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親友のお母さんの最後に、コンパッションの力を借りて今までの感謝が言えた話


「会長」から届いたメッセージ

2024年の2月。
大阪に住んでいる親友からメッセージがLINEで届いた。
2年ぶりのメッセージだった。

「永野護デザイン展にいかないの?」

永野護とは、漫画家、メカニック・デザイナー。
「終わらないマンガ」として知られた「ファイブスター物語」の作者だ。

私は中学時代から、このSFマンガにハマり、ファンになって30年以上。
高校で知り合った親友に布教、入信してもらい、その後、2人で10年近く「サークル誌」を作っていたのだった。

サークル誌とは、ファンが集まって作る、二次創作の雑誌のこと。

サークル誌の会長は親友がつとめ、私は副会長だった。

「うわー、懐かしい」
最近は仕事に追われ、ファイブスター物語のことを思い出すことも少なくなっていた。

デザイン展をやるという情報に驚き、胸のときめきを覚えたけど、少し興味が薄くなっている自分もいて、「家から遠いから、ちょっと難しいわ〜」と会長に返事をした。

会長からは「大阪に帰って来たら遊ぼうね」と返信が来て、久しびさのやり取りは、あっさり終わったのだった。

胸騒ぎ

その日の夜だった。
胸に不思議なざわつきが起きた。
「なんで会長は連絡をくれたのだろう?」
なんだか、永野護デザイン展のことだけではない気がした。
理由はなく、直感としか言いようがない。

「もし…デザイン展のことだけではなかったとしたら、何だろうか?」

リラックスしようとする時、「うーん」と言葉を発しながら、手を伸ばして体を緩ませる時があると思う。
あんなふうに、頭の中で「うーん」と言いながら、意識の端を手のように伸ばしてみた。

意識の手を伸ばして掴んだのは、「そういえば、おばさんがガンのステージ4だって2、3年前に言っていたな」ということ。おばさんと言うのは、会長のお母さんだ。最後にお会いしたのは、会長の結婚式だったから、もう20年は会っていないことになる。

「甲状腺癌が骨転移したけど、まだまだ大丈夫」
そんな話を聞いていた。

嫌な予感がした。
まさか、お加減が悪いのか。
聞いてみたいけど、どうしよう。


お世話になった思い出

ここからすごく悩んだ。
「体調のことを聞いて、失礼に思われたらどうしよう」
「もし本当に体調が悪かったら、なんて言っていいかわからない」
「でも、気になる」
心の中で、上の言葉がぐるぐる回る。

人の生き死にに関わることは、とても繊細なことで、うっかりと触ってはいけないことなように感じる自分がいた。
本当に必要なことだったら、会長自ら、伝えてくれることだとも思った。

仕事も忙しいし…と思っているうちに、あっという間に日が経っていった。



そのまま、2週間経ったけど、まだ言えなかった。
逆に、2週間もなぜ忘れられないのだろう?
自分にそう、優しく聞いてみる。



サークル誌は会長が住む実家で、2ヶ月に1回、作っていた。

25年前はSNSがないので、同じ作品を好きな人たちを紙の雑誌で会員を募集していた。ものすごいアナログだ。

集まった会員に、ファイブスター物語のイラストやマンガ、小説を書いてもらい、手作業で紙に貼り付け、編集をしていく。(印刷は業者に依頼する)

といっても、会長がめちゃくちゃしっかり者なので、私が家にお邪魔する時には、すでにほとんど出来上がっている。

副会長の私は、ペンネームを(ギャグのつもりで)男性名でやっていた。オフ会で女子だとわかったら面白いだろう、というイタズラ心だ。

休日、会長、私、会員からのゲストが集まり、すべての作品の感想を書く。
1作品につき、ほんの2、3行だが、数が多いので、午前から初めて、座りっぱなしで、ずっと夜までやっていて、腰と肩がバキバキになる。

ペンだこがヘニャヘニャになり、手首が痛み出し、疲れ切った頃に、おばさんが「ご飯ができたよ〜。食べなさい」と声をかけてくれるのだ。

3階の会長の部屋で作業していた私たちが、座りっぱなしの足をさすりながら2階に降りていくと、おばさんが温かい湯気が出る料理が並ベて、待っていてくれた。

雑誌づくりなど、怪くてしょうがなかったと思うが、それには触れず、優しいおっとりした口調で、おばさんは話しかけてくれる。ゆっくり話す人で、それが余計に優しそうに見えた。

お料理教室に通っていて、作ってくれたものは、どれもすごくおいしかった。特に私が好きだったのは煮込みハンバーグだ。我が家では出てきたことがない料理だったので、「ハンバーグが煮込まれて、ソースの味が染み込んでいる」ことに衝撃を受け、すごい勢いで食べていたと思う。

もう30年も前なので、何を話したのか細かいことは覚えてないのだけれど、お料理の温かさ、美味しさ、おばさんが作った手芸が飾られたリビングが持つ安心感、アットホームな雰囲気、全てが心地よかった。

肩の力を抜いて、自分らしくいられる空間だったのだと思う。

我が家は、食事の時に全然会話がない家で、ちょっと羨ましかったなぁ、という気持ちを思い出した。


思えば、私はおばさんに見守られていた。
その時は気づいていなかったけれど、優しく気遣われていたのだ。

そこまで考えると、胸が感謝でいっぱいになって涙が流れた。
私、自分1人で大人になったワケじゃないんだな、って。


わかった真実

それに気づいて、もし、おばさんに何かあったなら、尚更今伝えたほうがいい。そう思って、勇気を振り絞って、会長に「おばさんは元気なの?」とLINEしてみた。
もう2週間も経っていたから、改めての気合いが必要だった。

帰ってきたのは






悲しいお知らせだった。






私の心に、やっぱり、という気持ちと悲しみが出てきたのと同時に「なんかうまい返しを言わなきゃ」という気持ちも出てくるのを感じる。

「でも『うまく』とか、そういうの、今は必要ないよね。今は、自分の『心』や『気持ち』を伝えたいんだよね」、と優しく自分に言って落ち着かせながら、おばさんに優しくしてもらったこと、すごくお料理が美味しかったこと、痛みがちょっとでも少なく済むよう祈っていることを伝えた。
本当に素直に、思っていことだけを伝えられたと思う。



大切なタイミングを逃さないように

会長からは「お母さんの料理を覚えてくれていてありがとう」「寝る前にブルーな話でごめん」と、返信がきて、「おばさんの子どものあんたもいい子だよ(泣)」と心の中で思わず言ってしまった。

さらに翌日、会長は、施設にいるおばさんのお見舞いに行って、2人で撮った写真も送ってくれた。この日は、おばさんは、思っていたよりも体調は良かったみたいだ。
素敵な笑顔で2人は映っている。

私のメッセージも「伝えたら喜んでたよ」とのこと。
受け取ってもらえてうれしい。温かいものが心に広がる。
勇気を出して、改めて会長にLINEを送って良かった。




おばさんは、その後、7月に亡くなった。
今頃は、天国で美味しい料理を優しい笑顔で振る舞っていらっしゃることと思う。



2月のあの時、会長におばさんの体調を質問して本当に良かったし、自分が本当に思っている気持ちを素直に伝えられて良かった。

「感謝を相手が受け取ってくれた」という思い出。
心と心が交差した感覚は、とても温かった。
「私は見守ってもらっていた」という思い出と共に、これからの私を支え続けてくれる気がしている。(何より、伝えてくれた会長にも感謝)


エピローグ

私は、自分自身のことをとても不器用に思っている。
私が大切に思っている人(会長)が、自分の大切な人を喪いそうになって傷ついている姿を知るのは、とても怖いことだし、私が何の役にも立たないことを知ったり、あるいは、変なことを言ってしまって、もっと傷つける可能性があることが怖かった。

昔の私であれば、声を出す勇気もなかったし、それ以前に「なんか変だな」と思うアンテナも持ってなかったに違いない。
ここ数年続けていた、コンパッションの学びが、思いやりを発揮する場面をキャッチする感受性を育てくれ、「私がどういう人でありたいのか」、決意を思い出せてくれた。

私は、私が大切だと思う人に思いやりを送れる人でありたい。

そのことを思い起こさせてくれたコンパッション、そのものにも感謝したい。



この物語は、コンパッション・マインド・トレーニングを主催している三神良子、植田早紀と、受講生たちのnoteアドベント企画です。
この記事は、

テーマ
「コンパッションとわたし」

で書かせていただきました。

『#コンパッションアドベント2024』でnoteやXで毎日投稿しています。

また、下記マガジンをフォローしてくださると、まとまって読めますのでぜひ!

最後に。
参加してくれたみんな、ありがとう。みんなの思いやりがつながりました。

読んでくださった皆さまへ、このクリスマスの日に、思いやりという贈り物が届くよう祈っています🎄🎅💝

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