「ローマの休日」と「千と千尋の神隠し」の類似点
※この記事は「ローマの休日」と「千と千尋の神隠し」のネタバレを含んでいます。ご注意ください!
はじめに
名作と言われている映画「ローマの休日」を鑑賞した。とても素晴らしい映画だった。
しかし、何か引っかかるところがあった。
そのストーリー構成に、どこか、既視感があったのだ。ストーリーのパクリとかそういう話ではなく、もっと抽象的なところで。
うーん、と考えて、ようやく思い当たった。
あ、これは「千と千尋の神隠し」ではないか、と。
「ローマの休日」あらすじ
ローマの休日の、物語のあらすじはこうである。
ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまう。
その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで、無防備にも路傍のベンチでうとうとし始める。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう。眠くて仕方のない王女は、詩を朗読して寝てしまう。
翌日の昼になって、彼女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
アンは、市場での散策を楽しむ。まずサンダルを買い、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後ジョーとベスパに2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで、自由と休日を活き活きと満喫するアン王女と新聞記者のジョーの男女仲は、次第に近づいていくのであった。
※Wikipediaより
アン王女は、道端で眠りこけているところを新聞記者のジョー・ブラッドレーに助けられる。
しかし、王女という身分を明かせないので、自らのことを「アーニャ」と名乗る。「アーニャ」という女性は、アン王女から、王女としての立場が取れた人間と言えよう。
そしてこの映画は、「アン王女」が「アーニャ」へと変身し、一時的に自分の世界とは全く異なる世界を旅しながら成長していく話だ、と捉えることができる。
「ローマの休日」と「千と千尋の神隠し」の類似点
「主人公が、まったく違う自分になり異世界を旅する」という「変身してトラベル」が作品の本質であるとすると、その形はそっくりそのまま「千と千尋の神隠し」にも当てはまる。
ご存知の通り「千と千尋の神隠し」は、「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」のキャッチコピーで有名なジブリ作品だ。
主人公・千尋は、その不思議の町に紛れ込み、「千」として生きていくことになる。千尋は、不思議の町で両親を助けるために働きながら、成長していく。
ストーリーとしての形は、どちらも「主人公が、まったく違う自分になり異世界を旅する」ということになる。
その異世界は美しいのか。あるいは、恐怖なのか。その世界を自分はどう受け止めるか。どう、生きていくのか。
どちらの作品も、「主人公が成長して、その結果元の世界へと戻っていく」という点で、恐ろしいほどに共通している。
「アン王女」と「アーニャ」で考えるストーリー
アン王女と、アーニャの関係性を、もう少し深く見ていく。
この映画は基本的にはラブストーリーなので、批評するとなるとブラッドレーとアン王女との関係性についての言及が多くなってくると思う。
しかし僕は、そのラブストーリー的要素より、むしろアン王女の成長のほうに目が向いた。
そのアン王女の成長軸に焦点を当てると、プロットはこのように理解できる。
アーニャとしての自我が芽生えるアン王女
↓
アーニャとしてローマを旅し、謳歌する
↓
アン王女として生きる決意を固める
↓
アン王女として職責を全うする
ブラッドレーと最後のドライブで別れてからのアーニャは、すでにアン王女として生きていく強い決意を固めている。
「そうでなければ、私は…。」と王室で語るシーンにおいて、「…」にどのうようなセリフが入るかは、容易に想像可能である。
もはやアン王女は、寝る前の儀式も必要なくなっている。アン王女は、ミルクや睡眠薬なしでも眠れるようになっている。
そして、最後の会見シーンがやってくる。
美しすぎるラストシーン
ローマの休日で描かれる、最後のシーンがとても好きだった。
この最後の会見では、アン王女は終始、完璧なアン「王女」へと成長している。かかとが気になって、靴が脱げてしまうアン王女はもういない。
すごいのは、オードリー・ヘップバーンが、「アン王女」と「アーニャ」の笑顔を使い分けているところにある。アーニャの時に見せていた無邪気さは消え、そこには王女としての強い自覚を持った、一人の女性がいた。彼女は、名実ともに、王女になったのだ。
しかし、である。この完璧なアン王女は、最後に一瞬だけ、アーニャに戻ってしまう。
「どこの首都が一番お気に召しましたか?」という記者の質問を受け、少し言葉につまるアン王女は、「どの街もそれぞれに良かったと」と、側近からのささやきを受ける。
そして、「どの街もそれぞれに…」と話し始めるアン王女だが、やっぱり、「ローマ!」と言い切ってしまうのである。
そしてこの「ローマ!」と口にする瞬間、アン王女は、一瞬だけ「アーニャの笑顔」に戻るのだ。
この笑顔を、おそらくオードリー・ヘップバーンは、天性のセンスで表現しているのだと感じた。つまり、アン王女として会見に立ち、そこで、一瞬だけ、アーニャというほころびを、無意識のうちに見せてしまうのである。
このシーンで、オードリー・ヘップバーンという女優の凄さを知り、思わず涙が出た。
いろいろな見方、楽しみ方ができる「ローマの休日」
今回は、「ローマの休日」という作品を、「千と千尋の神隠し」との関連性や、アン王女の成長という観点から見てきた。
しかしながら、この作品はラブストーリーとしても楽しめるし、ローマ観光ガイドとしても役に立つ。
良い映画は、さまざまな楽しみ方を与えてくれるのだな、と改めて感じさせられた。
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