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神になった狸

近頃、たぬきに夢中である。四国の屋島に伝わる伝説に、1000年前に遡るたぬきの物語があるらしい。実はわたしの祖母は、源平合戦の物語を持ちネタとでもいうように、孫たちにちょくちょく話してくれた。源平合戦のハイライト那須の与一や源義経の八艘跳びの話しが大得意だった。そもそも祖母は芝居好きで、芸達者だった。声色をつかいながら弁士のように語る那須の与一や、義経の活劇は孫たちに大人気だった。そのたぬき版?これはおもしろい!たぬきの伝承話しを調べ始めた。たぬきの都市伝説はいろいろあるが、どのエピソードにも歴史的人物が出てくる。昔話ではたぬきはいたずら好きで人を化かす程度だけど、屋島ではもっとビッグな存在らしい。あるとき、命を助けられたたぬきは、人の役に立つことをしようと決意する。歴史的名場面でいくどとなく活躍したたぬきは、やがて「神」として四国の香川県にある屋島寺の『蓑山大明神』に祀られるようになった。この神社では、狛犬に代わって愛らしい「狛たぬき」が参拝客を出迎えてくれる。それほど有名な伝説のたぬきを祀ったこの神社に、一度はお参りに行ってみたいと思う。

高松市屋島に伝わるたぬきの都市伝説


香川県高松市屋島に伝わる化け狸の物語

屋島の山頂に位置する四国八十八箇所霊場第84番札所、屋島寺には「蓑山大明神由来」の説明板が掲示されており、そこには「屋島太三郎狸(やしまのたさぶろうたぬき)」という名が記されている。一方、伝説や民俗学に関する文献では、この狸は「屋島の禿狸(やしまのはげだぬき)」と表記され、太三郎狸の通称として扱われている。佐渡の団三郎狸淡路の芝右衛門狸とともに、太三郎狸日本三名狸と呼ばれる。さらに、スタジオジブリのアニメーション映画平成狸合戦ぽんぽこ』のモデル、とも噂されている。

屋島寺境内の蓑山大明神
出典:Wikipedia

平重盛に助けられたたぬきの子孫、太三郎狸が恩義に感じ、平家の守護を誓った。

たぬきが歴史の大舞台で活躍したわけは、平重盛の有名なエピソードにある。ある時、たぬきが矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。その子孫が太三郎狸だと噂されている。

河鍋暁斎画『狂斎百図』

伝説や民俗学の文献においては、「屋島の禿狸(やしまのはげだぬき)」と記され、これは「太三郎狸(たいさぶろうだぬき)」の別名としても知られている。また、この狸は、佐渡の団三郎狸や淡路の芝右衛門狸とともに、日本三大狸のひとつに数えられている。

たぬき王国、四国で千年も愛されてきたたぬきの伝承物語

四国は「たぬき王国」。度の過ぎるいたずらを繰り返すキツネを弘法大師が追放したためだ。おかげでたぬきにまつわる伝承は、讃岐に数多く残されている。この著名なたぬきにまつわる伝説はとても多く、しかも1000年の年月を超えて、子から孫へ、またその孫へと伝えられてきた。

盲目の鑑真和上を山頂に案内した太三郎狸

唐の名僧・鑑真が日本に渡り、奈良へ赴く途中のこと。瀬戸内海を船で移動していると、山頂に光り輝くものの気配を感じ、すぐにその地を訪ねることにした。そこで盲目の名僧を山頂まで案内したのが太三郎狸であったとされる。その後、山頂にお堂が建てられ、多くの僧がこの地を訪れたが、太三郎狸は蓑笠をつけた翁の姿で、彼らを山頂まで案内したと伝えられている。

唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和上坐像」
出典:Wikipedia

屋島で世話になった空海、太三郎狸を屋島寺の守護を任せる

空海が屋島のふもとにさしかかった際、すっかり道に迷ってしまった。すると蓑(みの)をかぶった老人が空海の道案内を務め、事なきを得た。この老人こそが太三郎狸。空海は現在の屋島寺の地に寺院が移されると、太三郎狸にこの寺の守護を任したと言われている。やがてこの経験をとおしてさまざまな僧との交流から、太三郎狸は学問の大切さを悟る。それから屋島に狸の大学を設けて、多くの名のある狸が修行を積んだということだ。

瀕死のところを助けられた太三郎狸、全力で平家をサポート

先祖が瀕死の重傷を負ったところを救済され、子孫にあたる太三郎狸は平家を全面的に支援する。しかし、その努力もむなしく、平家は滅亡。その後も太三郎狸は屋島に住みつき、屋島に戦乱や凶事が起きそうなときはいち早く屋島寺住職に知らせた。こうした功績が認められ、太三郎狸は屋島寺の守護神となった。狸の世界でも、その変化妙技は日本一と称され、やがて四国の狸の総大将の位にまで上り詰めた。

源平合戦 出展:Wipipedia


大寒になると300匹の眷族が屋島に集まり、太三郎狸はかつて自分が見せた源義経の八艘飛びや、弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたとい伝わっている。また屋島寺の住職が代替わりする際にも、寺内の庭園「雪の庭」を舞台とし、合戦の模様を住職の夢枕で再現してきたと伝えられている。

語り継がれる、太三郎狸の歴代の人間への支援

江戸時代になると伝説は、芝右衛門狸、喜左右衞門狸といった有名どころの狸と化け比べになる。例えば太三郎狸が得意の屋島の合戦を先に見せると、相手方は後日に日時を指定して太三郎狸を呼び出す。指定された場所では、その時刻に豪華な大名行列がやって来る。見事な化けっぷりに太三郎狸が声を掛けるといきなり「無礼者!」と斬り掛かられ、命からがら逃げ出してしまう。実は本物の大名行列が通る日時を聞き出して、太三郎狸を騙したというのオチである。

江戸期における太三郎狸の活躍と悲しい結末、そして復活

さて、江戸時代の終わりには、阿波狸合戦(金長狸合戦)の遺恨勝負が起こる。太三郎狸はことが起こる寸前に仲裁役を買って出て、この後の遺恨をすべて封じるという大物の貫禄をみせる。しかし伝説はどんでんがある。この後、太三郎狸が猟師に鉄砲で撃たれて落命したというのだ。しかし、これからが興味深い。太三郎狸は、その後狸憑きとなり、そこでもさまざまな予言や憑き物落としをして人助けをしたと伝えられている。この伝説は太三郎狸が民衆に愛されてきたかを如実にあらわしている。民衆は厳しい暮らしの中にあり、この苦しみから助けてくれる存在を、この太三郎狸に見ていたのかもしれない。

金長の像(金長神社)
出典:

日本文化の根幹には、いつも民衆を救済するヒーローの存在が…

そして明治時代になると、日露戦争の際に中国大陸へ渡って日本軍の味方をした太三郎狸。小豆を兵隊に変えて、援軍で戦ったという勇ましい伝説が残されている。いつの時代も、人は苦しみから救ってくれるヒーローを求めている。八島には力強い太三郎狸がいた。この伝説が1000年もの間語り継がれたのは、暮らしの近くに狸がいたからだ。化かす能力のある狸に、人が希望を見出していたのは、なんともほほえましい。この美しい救済装置こそ、日本文化の根幹のように思えるのである。


タヌキだってがんばってるんだよォ、映画『平狸合戦ぽんぽこ』

1994年(平成6年)にスタジオジブリのアニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(へいせいたぬきがっせんぽんぽこ、英題: Pom Poko)のキャラクターは、この「太三朗狸」がモデルとなったことが知られている。

高畑勲監督の長編アニメーション映画化第8作。キャッチコピーは「タヌキだってがんばってるんだよォ」。

『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)予告編
Youtube投稿:映画のレオナ

井上ひさし作「腹鼓記」に登場の『屋島ノ禿狸』

1985年(昭和60年)に出版された、井上ひさし著の小説『腹鼓記』では、狸世界唯一の綜芸種智院大学の学長、四国狸一万余匹を統べる「屋島ノ禿狸」として登場する。どうも太三朗狸を指しているようだ。
※『腹鼓記』は、1981年1月から1985年5月まで「小説新潮スペシャル」と「小説新潮」に掲載された後、新潮社より刊行された。


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