なのかがよくわからない方がいらっしゃるとは思います。いま少し詳しく、ご説明いたします。

まず、ご本人の許可を得て、その後の対応と責任の所在についてあきらかにします。

・丹花ヨムさんは(その筆名は正確にはもう使用されていらっしゃらないです)名前を変えられて、すこやかに歌に取り組まれているそうです。

・これはすべてわたしの「独断」で行われたことで、未来短歌会とは全く関係がありません。この文章について何かの責任があるなら、すべて私個人に帰すものです。

・なかなか虐待を受けたり、ハラスメントを受けていた「当事者」でないと、一体「こころの傷」がどういう様態をしているのかを、説明できないケースが多いと思います。

そのことについて詳しく書きますので、ぜひこの「問題がよくわからない」という方にも、深刻さをご理解いただければ嬉しいです。また、今回の場合は、丹花ヨムさんが、非常にこころの傷を広げやすい状況にだったということも併せてご理解いただければ幸いです。

「こころの傷」とは


私自身もそうでしたが、「こころの傷」というのは、ハラスメントを受けた本人もその大きさに気づかない事がとても多いです。

「こころの傷」になってしまうのは、その傷の大きさを自分自身でも直視したり言語化できないからという理由もありそうです。わたし自身も「自分を見る」のが苦手だったので、それが「こころの傷」だとは気づかないまま、長い事過ごして問題を大きくしてしまいました。

言語化能力はおそらく人によってばらつきがあるし、自分を客観的に見る能力も人によって違いがあります。当然、それ自体にいい悪いということはありません。ただ、言語化したり自己客観視が難しい状況にある方は、こういった「こころの傷」を抱えやすいようです。

私など、ときどき「思い出して怒りに震えてしまう」とか「思い出して涙が込み上げてくる」とか、「魔が差したようにそのことを思い出して気を取られる」ということが以前はよくありました。

さらには、「怒りの感情そのものが消えていたりする」という体験もあり、ハラスメントを受けている最中に、それがハラスメントだと告発できないケースというのがざらにあるのも怖いところです。

精神科の医師やカウンセリングなどで対策を教えてもらうのですが、やっぱり望まない状況に置かれ続ける、さらされ続けると「こころの傷」は大きくなります。症状が顕在化し、怒りにとらわれるか、怒りを抑えようと無感情になるとか、そこまでいくともう一人ではどうしようもないです。

私の場合発達障害だったことも大きいのですが、あまりにもひどすぎる「いじめ」、「体育や算数(数学)の勉強ができない」といった、できる部分と劣等感を抱える部分の差が激しかったです。「こころの傷」をありありと自分で感じたことがありますし、正確な自己像を描くのも最近まで出来ませんでした。

きちんと大学教育を受けた人が、どこかで「言語化が苦手な人」に対して行う「知」のハラスメントが存在する、ということにも気づきやすかったのもあるでしょう。侮蔑されたような形で長いことお名前をさらされつづけるという「望まない状況」に丹花ヨムさんがさらされていたので、すぐに「言語化をお手伝い」しました。一方からすれば対話のつもりでも、それが「望まない状況であれば」さらされた本人の傷は深くなります。

ぜひ「問題が何気ないところに落ちていること」を多くの方に気づいていただきたいです。

とりあえず前記事で書かれたようなことは、結構短歌の世界でも多く起こっていると思うので、「望まない状況」に長く身を置かれ続けることがよくないということ、丹花ヨムさんを侮蔑していたことには、当事者の方は、思いを馳せていただきたいと思っております。

以上です。

逆に私の文章は人の名前を論(あげつら)う機会が多いです。文学について、作品についてのみ語るよう留意しておりますが、こういうふうに名前をあげられることで「こころの傷」を負ってしまう、私は文学者ではないのに批判されている、など。何か作物に問題があれば、記事を非公開にするなどの対応をする用意がありますので、どなたでもご指摘いただければ幸いです。

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西巻 真
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