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研究と、これから。D進と就職で揺らいだあとに。

2019年の1月7日に、修士論文を提出した。2017年1月に提出した概論的な卒業論文の一部を深めた内容になっているので、約3年のプロジェクトが終ったようなものだと思う。

修士論文は、ざっくりいうと、大学の寮が多文化共生の場としてどのような特徴を持つかについて検討した。より具体的に言えば、寮の中で、多様な人々がどのような関係を結び、交流し、さらにその交流から何を得ているのか(寮での異文化交流、学び)。そして、それら寮で学生が得た経験や知識を、大学がどのように支援することが可能なのか(寮への支援)、について書いた。

修論については、(本当は良くないのかもしれないけれど、)結構満足してしまった、というのが本音である。

そして、結構満足した出来になったことで、就職をとりあえずは選んでよかったなと思うようになった。研究は好きだから、博士に行く人を少しいいな、とは思うけれど。

私は、元々博士課程に行くか、就職をするのかでずっと悩んでいた。悩む、というと重たいけれど、もっとポジティブなものも含めて、ずっと頭の片隅にこの問題はあって、常に考えていた。博士に行くメリット、デメリット、就職するメリット、デメリット。ただ漠然と悩むのではなくて、OB・OG訪問も沢山したし、インターンもした。学振も出した。「常にPlan Bを用意しなければならない」という友人の言葉を胸に、就職と博士の進学、どちらの準備も進めてきた。

その中で思ったのは、「博士に行かない方がいいかもしれない」ということだった。それを一番思ったのは、学振の書類を書いているとき。博士での研究計画が、もう、「これじゃない」感満載、炸裂。自分の卒論からやりたかったことが、一度修論でまとまってしまうことに気づいた。でっちあげて、それっぽいことを書類には書いたけど、なんか違うなあ、こういうことをやりたいんじゃないよなあ、と。

そもそも、自分は結構、広く、深めにやりたい、という感じで、関心があるテーマは割といっぱいあって、統一性がそんなにない。多文化共生もやりたいけど(やったけど)、ジェンダーにも関心があるし、病気を持つ子どものケアなどにも興味がある。博士号を取りたいというよりは、願わくば、同じ修士号(教育(社会学))を複数の違うテーマで論文を書いて取りたい、という感じに近い。修論で書きたいテーマは、あと三つくらいある、そんな感じなのだ。

いつか、もっとも深めたいテーマを絞れて、その研究成果が博論レベルになりそうだったら、博士に戻るのもいいと思う。日本は、一度学校を離れると、学び直しがきかない社会と言われるけれど、実際博士課程には就職した後戻ってきた先輩や、働きながら、子育てをしながら、博論を書いている先輩もいる。就職予定先にも博士課程に所属している先輩も何人かいるし、戻ろうと思えば、戻れると思う。でも今は、博士に行くタイミングではないと思う。修論でやりたいことは一通りやってしまったし、関心も定まっていないし。とりあえずは、修論を査読論文にして、できれば、新しい調査も始めたい。自分のペースで、研究をこれからも続けていくこと、それが当分の目標です。

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