「勝浦川」その5.アカシアの木
喜平は、一本の幼木を手にぶら下げて帰ってきた。
喜平は「アカシアの木」だと言った。
喜平が、どうして「アカシアの木」を持ち帰ったのか言わなかったが、その木を山の墓の傍らに植えた。
台湾視察のことを村人たちにどう説明したのか、台湾でなにを見たのか家族に語ることはなかった。
結局、移住を実行しなかったのだから、それだけの理由があったのだろうと家族は思った。
墓の傍らに植えた「アカシアの木」は初夏になると総状の白い花を咲かせた。
北原白秋が「この道」に描いたアカシアの花は、北海道札幌の街路樹だと謂われているが、その花は白かったはずだ。
白い花を咲かせるのは、不名誉な名だが「ニセアカシア」のことである。
北米原産で明治のはじめに渡来した。
本来、「アカシア」といえば、オーストラリア原産の「房アカシア」や「銀葉アカシア」を指すが、これらのアカシアの花はいずれも黄色い。
台湾にも台湾原産の「台湾アカシア」がある。「相思樹(そうしじゅ)」という魅惑的な別名をもっているのだが、この「台湾アカシア(相思樹)」も花は黄色い。
では、台湾へ行ってきたという喜平が持ち帰った「アカシアの木」が何故白い花を咲かせたのだろうか?
喜平は、黄色い花を咲かせると思って持ち帰ったのかもしれない。
喜平は、台湾移住の話をしなくなった。
そのかわり、喜平が熱心に調べはじめたことがある。
それは、元・徳島藩の藩有林だった山の値段についてだった。