「やりたいこと」と「やりたくないこと」。2つに分けられるほど、わたしたちの気持ちは単純じゃない
こんにちは、スピライター・Cocoです。以前の記事でもお伝えしている通り、元々5年間ほど、「引き寄せの法則」にまつわるさまざまなメソッドを実践するも、なかなか実を結ぶことのなかった筆者。しかし、ここ数ヶ月で、形勢が大きく転がり、諦めていた願望たちも続々と実現するようになりました。
前回は、そんな筆者自身の人生が好転することとなった理由は、「“視点”のもちかた変えたことだった」だっという内容をお届けしましたが、今回も
現在の筆者の考え方のベースに色濃くある、「やりたいこと」「やりたくないこと」の線引きの基準についてお話をしたいと思います。
新卒でSEになるもののストレスで休職。転職を繰り返すも、長続きしなかった過去
実は今思い返すと、よくもここまで生きてくることができたものだと、そんな感覚すら湧いてくるほど、筆者の半生は決して明るいものではありませんでした。生きてゆくことの意味や喜びを感じることができず、周囲に敵意ばかりを向けて、この世界で駒を進めてきたものですが、いくつかある暗闇の中でも、かなり明度が著しく低かった時期というのが、一般企業に勤務していた社会人期間のことでした。
筆者の経歴については、以前にも少し触れましたが、私はちょうどスマートフォンアプリが世に出始めた時分にIT企業へシステムエンジニアとして就職。数年は現場で開発業務に携わり、その後、バックオフィス側である人事職へ転身することとなります。
さらりと話だけ聞けば、何ら問題のない、一女性の経歴ではありますが、この一連の期間の中で筆者は心を保てなくなり、「休職をする」という選択をとることとなります。そして最終的には、この企業で自らの居場所や働くことの喜びを見出すことができず、他企業へ転職をする、という結末を迎えたのでした。
転職も、休職をしたという事実も、どこの企業においてもさほど珍しくもない話。今の時代、特に騒ぎ立てるほどのことではありませんが、筆者はその後も、ちいさな編集プロダクションや化粧品メーカーなどを渡り歩くも、いずれも長続きせず、またそれに呼応するかのように、プライベートでも、パートナーとも不和が多く、心をすり減らす期間が長く続いたのでした。
このように、20代はいくつかの職場を転々とした筆者の社会人生活。結果としては、「ここで腰を据えて頑張ろう」という場所に出会うことはできなかったものの、元はといえば、どの職場も、当時は「その仕事をやりたい」という想いが、多少なりとも心にともったからこそ、そもそも自ら志願したわけですし、少なくとも「やりたくないこと」ではなかったはずです。
でもいつも転職をする度、自分の「やりたいこと」を描き直して、次こそこれだ!と思って飛び込んでみても、思い通りにいかないし、いつも同じところでつまづいているようにも思える。
そんな進歩を感じられない現実を前に、それこそ当時の筆者は、引き寄せの法則に関わる書籍を読み漁り、自分を変えたい、現実を変えたい、ともがき苦しんでいたものでした。
「やりたいこと」だと思っていたのは、「相対的にやりたいこと」だった!?
ーあれから10年近く経った今。改めて思うのは、あの頃の私は「相対的にやりたいこと」を選んでいたな、ということです。
考えてみれば、自然なこととも言えるのですが、わたしたちは日常生活の中で、自らの目の前に差し出された選択肢の中から、ひとつのものを選びとることが多くあります。カフェを訪れれば、メニューにある飲み物のリストの中から好みの一杯を選びますし、転職先を探すために専門サイトにアクセスすれば、当然、そこに掲載されている企業の中から、受けたいと思う企業を選定することでしょう。
当時の私も、何ひとつ違和感をおぼえることなく、エージェントから紹介された企業を見比べ、相対的に自分にふさわしいと思うものを検討していたものです。
もちろん、そうした選択に基づく行動を決して否定するわけではありません。誰だって具体的な選択肢を知らずには、「そもそも何と何を検討すればよいのかすらわからない」なんて混乱にも陥ることでしょう。
ただ現在の筆者が感じているのは、「心からやりたいこと」と「相対的にやりたいこと」の間には、容易には埋められないほど大きな溝があるということ。そう、わたしたちは世の中のものごとを「やりたいこと」か、それとも「やりたくないことか」の二つに色分けしようとしがちですが、おそらくふたつにキレイに分類できるほどそれらは単純なものではなく、さらには、四分類程度には定義できるのではないかと、筆者は思うのです。
「やりたいこと」「やりたくないこと」を細分化してみる
筆者の考えるその四分類とは、具体的にこうです。
1. 本心からやりたいこと
2. 相対的にやりたいこと
3. 気がすすまないが、やった方が良さそうに思えること
4. 絶対にやりたくないこと
そう、上記に並べたように、私達が本心から思う「やりたい」「やりたくない」の間には、外部要因から影響を受ける、「曖昧なやりたい」もしくは「消極的なやりたい」とでも呼ぶべき感情があると考えられるのです。
冒頭に述べたように、ここ数ヶ月の間で劇的に人生が好転し、「こうなったら最高!」と思い描いていたものたちが、日に日に実現をしはじめた、最近の筆者。今現在の立場から、先の四分類をながめてみると、私が現在していることは、圧倒的に1.の占める割合が多いといえるのです。
もちろん今も尚、筆者の身の周りでは、さまざまなことが発生します。詳細は別稿にゆずるとしますが、3歳の娘の母という立場でもある筆者は、育児に関して悩むことも日常茶飯事。しかし、こうしたことでつまづく場合、たいていその原因は、この四者のうち、2,や3,に手を出してしまっているときだと言えるのです。
すべての選択は「本心からやりたいこと」に辿りつくためのプロセス
禅問答のようなことを言いますが、わたしたちは「選択するものがあるからこそ、何かを選ぶことができる」というのも、また事実です。どのような選択肢がこの世界に存在するのか、そこを一から自らの手で調べようとすることは、あまりにも非効率といえるでしょう。だからこそ、自身の判断材料の肥やしにするために、情報の引き出しを一段でも多く持っておくことは賢い心持であるといえるでしょう。
ただしそれは、何を目指すためのものかといえば、それは2.や3.を知った上で、最終的に1.に到達するためのものであるべきだと、筆者は思うのです。そして、自身の本心から目をそらすことなく、「心の底からやりたい」と思えるものを選んだときこそ、あなたのその意識や態度に呼応するように、現実も妥協や我慢を必要としないものへと花開く、そんな法則を筆者はここ数ヶ月で知ることとなりましたし、今後も身をもって生き証人となってゆきたいと考えています。
おわりに
本日も貴重なお時間をいただき、決して短くはない本稿をお読みいただき誠にありがとうございました。次回以降は、再び具体的なエピソードも添えながら、みなさまにとって「自分もやってみたいな」と思っていただけるような、実践的な内容もお届けできればと考えています。次回もお楽しみに。