ケーキの切れない非行少年たちを読んで
「ケーキの切れない非行少年」を読んで
率直な感想は「衝撃」「悲しみ」の二言だ。
非行少年がどういった背景で罪を犯すのか考えたことがなかった。「親の教育が悪いんだろう」なんでぼんやりしたことしか頭に浮かばなかったが、この本で教えられることは、もっと根本的な非行少年たち一人ひとりの持って生まれた「能力」であり「欠陥」であった。非行少年の多くは知能指数、いわゆるIQが低い軽度の知的障害があったり、知的障害まではいかないが、標準的なIQの人と並んで生活や学習をしていくには難しさのある「境界知能」であるらしいのだ。それだけじゃない。知能の低さとは別に、ものを見る力、聞く力が実は低かったり、身体の使い方の不器用さ(力の加減や運動能力)がある場合が多く、そのせいで小学校からほかの児童と同じように学校生活を送れず、教師に叱られたり(しかしその説教の内容も理解出来ない)、いじめの被害者になってしまう。そのストレスが非行への引き金になっていたのだ。自身が加害者になり少年院に入ったのちも、被害者の立場にたってものを考える共感能力の低さから反省をすることもできず、きちんと育たず歪んだ認知では「何故自分が怒られているのかわからない」状態のままなのだ。そんな状態で少年院を出ても再犯を繰り返すのは当たり前だろう。
非行少年になる前に、たくさんのSOSをきっと出していたはずだった。でも発達障害、知的障害とも診断されず、ただ「生活態度や学習面が他の児童より劣る」という見方しかされないで終わってしまうなら、非行少年は減らない。しっかり一人ひとりと向き合い、「この子はなにをどこまで理解できるのか」を注意深く見て、話して、落とし込んでいく必要がある。
父親が絶対、モラハラ、ときにはDVもあるいわゆる「機能不全家庭」で育った私は、20代前半である精神疾患だと診断された。そのときに病院で行った精神検査では「知能は並であるが、協調性に難がある」と言われた。それともう一つ、「心の病という言葉で表されるけど、脳の病気です」とはっきり言われたことを覚えている。大脳の衝動を司る部分が上手く機能していないとのことだった。歪んだ認知でこの世の中を生きるには、すごくすごく生きづらさを感じている。小学生の頃から違和感はずっとあって、当たり前のように朝起きて学校へ行くこと自体が私にはかなり苦痛だった。そのストレスは他者への暴力や自傷(私の場合は抜毛)など、それこそ非行にこそ走らなかったものの、なにかを傷つけることで違和感や苦痛やもやもやを外に出していたのかも知れない。その後20代に入ってから後ろめたい過去もある。自殺未遂も繰り返しては病院に運ばれた。
非行少年の気持ちが、痛いくらいわかってしまう。どれだけ生きづらかっただろう、理解されない苦しみがあっただろう。もし誰かが気づいてくれていたら非行には至らなかったかも知れないのに。そう思うと、この本を読んで悲しさに打ちのめされた。
本には「現代社会を生きていくにはIQは100程度ないとしんどいとされている」とあり、非行少年の多くの境界知能または軽度の知的障害があればしんどさは計り知れない。車を運転する、スマホを片手で持ち、片手で操作する。そういった疑いもなく出来る普通のことも、身体の使い方が不器用な人にとっては難しい作業になる。「出来て当たり前」なんてことはないのだと思った。
私は自身が生きづらさを感じて生きてきて、母や主人の支えがある今も尚、難しいと感じる多くのことがある。私の願いは同じように生きづらいと感じている人が一人でも減ることだ。この本は子どもに関わる全ての人、生きづらさを感じている人に読んで欲しい。親や教師だけでなく、社会全体が子どもと、一人の人間と向き合っていけるものになりますように。
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