子供が愛せない
私には3人の子供がいます。
今、自分の育児を振り返ると...
とても子供たちに申し訳なかったな...と思うことがあります。
長男を妊娠した時、実は私はタバコを吸っていました。
初めての妊娠なのに、私はタバコを止めることができませんでした。
毎日罪悪感と戦いました。
病院の先生にも黙って、ずっとタバコを吸っていました。
極度の心配症なのに、こういう部分はすごく欠けている....
わかっているのに、やめられない自分を毎日責める。
初めての妊娠だったので、自分の中に新たな命が宿っていることを、愛おしく幸せな気持ちになる反面...本当にこんな私が母親になれるのだろうか...という一抹の不安に苛まれて10か月過ごしました。
出産の当日
陣痛が来ないけれど、赤ちゃんが大きくなりすぎてしまったので、陣痛促進剤を打って出産に挑みました。
その日、ちょうど学生の研修医が10人ほど来院していたようで....
こともあろうか、私の出産に立ち会う!という事態となってしまったのです。
当時、そんなことを知らされているわけでもなく、急に!!!!しかも、陣痛が始まっている最中( ;∀;)
「研修医が入りますが、気にしないで出産してください」と、看護師さんに言われて唖然( ;∀;)
主人にも立ち会わないで!とお願いしている私が、赤の他人に立ち会ってもらう出産....
すごい地獄でした。
初産だから、私は案の定...のたうち回りました。
「痛い痛い!!!!」の連呼
初めての事だらけなのに、看護師さんに
「なんでこんなに騒ぐのだろうね!!!」と叱られて...中には、
「そんなに騒ぐかよ(笑)」と私を笑う看護師さんもいました。
研修医の中には、失笑している人もいました。
HSPの私としては、すごくつらい出産でした。
その後、やっとの思いで長男を出産し、安心していたのもつかの間...
授乳するとき、乳腺が開通していなかったので、おっぱいマッサージを受けることにしました。
この世のものとは思えないほどの痛みで、失神寸前でマッサージを受けていました。
あまりにも痛くて、涙をこぼしていると、助産師さんに
「これがお母さんとしての仕事なんだよ~!頑張ろうね」と声をかけてもらったとき...
「私が母になるんだ」と改めて実感したのを覚えています。
病院を退院した後、実家に約2か月ほど帰省していました。
自宅に戻っても、ほとんど主人は仕事でいないため、主人からも実家に帰って育児をしてくれると安心すると言われていました。
その頃、主人は私がいないことを期に、結構な勢いで遊んでいたようですが...私にも余裕が全くなかったので、そのことを見てみないフリをしていました。
そんなこんなで、長男が首が座ることろに自宅に帰り、家族3人で生活をすることになりました。
この頃の記憶が全くないのは、初めての子供で親も友達もいない場所で必死すぎていたためだと思います。
今のようにネットで情報を簡単にゲットできる時代ではなかったので、何かあればすぐに病院に行ったり、児童相談所に通っては、不安材料をゲットしていました(笑)
発育がちょっとでも外れていると、すぐに不安になります。
定期的に行われる発育測定や育児相談に行っては、人と違う部分ばかりを探して不安になっていました。
その頃、本当に育児が苦痛で仕方なかったのです。
笑顔が出るのは人の目がある場所だけで、子供と一緒にいるときは、ほとんどボーとしていました。
主人がいるときに、色々手伝ってほしいのだけれど、主人も仕事が忙しいのを知っていたので、安易にお願いができないのです。
義理両親にもお手伝いは到底頼めませんでした。
というより、お願いをするなんて「ダメ親」と思っていました。
自分の子供は、自分が育てるのが当たり前だし、人にお願いするなんて、絶対にしてはいけない!とまで思っていました。
家事も完璧にこなしてました。
3食すべて手づくりだし、家事もすべて必死でこなしました。
長男は、完全母乳だったので、夜はほとんど寝てくれませんでした。
かといって日中も元気が良いので、長男が寝ている時間に私も寝ないと、寝る時間がないくらいハードでした。
育児ってこんなにつらいの?????って、毎日思っていました。
少しづつお友達ができるようになり、そのママ友の生活のリズムを聞くとびっくり!私と全然違うのに、カルチャーショックを受けていました。
育児に旦那さんや義理両親、自分の両親に積極的に手伝ってもらったり、それでも大変な時は、一時預かり所に預けて買い物行ってるとか....
えーーー????
めっちゃうらやましい!!!!
うちの主人は、おむつ交換、ミルクを上げる、夜中子供をあやすなんてことやったことがありません。
子供の首が座ってから、ようやっとお風呂に入れてくれるようになりました。
でも、当時、それだけでもすごい助かりました。
家事も一切やりません。買い物は、気が向いたときに行ってくれるけど、機嫌が悪いと行きません。
なんで、こんなにつらいのか....といつも泣いていたのを覚えています。
Hss型Hspでなかったら、簡単に主人にお願いができただろうし、他の機関にお願いをすることもできたでしょう。
義理親に甘えることもできたし、自分の両親にもお願いができたかもしれません。
しかし、私はできませんでした。
私はこの子供の母親なんだし、仕事もしてないのだから、この子供のためだけに命を使わなければいけない!!!と使命感でいっぱいでした。
そもそもこのことが、自分を追い詰め、切羽つまり、虐待寸前まで追い詰めてしまったのでしょう。
今思うと!!!何です。
当時は、そんなことを考える余裕が全くありませんでしたし、このような情報を手に入れる機会もありませんでした。
当時、私のような人の体験談のブログなどが読めていたら、もっと楽に育児をしていたのかもしれません。
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