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芸術と芸能とエンタメ(分載:SNSが変えてしまったもの)

ぼくのSNSに対する考察は3回目。今回は表現の質の三つの違いについて考えていく。まず、僕がこのことを思いついたきっかけについて書いておきたい。

以前、「アイドル」という楽曲でヒットしたユニット、YOASOBIのコンポーザー、AYASEさんがSNSなどでバッシングを受けているという記事をどこかでちらっと目にしたことがあった。どうも「アイドル」がヒットしたあと、AYASEさんが刺青(タトゥー)がきつくなっているということが問題視されてしまったらしい。

AYASEさんのタトゥーがきついことの何が問題なのか、問題視する側の意見を辿ってみたら「子どもが真似するから」という声が多数だったと知り、なるほど、と思った。

欧米で「子どもが真似するから」という理由でタトゥーに反対する親などいないだろう。そのくらい欧米は個人主義が確立されているからだ。しかし、日本はこの「個人主義」が欧米ほど確立されているわけではない。親や子どもたち同士もお互いをみて、お互いの格好を気にしたりする。

影響力のあるYOASOBIのメンバーがタトゥーをきつくしたら、タトゥーをきつくする子どもも増えるかも、と、親が懸念するのは、まさに「真似が芸を作る」という日本文化そのものの名残であるように思えた。

YOASOBIというユニットは、芸術家なのか、いわゆる芸能人なのか、それともエンターテイナーなのかがよくわからないまま、「アイドル」という楽曲がとてもヒットしてしまったので、お茶の間でも有名なユニットになってしまった。

YOASOBIが、本当にお茶の間にも受け入れられるエンターテイナーを志向しているのだったら(そんなはずはないが)、家族みんなで安心して楽しめるコンテンツを提供しなければいけない。つまり子どもが真似するような「悪い部分(きついタトゥーとか)」は見せないようにしなければならないし、ドラッグや暴力や過激なものを扱った楽曲はテレビでは流してはいけないと思う。

例えば本当のアイドルは決して「悪い部分」を見せない。
変な話、恋愛沙汰になっただけですぐグループ脱退になったりするのだから、とんでもない夢の世界だと思う。当然、酒やタバコは嗜んでいるところを見せてはだめだと思うし、別にそれが法的な「罪」に問われなくても、過剰にモラルを問われるところがある。

楽曲「アイドル」ではおそらくYOASOBIのふたりが全力で「アイドル」を演じていたのだと思うけど、そのことが、YOASOBIがエンターテイナーだという錯覚をお茶の間に広めたのだとしても不思議ではない。

これは日本で表現活動をする人間の宿命だと思う。

「お茶の間」で議論になるような、家族の誰かが不快になるような過激なものは、テレビで流すのはふさわしくない。テレビ放送というのは、こちらがお金を払って見に行っているものではなくて、向こうからお茶の間に「やってくるもの」だから、なるべくストレスなく、お父さんもお母さんも子どもも、みんなで楽しめるのがベストだ。

つまり社会は安全で、人間は悪事など働かず、もしそういう部分が見えたとしたら徹底的に「隠さなければ」ならない。そういう前提のもとに作られるのが、テレビというお茶の間が育んできたエンターテインメント空間であるように思うのだ。

僕はいま、芸術・芸能・エンタメと「悪」の取り扱いについて語ろうとしているのだけど、こんな考察へいざなうエピソードは枚挙にいとまがない。

僕たちの肌感覚のなかに確かに、芸術と芸能とエンタメ(エンターテインメント)という区分けが存在している、と思う。これは正確な意味での用語ではないけれども、日本では、エンターテインメントは戦後、テレビが普及するに従って発展してきた通念のような気がする。

それぞれの立場の、社会における役割が全然違っているし、区別はしっかりつけておかないと、生産的な議論にならないような気もする。

ところがSNS上ではこういうことに対するコンセンサスがないまま、インターネットがテレビより発達し、なにかSNS上で不毛な「それは非常識だ」という炎上やバッシングが繰り返されている気がする。SNSは、こういう棲み分けをゴチャゴチャにしてしまうのだ。

まだ「エンターテイメント」と「芸術」というものの違いがなかった僕が子供の頃、槙原敬之さんが薬物使用で逮捕されてしまうという事件が起こった。

その報道が出た瞬間、一斉に槙原さんのCDがCDショップから「自主回収される」という異様な光景がニュースの中継に映し出されて、僕は愕然とした。当時売れっ子だった槙原さんのCDが回収、そこに戦前の発禁処分のような不安をぼくは感じ取ったのだった。

今で言うキャンセルカルチャーとはちょっと違う、メーカーの「自主回収」という形で事態は起こり、芸能人が法的な罪を起こしたときのスタンダードとして、いまではこの流れはすっかり定着した。

これは確かCHAGE&ASKAの飛鳥さんが罪を犯したときにも同じような事態が起こった。芸能人が犯罪を犯すたびに、楽曲や主演映画が回収や発売中止になる、という処理が起こるようになった。

槙原さんがドラッグをやっていたことと、槙原さんの音楽の良し悪しって、果たして関係あるのだろうか。ぼくも槙原さんの音楽に励まされた事があるはずだけど、それと槙原さんの犯罪はまったく違う次元のことのように思ったし、それをまぜこぜにするのも良くない気がする。

しかし、残念ながら日本では俳優やミュージシャンは、おそらく「芸術家」ではなく「芸能人」むしろ、「エンターテイナー」の扱いになってしまっているのかもしれない。

執行猶予でもなんでも犯罪などおかしたら、ある種の社会的な制裁を受けて、仕事がなくなってしまう。つまり、彼らはアーティストである以前に、「悪」であってはいけないのだ。

しかし芸術(ぼくがやっている文芸など)の世界では話がちょっと違ってくる。死刑囚が短歌を書いて豊かな世界を見出す、なんてことは実例があるし、散文でも太宰治は本当にどうしようもない人だったが、彼がヒロポン(いまでいう覚醒剤だ)を常習していたとしても、彼の作品は文学作品(芸術作品)として不朽の価値を持っている。

文芸や芸術の世界では、「人間は悪になりうる」ということをテーマにすることが多いと思う。あるいはそういう善悪という社会的な常識を逸脱した人間そのものを書くことが多い。社会的な規範からは逸脱してしまったので、仕方なく芸術をやっているなんて変わり者は、社会では少数派だけど、こちらには数え切れないくらいいる。

金子光晴も永井荷風も夢野久作もとんでもない人だったけど、そういう人たちの作品のほうが長く愛されるのだから、文芸/芸術というのは不思議なものだと思う。

さらに、同じ芸能だったとしても、まだテレビが普及する前、私達が芝居や映画を「外に見に行く」のが主流だったとき、つまりお茶の間が形成される前は、「不倫は芸の肥やし」だったり、芸人はとんでもない社会不適合者だったり、覚醒剤くらいではびくともしなかった俳優もいたのを僕は知っている。

たとえば勝新太郎を思い出してほしい。

確か勝新太郎は晩年、マリファナやコカインの不法所持で逮捕されていたけど、それでもテレビの出演こそ減ったかもしれないが、いまのような謝罪、活動休止には至っていない。ずっと芝居には出演していた。

逆にいうと、テレビが普及して影響力を発揮するような世の中にはならず、お茶の間というものが形成されなければ、槙原敬之も、チャゲアスの飛鳥も、法を犯してそのまま表舞台から消えた俳優たちも、普通にその後も活動できたのではないか。

あるいはYOASOBIのAYASEのタトゥーは、「個人の自由」として誰からも文句を言われなかったのではないか。

実際僕たちは、不倫したり何回も離婚したりしても全然問題にならなかった歌人を知っているし、ある批評家はラジオ番組で不倫が事実だと告白しても「そもそも誰?」ってことになって全く問題にもならなかった。

こういうマイナーなジャンルで活動している人ほど、作者がモラルを欠いていたとしても活動しやすいのかもしれない。(その分お金にもならないけど)

さて最後にこの区分けを提示する。芸術とエンタメの間での悪での取り扱いを書いて終わりにしたい。

いまテレビ局がすごい勢いで不祥事を隠蔽していたことが明らかになった。

もしかすると、彼らこそがエンタメという社会通念を作り、テレビを面白くして、悪い部分を見せないようにしてきて、いま壮大な、何十年もかけたブーメランをくらっているようにも見えるのだけど、気のせいだろうか。

芸術/文芸 

表現の自由が大事。善悪で判断できない人間の真実を描いたり、社会的常識を覆す作品は歓迎される。作者自信が社会的な規範から外れていても問題ないし、むしろそういう人がやりやすい。現在は退屈であっても大丈夫。一度古典としてその価値が認定されれば、価値は永続的。


エンターテイメント(エンタメ)

疲れた人やほっと一息したい人に、励ましや勇気や癒やしを与え、社会に生きる人たちの活力になる。社会的常識や社会的規範を積極的に打ち崩すのはあまり歓迎されない。作者は悪であってはならないという性善説に立っており、可能な限り悪や非常識は隠蔽される。法的な罪はもちろん、不道徳であることも仕事を失う可能性があるが、商業ベースで成立するため収入はでかい。

芸能

芸術とエンタメの中間的な存在。面白さはそこそこ必要。エンタメ側なのか、芸術側なのかの境界が曖昧なため、芸術や文芸などと違って、法的な犯罪を犯しても、ジャンルによって活動できたりできなかったりする。古典芸能は芸術よりだが、ミュージシャンはエンタメより、などケースバイケース。お笑いなどはおそらく舞台芸能とエンターテイメントどちらにもあるので、「何が良くて何がだめか」の基準がわからないという声もみられるかもしれない。

ぼくは、今流行っているお笑いが何にあたるのか、全然そのジャンルを知らないので詳しくは書けない。むしろ今勉強中である。補足したり反対したりする人がいれば、ぜひよろしくお願いします。

また、このSNSの話は最後自分の専門である「短歌」の話になって終わるけど、いまちょうど混乱している時期なのかもしれない。4回で終われそうなので、次回が最終回になります。

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西巻 真
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