夢なんてなくたっていいじゃない
TCS認定コーチのウスイです。
いきなりだけど聞いてみたい。
あなたに、夢はあるだろうか?
今だったら
・インフルエンサーになりたい
・本を出版したい
・〇〇に別荘が欲しい、移住したい
・ハワイに住みたい
・起業したい
など、比較的具体的なものから
・いじめをなくしたい
・日本一の〇〇になる
といった、ある程度、基準が曖昧で抽象度の高い夢もある。
いずれも、非常に素敵なものだと思う。
目指す何かがある、というのはそれだけで尊いものだからだ。
一方で、僕はこう比較的長い間こう思ってきた。
・夢…ない…
その昔、僕はJリーガーを目指すサッカー小僧だった。
三浦知良選手のハットトリックを国立競技場で目の当たりにし、そのかっこよさに魅せられた。
ポジションはゴールキーパーだったが、その後、川口能活という、スーパーヒーローが登場し、中学3年まで、僕は本気で目指していたし、夢であると公言すらしていた。
なれるとも思ってた。
そして、意気揚々と地元Jクラブのユースセレクションに応募、地域の猛者どもが一同に会して己のスキルをぶつけ合う。
つぶれた。
もう、粉みじんになるまでに、完膚なきまでに「自分が下から数えたほうが早い」という現実を突きつけられた。
体格的にも、ここまで不利だったんだなって思われたし、なにより身体能力、スキル、何もかもが通用してなかった。
当然、落ちる。自分でも受けた瞬間にわかった。
この瞬間に、僕にとってサッカーは楽しいものであり、ずっと続けていきたいことだけど、夢とは呼べないものになった。
それからだ。
僕は、堂々と「夢」と言えることを持てなくなっていった。
そのことに、少なからず焦りを覚えたし、「それじゃいけない」とも長いこと思っていた。
なんとなく世間の風潮として、「夢」を押す時期があったじゃないですか。
〇〇テレビとか。
だから、自分をなんとなく偽る。
夢っぽいことを掲げ、目指してはみるけれど途中で挫折する。
夢がないことは、僕にとってはある種のコンプレックスだったんだろうね。
だから、昨日今日くらいでTwitterで沸いていた夢についての祭りも、なんとなく引いた目線で見てしまっていて、当然参加もしない。
なぜなら、明確に「これが夢だ」と言えることがやっぱり特にないからだ。
そして、今は堂々と「それでいい」と言える。
もし、ぼくと同じように「夢がなくてなんとなく居心地が悪かった」と思っていたとすれば安心してほしい。
べつにそれでいいじゃない。
ただ、だ。
世の中の変化はえげつないほどに早い。
昨日今日レベルだとわかりにくいけれど、ある程度期間を区切ってみると、人の動きもだし、世の中に提供されるものもかなりの変化をしていることが分かる。
そういう世界なのだから、むしろ、変化に対して柔軟であれるほうが強いだろう。
一個の具体的な夢を持ち、突き詰めるのもすばらしい。
だが、それが自分自身による義務に変化してしまったらどうだろう。それが楽しいだろうか。エンターテインメントだろうか。
「イエス」と言えるならそのまま突き進めばいい。
でももし、ノーだというのなら、別にこだわる必要はない。
それは、もはやブレないというより執着していると言えるからだ。
ただ、変化が激しいからこそ、自分がどこに向かうのかは明確にしておきたい。
つまり、自分でエンターテインメントだと、魅力的だと感じられる目標を持っておくこと。
そして、それは全然変化を許容していいものだ。
具体レベルでみると、変化したら「ブレ」に映るかもしれないが、僕自身は「自分が明るくあれる生き方を選択する」というあり方を体現できればそれでいいと思っている。
いわばこれは志だ。
ブレないのはこの軸であり、表面的に「何をするか」「何になるか」ではない。
その志を体現するために、今自分が目指したいと思っているところを純粋に目指してみればいい。それは夢という壮大なものでなくてもいい。
数字でもって具体的にもっておいたっていい。
そのプロセスを楽しみ、実現した結果に感動できるのならば、それは誰のものでもない、あなただけの魅力的な目標と言える。
ぼくらは、本当に激動の時代を生きていると思う。
そういう時代を生きるためには、変化に対応すること。
変化に対応するためにこそ、自分を超えるための目標は持っておくこと。
夢じゃなくていい。
自分を成長させ、楽しくさせてくれる目標をつくろうではないか。
TCS認定コーチ。企業でがんばる主体的サラリーマンを応援する者です。