死んだからって売りたいわけじゃない。本気で思っていたけど、そういうことじゃないかもしれない。
著名人が死去したというニュース。
その度に、「追悼コーナーを」「商品手配を」という話に、なる。
すきじゃない。だから、基本的にやらない。
お問い合わせがあれば対応するし、注文も受ける。でも、店頭で目立つように、なんてやらない。
そう思っていたのだけど。
いま、わたしはコーナーを作ってもいいかもしれないと、思っている。
今月、詩人の谷川俊太郎が亡くなったというニュースが流れた。
著作は多く、文庫やえほんや他にもいろいろ。
報道以降、元から平積みしていたものに限らず棚からも売れていて。商品手配もかかり。
これが入荷したら、普通に棚に出そうと思っていた。
でも、今回なぜか、考えちゃって。
いや、なぜか、なんてことはないんです。亡くなったのが、他ならぬ谷川俊太郎だったからだと思う。
そんなに熱心にこの人の詩を読んだわけじゃない。
でも、小さいころから当たり前のように存在していて。「詩人」って言ったら、他の人の名前が出てこなくても、たぶん谷川俊太郎の名前は出てくるっていう人は、それなりにいるだろう。
鉄腕アトム、これはのみのぴこ。詩人としてじゃなくたって、なにかしら、知っているものがあったりもする。
わたしは『PEANUTS』というコミックがだいすきだ。
そう、スヌーピーが出てくるやつ。あれの翻訳は谷川俊太郎だ。
たぶんわたしが人生ではじめてふれた谷川俊太郎は、『PEANUTS』だった。
亡くなったことによって、谷川俊太郎の本を手に取りたいと思う人がいる。
それは、ミーハー心だったり、手放してしまった本への思いだったり、きっといろんなものがあると思う。それが「売上」という、お金や利益に結びつくから嫌なのだ。
人の死がお金儲けのチャンスみたいになるから。
でも、わたし、忘れてほしくない。と、思った。
谷川俊太郎という詩人がいたこと。その詩人の本が、今、まだなんの障壁もなく書店で買えるということ。生きている間は当たり前のように、特別思い出すこともなかったかもしれない人たちが、もし、これをきっかけに思い出したのだとしたら。
そんな人たちが、書店に来てくれたのなら。
少しくらいわかりやすく陳列したって、いいと思った。
売りたいとかそういうんじゃなくて。もっと純粋に、手にとってほしい。と思う気持ち。ふれてほしい。という思い。
書店員だから、小売業だから。売上がないとどうにもならないし、それを積み上げていく仕事をしているんだけど。
こういうときは、そうじゃなくて、もっと違う気持ちで佇んでもいいはずだ。
重版中のものがいつ頃届くか分からないけれど、入荷したら、少しは目に入りやすい位置に出せるように。その表紙をみて、また思い出してもらえるように。
それもわたしの仕事だから。