骨壺専門店を起業
骨壺専門店を起業して16年目。
お客様にもよく聞かれます。
「どうして、始められたんですか?」って。
それは自分でも不思議で、行きつくまでに別の道もあっただろうに
「よし!骨壺専門店をやる!」と奮い立ったわけではなく、
思えばあらゆる出来事がここに通じていたというか。
そう思えたというか。
砂場の穴にストンと入った感じです。
骨壺の周辺にある宗教や供養や埋葬のことも深く知りませんでしたが、
お付き合いする業界の方々やお客様から、学ばせていただいたという面が多分にあり現在に至っています。
私は子供が小学低学年の頃、家賃が安い場所への引っ越しを決めました。母子家庭であり、新しい環境(地域、学校、友人)にうまく馴染めるかという心配が生じました。そんな時に、子供から犬(マーフィー)を飼いたいとせがまれ、私は強く反対することもできず「世話は自分でやること」という約束をし飼うことを承諾しました。
今、改めて考えてみても、マーフィーを飼ったことは私たちにとって、とてもいいことでした。
1. 新しい町で知り合いがいない私たちに、警戒心なく接してもらうことができたこと。
2. マーフィーの散歩仲間と、とてもリラックスした関係を築くことができたこと。
3. 地域の一員として認識され、スムーズに地域生活を送ることができたこと。
4. 子供も学校から帰ってきても一人ぼっちでない安心感を得ることができたこと。
目に見えない恩恵を十分すぎるほど得ることができ、マーフィーと過ごした場所は一番好きなところです。
マーフィーの仲間はゴロちゃんとハルちゃん。
ゴロちゃんは具合が悪くなり通院していましたが、ある日お別れの日を迎えてしまいました。我が子のようにされていたので、葬儀や火葬が終わり少し落ち着かれた頃に「お墓を探しているけれど近くに無いの」と寂しそうにされていました。ふっと、渡辺淳一の「泪壺」(※愛妻を亡くし遺骨を粉骨にして壺をつくるという内容だったと記憶しています)を思い出し、(ゴロちゃんの遺骨で壺がつくれないかなあ)と考えたので、尋ねると「そんなことができいるなら是非そうして欲しい」ということでした。最後に残されたゴロちゃんのご遺骨と離れたくないと思われていても決しておかしい事ではありません。近くにあることはとても本人にとって心強いことだったと思います。ただ、当時「神聖な場所である窯にペットの遺骨が入った壺を入れる」ということは受け入れられませんでした。
まだ、ペットロスも一般的でなく私も無知でしたので、希望を叶えられなかったことは重く心に残りました。
それから、16年経ち、少しづつ世の中が変化し、望んでいたことが具現化できることになったのです。壺ではなく、いつも身につけておけるブレスレットという形で叶うことになりました。そしてそれは、すぐにペットから人へと広がり、商品も伝統工芸品の骨壺を取り扱うようになりました。
軽率に言い、期待させてしまった彼女への贖罪の気持ちや、その時のあらゆる状況がこの道にストンと。
立ち上げてからも順風満帆では決して無く、お金のことを筆頭にあまり理解されない事業でもあり、起業早々に脅しにあったり、叱られたり、笑われたりと、今、ようやく(市民権を得られるかな?)ってところです。
泪壺を言い出してから32年も経ちました。
のろのろ運転もいいところで、少しずつ経験してきたことを書き綴っていきたいと思います。