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死ぬな、瀬戸夏子、死ぬな(中)


はじめに


今回の話題は、ぼくの記憶の話ではないです。いまから書くのは、「いかに知識のありそうな男性歌人が知識のない読者を馬鹿にしているか」ということを文章に基づいて指摘します。それを、ちょっとうっすら見えたTogetterの記録から追跡していく、文学というよりややメディア論みたいな切り口なんです。

無視しているだけ、スルーしているだけならまだマシ(よくはない)です。しかし、今回起こっていることはなんと一般読者に、批評の書き手がいきなり逆ギレをした。しかもまとめた側が「その女性が馬鹿」であるかのように印象操作をした、ともとれる非常に醜悪なまとめが残っているケースです。

これを放置してたのか、と思って、ぼくは一読して唖然としました。全然これでは批評が読者の信頼を得られないですよ。もうほんとX(Twitter)って闇だらけだな、と思いました。若い書き手で至らない人間はぼくも含めいくらでもいます。でもTwitter時代で露呈してきたのって、こういう一見「かしこそう」な人間が、自分の勉強不足を棚にあげて「他者への加害性」に無頓着にふるまうことなの?とぼくは思いました。

正義とか対等とか権利とか、最近そういう話をしている男性歌人。(と、一括していいと思いますけど)こっちのほうが何もわかってないと思います。デタラメすぎると思って、まずそのことを書きます。

え? 読者に逆ギレ。山川築さん?

なんとまた未来短歌会?

もう、昔はインテリというのは懐が深くて、様々な多様性を包摂するような感じだったじゃないですか。「未来」というのは近藤芳美さん、岡井隆さんを中心に、多様な才能が結集した「インテリヤクザの野武士集団」みたいな人たちじゃないですか。こんな始末になると、わたし、「自らの不遇で自殺しよう」と思っても、諸先輩方に合わせる顔がないから生き延びちゃうよほんとに。

Togetterをみていたら、2022年の時評担当、山川築さんの不可解な逆ギレがいきなり冒頭に載っていて、のけぞりました。

文芸と自我について

1.作者と読者


ぼくも経験したんですけど、自分の批評の感想を「そんなことは書いてない」って逆ギレする評者って結構いるな、と思いました。基本、一般の文芸における批評とか評論は自説の正しさを追求する場ではなくて、さまざまな解釈や、気付きや視点を提供する場だと私は思います。

もし江戸時代の「寄せ場」(現代でいう落語の寄席)というのが現代にあったとしたら、批評もそういうもんです。寄ってらっしゃい見てらっしゃい読んでください。という芸だと思います。民衆が賑わっていて、そこで書生節でも歌っているようなものです。お客さんが多ければ多いほど賑わっている感じはするし、へんな話、情報を得て人々の思考が活性化されれば、評者の正しさなんてぼくは気にしないです。

もし正しさを追求したいのなら、文芸の世界じゃなくて他の「真面目な顔でコンプライアンスを語る」ような世界へ行かれたらどうですか。あるいは研究とか。そういう殺伐とした世界ではやってけないから楽しく在野で文芸やってるんじゃないのみんな⋯。

ましてや寄せ場に「寄ってらっしゃい」って言って、提供している芸に、観客が「ほー最近の若い者は〜」と言ったら、芸人が怒ったではめちゃくちゃ白けるし、「あーあ。帰ろう」っていう話になります。始末が悪いですよ。

Togetterをみて、丹花ヨムさんっていたな、って思い返しましたが、別に丹花ヨムさんって歌壇の論客でもなくて、ふつうに一読者ですよね。本人に一応確認したら、「趣味で短歌をやっている」らしいです。


たとえば、私が山川さんの時評を読んで、「最近の若いものはー」って言ってるなら、「西巻さんがそんな誤読を」ということもできようけど、趣味でやってる読者に対してキレてるわけでしょ山川さんは。

togetter時評

これ、このまとめの前に言ってたかもしれないけど、ヨムさんにまず「ごめんなさい」って山川さんは言えたの?

言えてないと思う。このtogetter見る限りじゃ。

まず読者に伝わらなかったのはあなたの書き手としての実力不足です。山川さんと一般読者は対等じゃないんです。山川さんは未来の時評担当者という任を負って、自分の知見をいろいろな人に振る舞う役なんですよ。読者はお客さん。対価は発生してないけど、それが文章書きの大前提だと思う。「自分の主張に誠実」じゃなくて、「お客様の気分を害さないように振る舞う」役も引き受けていると思います。

形だけでも、もし自分の意図を正確につたえようと努力するなら、こんな高圧的な「言ってない」ではなくて「申し訳ない。私の意図をうまく伝えられないようで⋯」。って謝罪から入ったほうがいいんじゃないこれ。

こんなことをやって広まるのは、「未来の若手(山川さん)の時評にTwitterで感想を言うと、キレられて、寄ってたかって袋叩きにされて、Togetterでまとめまで残されるんだ」。という、一般読者が感じる男性知識人の加害性の怖さ・醜さの印象じゃないですか。

「だったら、もう未来の若手の時評に感想なんていわない」。

ってなります。

最悪ですよ。未来の一会員としては。別にぼく運営でもなんでもないけど、さすがにその意味するところはわかるよ。

お客さんが面白いとも、なんとも言いようがない芸なんて最悪です。あなたの時評、お客さんがかえったんじゃないですか? 私はそのときいなかったからわからないけど。

なんでネットで未来短歌会として時評を無料公開してるのか。あなたの意見は別に結社を代表してないけど、話題を作りたいんですよ。だから有望な若手がどういう事を考えているのか、むしろTwitterで色々書いて、盛り上がってもらったほうが「未来って楽しいところだな」と思うからお客さん(新規入会者)が増えるわけですよね。

結社という場はすごく前向きで建設的な議論ができる場ですね、と。

将来の文学者、もっと日本語のプロを目指すような若くて有望な方に入ってもらいたいんですよ。だから時評を無料公開してるの。

ほんとこれは始末悪いなあ…。

と思いました。まずこのtogetterでまとめられたことについては「山川はまず読者の感想に謝罪から入るべし」というのが私の提案です。

2.そもそも文章芸?

本文行きましょう。2022年6月。


ときおり「若手歌人は読む短歌に偏りがある」という主張を目にすることがある。筆者はこのような主張を読むたびに、本当にそう言えるのか、疑問を覚えてきた。
「歌壇」一月号に奥田亡羊が寄せた文章「短歌地図が違う」および「短歌研究」三月号の柳澤美晴の時評「新しい短歌地図とは」では、「若手歌人」への批判や疑問が述べられている。想定されているのは、二十代から三十代の歌人だと思われる。筆者も射程圏内の一人と言えようか。
奥田は、よく話をする「ある若手歌人」の博識に感心させられると述べつつ、その人物が岡井隆を読んでいないことや、奥田の世代の歌があまり読まれていないのでは、と発言したことへの違和感を表明する。また、近年出版されたアンソロジーが若手中心の編集であり、それらだけを読んだ者の「短歌地図」は歪なものになると懸念する。
柳澤は奥田に同調し、興味のある歌人以外には目もくれない傾向が、特に若手歌人に強いと批判する。また、近年出版されたアンソロジーについても、「短歌界の一連の流れを尊重するなら、特定の世代に極端に選が偏ることは、あり得ない話だと思う」と否定的な見解を示している。
「もちろん地図など人それぞれ違うのだが、見ている短歌が年齢によってばっさり分断されているとすれば、やはりそれは好ましい状況ではない」という奥田の主張には同意するし、歴史と先行作品を知ることの重要性を説く柳澤の姿勢にも共感する。にもかかわらず、どちらの文章も、全体としては肯定的に受け止められなかった。

山川築「時評」2022年6月号

これは時評の本文なんですけど、これ、悪文だよ明らかに。細かいツッコミあるけど、まず3人登場するよね人物が。奥田さんと柳澤さんと筆者。筆者は山川さん。

これ、奥田さんはこういった、柳澤さんはこういった、という見解のはずなのに、どっかで発話者のスタンスがぶれるような記述になってる。

奥田は、よく話をする「ある若手歌人」の博識に感心させられると述べつつ、その人物が岡井隆を読んでいないことや、奥田の世代の歌があまり読まれていないのでは、と発言したことへの違和感を表明する。

あれ、奥田さんは違和感を表明したの? 誰に? 何を?

あ、4人いた。「ある若手歌人」も登場してるのか?

「その人物」じゃなくて、これはその「若手歌人」と書くべきですよ。同じ「若手歌人」が言ってるんだから。

添削するとこうなります。

奥田は、よく話をする「ある若手歌人」の博識に感心させられると述べつつ、その「若手歌人」が「岡井隆を読んでいないこと」や、「奥田の世代の歌があまり読まれていないのでは、と発言したこと」への違和感を表明する。

筆者(西巻)による推敲例

最近カミングアウトしてた高良真実さんの話だと思う。しかし、この文章は「ある若手歌人」と「その人物」が同一人物でないかのような誤読を誘いやすいです。「その」という、代名詞の指示選択のミスです。ちゃんと日本語のリズムにそって文章書かないと、誰にもわからない。なんで俺が添削してるんだ。いいよもう、ついでだからもっとクッションをつけていい文章にしちゃおう。

奥田は、ある「若手歌人」と話をするたびに、その博識に感心させられると述べつつ、その「若手歌人」が「岡井隆を読んでいないこと」や、「奥田の世代の歌があまり読まれていないのでは、と発言したこと」への違和感を表明する。

完成例

こう書くべきだよ。これは主張の問題じゃなくて、そもそもの心構え。もっとお客さんが読みたいと思ういい文章を書くべきだ、と言ってます。

togetterスクリーンショット
togetterスクリーンショット

これは丹花ヨムさんが仰っていることが正しいです。丹花ヨムさんに対して、こういう自分の至らなさを棚に上げて、こんなことがよく言えるよね。

@yom_tanka 議論をしたいというより、意見をうかがいたいというところです。 文章を読むにあたって、わたしの意図は関係ありません。問題は、そのように読めるか否か、だと思います。

togetterより

@yom_tanka この意見はよくわかりません。時評もツイートも、ネットで広く公開されている点では同じです。誰もが自由に反応できるし、その反応にも誰もが自由に反応できるものです。 もちろん、わたしの行動に丹花さんが「いかがなもの」と思われるのも自由です。

togetterより

なにが自由ですか。そのように読めるか否か、ですか。

「筆者」はさっきもいったように一般読者の丹花ヨムさんに誤読をさせて、一般読者の丹花ヨムさんを不快にするような不始末をしでかしたんだから、まず自らの至らなさに思いを馳せてください。

「この意見がよくわからない」じゃないんだよ。山川お前は。文芸をやる前に心構えが全然出来てない。文芸に関わる覚悟を携えて、一から出直しなさい。

自意識の醜さについて

1.男たちの反応


ほんと⋯。自分の文章が意図通りに伝わらないとキレるとか、ほんと贅沢な悩みです。書く場がただで与えられて、読者の反応を試せる時評担当という立場にまず感謝すべきじゃないのか。

あと自分の作品を批判されたら人格攻撃されたとおもってキレる人とか、いろいろ最近変な奴らがいて、こういう人が正義や権利や平等を語るのガチでうんざりするんですよ。

みんなまとめて「文学」なんてやってないじゃないか。

いやいやいや。まてまてこのアイコンのお客さんたち。

上の方、これは「コントみたい」じゃないからね。なんというのか、雑な一般化に対する雑な一般化ってさ、「時評に対する一般読者の正直な反応」ですよね。それは貴重なご意見としてきちんとひろいあげて、自分の芸を磨くのならわかりますよ。それを「コントみたい」とは何事ですか。

これは山川さんが言ったら最悪ですけど、同じ用に知識を持っていそうな⋯。おや、このアカウント、だやさんじゃないか?

吉田恭大さん、これあなたの裏垢じゃないですか。@hikaritoshigoって書いてあるし。なんで裏垢で発言をしているのかはわからないけど、まあとりあえず一般読者の反応をコントと発言したのは、あなたには丹花ヨムさんの発言を貴重な一般読者の声という認識ではなく、とにかく「正義を追求しない女性読者」というイメージで捉えてるのはわかります。道化役みたいな。

あなたも一般読者なので、一般読者のイメージがないならいいですけど、基本、誰もが吉田さんの認識で生きているわけではないですから、この反応はこれで、そういう認識なんですねということは確認しておきます。

下の一般読者の方も、「好き勝手に論評」は全く問題ないですよ。そういうのが批評だとぼくは思います。あの、簡単にいうと時評の担当者の逆ギレの不始末についてぼくは、物書きの自覚がないのではないかと論難しているので、おそらくこちらの一般読者の方と意見が違うかと思います。

2.違いと分断:個人の見解です


戻ります。ここからはこの時評に対する自分の意見です。

わたしたち40代くらいから下の若手で、「分断を煽るな」「雑な一般化するな」とか言ってる人って、そもそも短歌が分断してるのを必死に隠そうとしてるだけですよ。十把一絡げにいわせてもらいます。

ていうか、多様性の場、おなじものを違う角度から見るのが文芸なのだから、分断してて当たり前です。権利の話じゃないの。見方の話。

西洋学問ばかりのお勉強と「生徒会長を決める」ような選挙ごっこは経験した事があるのに、無視して異質な人を排除したり、自分の権利だけをひたすらに主張するような欺瞞めいた正しさを「短歌という伝統文芸」に押し付けてるのに気づきもしないなんて。

戦後民主主義が育んだその程度の「個性」なんでしょ。「正義感」なんでしょ。自意識こじらせて人にキレる自分勝手なワガママキレ芸は褒める。しかしそれと、コンプライアンスぎりぎりの社会に対してのプロテストとしての「文芸」の違いがまったくわかっていない。

そういう奴らが「よくできましたで賞」代わりに大きな短歌賞もらって作品発表したり時評書いたりしてる。

なんだこれはと思いますよ。

本当の社会ってこんなものじゃないから。

どの社会にも分断はあるんです。文芸もそうです。分断は悪ではない。むしろ分断というふうに違いを悪くいうことそのものが「悪」ですよ。世代間でも、同世代でも。

平等ごっこやってるんじゃないからさ、違うなら違うではっきりそう書けばかえって仲良くなるじゃないですか。

3.肥大した自意識

文学者としてのぼくの目からみさせてもらうと、日本の文学者というのはそれなりの社会的役割があります。文章を通じて日本語を保存したり、社会を活性化させたり、心を豊かにして明日への活力にするというミッションがあると思うんだけど、たとえばこの

・自分の文章が思ったとおりにつたわってないとキレる
・作品を批判されると自分が批判されたようになってキレる

とか、これ、なんというのだろう。もう、その使命を受け入れるかどうか、というより、それ以前の意識の問題だよね。

まず、今回の時評の書き手は、自分が文芸を通して社会を豊かにするという自覚がない。自説がどうなるかばかり気にしてる。こういうの「肥大した自意識」とか、「肥大した自我」っていいませんか。

「文学」の話なのに、「私」の話と勘違いしてるんだから、これは「肥大した自意識」ですよね。

山川さんの自我にまみれた短歌や文章は残らなくても、どうでもいいんだよ。ぼくだって歌集、当時の師匠が出せっていわなかったら、環境保全に配慮して出さなかったし。短歌の豊かさ、日本語の豊かさが残るかどうかが問題なの。

石田比呂志さんが、穂村弘さんの登場時に「茂吉の前で腹かっさばいて殉死する」っていったのは、自分は先人のゆたかさを後世に伝えられなかったという塊根を感じたからでしょう。そぶりかもしれないけどさ。時代は変われど、形は変われど精神を維持していく気概を持たないと、精神なんて伝わらないから。そこまでやって、なんとか一人か二人精神を受け継いだほんものがでてくれればいいほうだからなああ⋯。


正義の手口の汚さについて

1.まとめの妥当性

ここまで指摘して、ほんとこれは大きな問題だと思います。ほんとはキレてるというより呆れてる。呆れてものも言えないけど、若い男性歌人の醜悪ぶりをみてると瀬戸さんはじめ、多くの男性原理の「正義」の加害性に苦しんでいた方は、これは大変だったと思うよ。いちいち言ってやらないと碌な芸も出来ないのか若い男どもは。

ヨムさんほんと申し訳ない。うちの短歌会の会員が迷惑をかけてしまった。奥田亡羊さんや佐佐木幸綱先生によろしくお伝えください。私は奥田さんと個人的に付き合いがあるので、竹柏会で楽しく短歌をなさっている会員の方に短歌の悪印象をあたえてご迷惑をおかけしたことを個人的にお詫びしておきます。

しかし場を片付ける前に、もう一人、いるでしょ。これは。そもそもこの山川さんの時評にぼくがきづいたのって、このtogetterのまとめというか、これをさ、残したやつがいるからじゃないですか。

全部読んでみたら、吉田恭大さん、さっきの発言者さんと同一人物ですよね。さすがにこのまとめは残す必要があったんかね。ぼくも実際には編集したことはないんだけど、togetterというツールは、ブロックされてても相手のツイートは見えるみたいな、そういう仕様になってたはず。

ブロックされたから見えません。相手は自分たちの対話に応じませんでした、っていう山川さんの発言でまとめにするのって、印象操作じゃないのかな。事実、他のアカウントでも見えるし、togetterはブロックされてても編集できる仕様だったのかは争点にもならないけど、「ヨムさんは山川さんの対話に応じなかったからブロックした」んじゃないよね。編集された範囲内でも、本人はこう言ってるじゃないですか。

ほら、この通り。まとめられて冷笑されていると感じたからブロックしたんでしょ。悪しざまにいわれていると感じたから対話は無理だとブロックしたんじゃないですか。

しかも吉田さんからはこのあとのヨムさんの発言って見えてるはず。裏アカウントで見てたりするわけでしょ。

2.仕立てられたストーリー


そもそもストーリーが出来てるこれは。

丹花ヨムさんという以前斉藤斎藤にキレた無知な女性読者が、今度は山川築が書いたという未来の時評に無知な返答をしたので、男たちは対話しようとしたが相手は応じず逃亡

最悪ですよこのやり口は。

これさっき確認した、ヨムさんに対する当時の吉田さんの裏アカウントの発言にぴったり符号してませんか。吉田さん自身の認識ですよね。

その認識でこのtogetterを編集したんですよね。ほんとに公平性を意識したまとめだったのか、そこに「悪意」というか「正義感」でもいいんだけど、「意」があったかどうかはわからないけど、少なくとも一方的にヨムさんに不利なまとめ方ですよねこれ。見られるでしょ。裏アカウントあるんだからヨムさんの意見なんて。それを「平等にまとめる」素振りを放棄して、その場の多数派の意見だけまとめて、「相手には相手の意見が」とか「悪印象が」と言ってるのさすがにどうかと思うけど。

なんですかこれ…。相手はAIのアカウントじゃないぞ。人間だぞ。これ被害者意識を持つのはその場でストレス発散した男たちじゃなくてヨムさんの心だぞ。

俺はこういう相手のこころの機微もわからないやつが、肥大した自意識ふりかざして正義の猿真似をしてるのが一番ムカつく。学校的民主主義。学校は先生が問題なんじゃなくて、結局生徒が弱者をいじめるのが最大の問題じゃないですか。

これはひどいでしょう。最後のターンでは若手のセクハラについて書いて、終わりにしますよ。

見えないハラスメントについて(終わりに)


シャレにならない相談って、だいたいぼくが短歌の世界に入ってからも受けたよ実際に。(その前もありましたけど⋯。)

思い出す。だいたい始末が悪いのって若手だよね。やんちゃしたりするのって。あとで会計払ったりとかごめんとか言ってるの大体ネットができない年配の歌人じゃん。その意味をわかってない人いるじゃないか結社に入って。

それを老害よばわりして退場させておきながらさ、自分がやってることがこう、だとするとほんと日本の文芸は終わったぞ。日本の社会も終わってる。

俺もセクハラの相談とかたくさん受けたけど、だいたい「意」があるやつって、すごい相手を弄んでるんだよ。ギリギリのところで。そういうのは訴えようにも訴えようがない。

俺に面と向かって、実はさっき女としてきましたとか言うやついた。これセクハラではないかもしれないけど、女性をそういうふうにみてるんでしょ。

あと、相手を好きだから一応同意はしたけど、あまりにそのあとの対応が雑なので、「なんであんなやつにOKしたんだろう」といまでも後悔の念を抱いている女性からの相談すら受けたことがあります。

こういう若いやつがやるんだよ。名前出せないけど。何年か前の話らしいけど。

何も言えないのをいいことに、調子に乗ってこういうふうなちょっとした「悪いこと」をするんでしょ。それが一番相手を傷つけるっていうことがわからないのか、わかってるのか??

わかってたとしたらそれはもう同意はあったけどハラスメントでいいんじゃない?そんなことやってたら、どんどん基準が厳しくなっていくだけ。

時間が経ってからそういうやられた側、いわれた側の「こころの傷」が深いことに気づくので、言った側がこういうことに気づいていない可能性は大いにあります。だいたいルールを知らない老害がやるセクハラはわかりやすいから指摘しやすいです。しかし、ルールを知ってる若手がやってる見えないセクハラが一番厄介。

「意見がどう」とか、「意味がどう」とかと言う前に根本の心構えとか、姿勢とか、態度とか、心得とか、そういうの大事ですからね。きちんとしてください。

なんで今回山川さんと吉田さんの名前出したかぼくは理由もはっきり明示しておきます。

あーあ、この人ひどいなー、じゃなくて、次、こんなことをしてたらあなた達も名指しされますよ、っていう警告をしてるだけです。その観点がないから、好き勝手言えるんでしょ。自分が安全な場所にいるから論評できるわけです。

ことわざでありますよね。
「人のふりみて我がふり直せ」って。

ぼくは弱者かもしれないけど、矜持にかけてこういうことはしませんね。責任取りますし。ほんとに。胸糞の悪いまとめだと思いました。

今日は以上です。こういうの見せられてるから、自分が孤絶感を抱いていることに絶望してるんですが⋯。もう。

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西巻 真
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