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「例えば」という往復切符
すごく細かい話をするのだけれど、「例えば」という接続詞が好きだ。
それは僕らを、旅へ連れて行く。
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まずは、こちらのCMを見てほしい。
TAKA(ONE OK ROCKのボーカル)はこんな風に言っている。
そのマシンは、人間について考えていた。
人間の知性も野生も感性も、開発し尽くされてはいない。
五感は、もっと研ぎ澄ますことができるだろう。
たとえば、身体を大気に晒すことで初めて目覚める才能だってあるはずだ。
人間をもっと知りたい。そう思った。
ここでは、4行目が「例えば〜」という風に始まっている。3行目までの文章を受けて、4行目で例示をし、5行目で戻ってくる。
「例えば」のあとには何らかの具体例が続くわけだけど、ここにどんな内容が来るかは、全く予測不可能なことである。
1〜3行目までは、わかる。なんとなく、流れでわかる。そして、5行目についても、なんとなく予測できる。
しかし、4行目の例示については、全く予測ができない。いきなり例示され、3行目と5行目のつながりを考えて、「あ、そういうことか」と腑に落ちる。
言うなれば、「例えば」と言われた後に、僕らは旅をしている。
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もう一つ、例を紹介する。aimerの「カタオモイ」という歌である。(公式のフル楽曲がありませんでした…泣く泣く以下のユーチューブを……)
この歌は、イントロもなく、いきなり「例えば」から始まる。
例えば君の顔に
昔よりシワが増えても
それでもいいんだ
「いや、何がいいんだよ?」と思う。いきなり「例えば」がくることによって、僕らは放り出される。
旅に出て、考える。
そして、次の言葉で、旅から帰ってくる。
僕がギターを思うように弾けなくなっても
心の歌は君で溢れているよ
ここまで聴いてきて、これは「僕」から「君」への切実なラブソングなのかもしれない、ということが理解されてくる。
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「例えば」という接続詞は、言わば「往復切符」であり、読者を旅に連れて行く。
僕は「例えば」が出てくるとワクワクする。どこへ連れて行ってくれるんだろう? と思ってしまう。
皆さんも、何かを読んでいて「例えば〜」と来たら、「あ、今旅しているんだな」と思ってほしいし、自分が「例えば〜」と使うときには、読者を旅行させてあげる気持ちでいてほしいな、とちょっぴり思う。
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