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1.17のつどい現地ルポ つどった報道関係者たち

 昨年の1月17日の早朝はベッドの中にいた。起きて寝過ごしたと分かったとき少しバツが悪かったことを覚えている。今年はどうしようかと、悶々としているうちに、結局1月16日の夜になっていた。

 初めて「1.17のつどい」の会場に行ったとき、報道陣の数に驚いた。そのときは学生新聞の記者として写真を撮ったのだが、祈る人を撮る罪悪感と同時に、真摯な参列者の姿を見て撮るべき瞬間だとも感じた。

 今年はどうしようか。行ってもできることなどないだろう、と思う反面何もしないよりはマシだとも思う。夜21時半。とりあえず東遊園地に行こう、と思い立ちカメラと三脚を担いで家を出た。

「つどい」への道中

 日付が変わるかどうか、という三ノ宮駅前は、飲み会終わりのサラリーマンや若者、赤色灯を光らせる消防車や警察車両数台(誤報だったらしい)の姿があり、にぎわいがある。

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(三ノ宮駅前。北側の山には1.17の文字が光る)

 駅近のネットカフェで仮眠を取り、朝4時過ぎに出た。つどいが行われる東遊園地に近づくと、同じ方向に歩く人が増えてくる。ビルの窓の明かりで作られた「1.17」が見えてきた。

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「つどい」直前

 4時半ごろの会場は人がまばらで、参列者よりもカメラマンや記者が多いと思われる。東遊園地の北側にはテレビのロケスタッフが集まり、南側にはトラックの中継車が並んでいた。

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 筆者のような個人のカメラマンもちらほらと見かける。プロかどうか見分けるのには、腕章やカメラの台数が基準となる。写真記者などは必ず2台以上持っており、コンパクトな広角レンズに加えて、やたら長い望遠レンズなどは基本装備だ。

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 5時直前、会場内にある「希望の灯り」は記者や参列者の人混みができていた。5時を過ぎて、「希望の灯り」から火が分けられ、配られたロウソクを持つ参列者によって「きざむ 1.17」を形作る竹灯籠に火が灯された。

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(「希望の灯り」を囲む報道陣と周囲の様子)

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(ロウソクで火を分け合う学生ら)

 カメラマンの出番だ。5時過ぎはまだ暗いが、火を灯すときに人の顔が照らし出され、暗闇に浮かび上がるところをカメラマンは狙う。子どもや若い世代が灯す瞬間、手を合わせる人の顔、竹灯籠に書かれた文字、あらゆる要素を写真に詰め込む。竹灯籠の前に陣取れば、反対側の人の顔、横で灯す人を並んだ竹灯籠と共に撮れる。

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(竹灯籠と火を前ボケにし、奥行きも持たせて灯す人を強調する)

追悼の瞬間に

 5時半を過ぎて辺りを見ると人で埋め尽くされていた。移動もままならないので、手近な場所に三脚を置いて試し撮りをする。テレビカメラはすでにベストポジションを確保していた。

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 5時46分の時報が鳴り、黙とうが始まった。ライトが一部消され、人混みがすっと静かになる。カメラマンのシャッターの音が鳴る。筆者もシャッターを切る。15秒の長時間露光だ。

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(どちらも5時46分の黙とう中。15秒間露光)

 シャッターが開いている間に被写体が動けば、その残像ごと一枚の写真に収まる。歩いている人だと、2秒間もシャッターを開けると人の形が分からない。だが、この黙とうの時間、15秒間シャッターを開けていても人の形がはっきりと写った。そんな時間だった。黙とう中、ある大阪の女子大学生は、大阪で同じような震災があり、追悼集会が行われている光景を想像した。その時自分は何を思うのだろうか、と考えたという。

報道と祈り

 黙とうが終わり、今度は記者による参列者取材が本格化した。数メートルごとに誰かが新聞・テレビなど各社から取材を受けている。全国紙や地元紙はもちろん、東北の地方紙の腕章も見かけた。

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 火を灯す2人組の女子学生を数メートルほどの距離から5人ほどがカメラを向けている。傍から見ると異様な光景だ。女子学生の方も気にしていないのでカメラマンはじっくりと撮影している。震災から年月が経ち、震災を知らない世代が増えていく中で、やはり若い世代が訪れていることはニュースバリューになる。

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 筆者が初めて東遊園地に訪れた時、ボランティアの女性が竹灯籠の側にいる報道陣を見て「ここはそういうことをするところではないと思うんです」と呼びかけるように話していた。初めて訪れる人などは、やはり報道陣の数に驚くだろう。そして、祈る人にカメラを向ける様に疑問を抱くかもしれない。「祈り」は通常人に見せるものではなく、プライベートな行為だ。Twitterでは、報道陣の取材を気にしてつどいに行かないというツイートもあった。

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(竹灯籠に火を灯す人。この後ビデオカメラで撮影していた)

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 一方で報道陣の数は、社会での注目度合いでもある。遠方にいる人、将来の人に、追悼集会の象徴的な場所の様子を伝える意義を否定することはできないだろう。新聞やテレビが全てを伝えられるわけではないが、必要な情報を分かりやすく伝えることは、やはり既存の大手メディアが長けている。震災から時間が経てばたつほど、「知らない人に伝える」ことの重要性は増していく。「静かな祈り」と「現場の報道」、「当事者」と「報道関係者」、これらの利害は時にぶつかる。だからこそ両者は理解し合うことが必要だ。加えて、経済活動でもある報道側にはそれなりのふるまいと工夫は求められるだろう。

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(カメラマンと参列者の間を通りにくそうにする参列者)

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(ある地方紙記者の取材風景。この日見た一番の笑顔だった)

 筆者は本稿と筆者のSNSで、現場の様子をわずかながら広めている。カメラマンやテレビ中継が多い場所で、被写体の邪魔をせず、拡散しても被写体の不利益はないと判断した。誰かが、震災について考えるきっかけになれば幸いだ。

(文・写真有賀光太)




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