すべての人生は10代で終わってしまう
大人になるのがとても怖かった。
それは、僕が高校生の時、こんな言葉に出会ったからだ。
箭内道彦という、クリエイティブディレクターの言葉だった。
「すべての人生は10代で終わってしまう」
それは僕にとって、やけに悲しい響きを伴った。
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10代は、みな多感だ。
優れたアーティストに感化され、音楽を始める。ワールドカップのゴールシーンを見て、自分の輝かしい将来を夢見る。
自分はスーパースターになれるかもしれない、と根拠のない自信を持つ。もう一方で、自分は何者でもなかったのだ、と現実を見せつけられる。
そんなシーソーゲームを繰り返しながら、それでも自分は成長している、そう信じることによって、人はなんとか10代を生きていく。
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10代最後の日、つまり20歳の誕生日の前日、僕は、絶望した。
部活動や受験という、それなりのタフネスを乗り越えた。人並みに、恋愛も経験した。
あるいは、近しい人が死別した。心を引きちぎられるような辛い思いをし、挫折を味わった。
そういう風に、アップサイドもダウンサイドも含め、一周したのだと理解した。つまり、人生はこれで終わったのだ、そう悟った。
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僕は、二十歳になった。
合法的にお酒を飲めるようになったほかは、取り立てて重要なトピックはないように思えた。
世界は、これまで経験してきたことの繰り返しだった。
アーティストにも、サッカー選手にも、自分はなれないのだと気がついた。好きになった人と付き合えることもあったが、最終的には振られてしまった。
自分は何がしたいのか、分からなかった。そのような状況の中、大学生の僕は、将来の進路もよく分からずにいた。
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そんな時、僕は、とあるアーティストのライブに行ける機会に恵まれた。
一番好きなバンドだった、Mr.Childrenのライブだ。
生まれて初めてのMr.Childrenのライブは、圧巻のクオリティだった。
最後の演奏が終わった後、観客から拍手が生まれた。それは、ただの拍手ではなかった。一定のリズムを保ち、何かの登場を待ち望むかのような、そんな拍手だった。
そう、それは、アンコールへの布石だった。
その後、一度、舞台袖に下がっていたバンドメンバーが、衣装替えをして登場した。
アンコールは、ただただ素晴らしかった。
彼らは、その日一番の出来の、最高の演奏をした。
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僕はあることを知った。
アンコールは、それまでやってきたことの繰り返しではない。それは言わば、そのアーティストが最も輝く瞬間だ。つまり、そのアーティストの、ハイライトだ。
そのことに気がついた時、僕は、箭内道彦の言葉の真の意味を、理解できたような気がした。
すべての人生は十代で終わってしまうんだと僕は思う。
それぞれにあの頃の自分を肯定したり否定したり、その後の長い長いアンコールを生きてゆく。
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就職先が決まって、社会人として働き始めた。大失恋をしたあと、結婚した。
人生は、ただの繰り返しではなかった。新しいライフイベントが起こり、自分のハイライトが次々と更新されていった。
20代以降の人生は、アンコールだ。
そんなアンコールを生きていくことが大人になることなのだ、僕は、そう実感した。それは、案外、悪くないことだった。
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あなたは今、何歳だろうか。
たしかに10代で、人生は終わってしまうのかもしれない。でも、何かが終わるということは、同時に何かが始まるということだ。
一度人生が終わった後、その先には、素晴らしいアンコールが待っている。
僕の目の前にも、まだまだ先の長い、目の眩むようなアンコールが続いている。
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