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『望んでいるのに、望んでいないことにしていること』について考える 

今朝、つらつらとモーニング・ぺージを書きながら、

わたしって
「望んでいるのに、望んでいないことにしてること」がまだまだあるのかもね、

と、ふと思った。


こうしたい、とか
こうなりたい、とか

言うことはもちろん、
思うことも自分に許せていないことが。


といっても、ここにいたるまでも過程があった。

以前のわたしは、
今思えば、
(ほんとうのところは)「望んでいるわけではないものを、望んでいること」にして生きてきていたと思う。


とはいえ、それはそれで
“あのころはほんとうに望んでいたもの”
ではあったんですけどね。


だって、自分を支えるために必要だったのだから。


ややこしいですよね。。
(自分で書きながらもややこしい...)

そしてわかりにくいですよね。。


どうしてそれを望んでいたのか
=なんで自分を支えなければいけなかったのか、ってところから書いていくと、



以前のわたしは
自分のことをちっとも認めることができなくて、
自分の声を聴かず、自分を見ることもせず、
自分の中の自分を奥の方に閉じ込めて生きてきていたのですが、


それって、今思えば
ものすごーく不安定だったんですよね。


自分との対話を深め、
閉じ込めていた自分に気づき、
声が聞こえるようになったと思えたとき、

心から安堵したし癒されて、
それだけで自分の内側にこれまではなかった
軸がたったような気がした。



そこでわたしは
これまでがいかに不安定だったか、ということを
思い知りまして

不安定だったからこそ、外側に支えを求め、

たとえば肩書とか、評価とか、
なにかしらで外側を固めていないと
立っていられなかったんだな、ということにも気づいたのです。


そんな、その外側を固め支えるためのものが、

当時望んでいたものであって、必要だったもの。


それに気づいてからは
今まで必死で握りしめ、求め、望んできたものの
いくつかを手放してきて、


心も体もだんだんと軽くなったし、
ずいぶん生きやすくなったのです。


で、そんな今、


わたしはほんとうのところ
何を望んでいるのか、ということ。



今を悪いだなんて思ってない。
寧ろ、前よりずっといいと思えてる。



でも、さてここからどうするのか、
と考えると、

なんとなくもやもやするし、
詰まりがあるようにも思えて、、



ということは、
わたしにはまだ
こうなりたい、とまっすぐに思うことができていない
望みがあるのかも

というか、あるんだろうな、と…。



そう思うとき
まだまだわたしは
わたしの中の自分を癒す必要があるのかもしれないな、
と考えるのです。


あのとき、
自分の奥のほうにに閉じ込めていた自分に出会えたとき、そこにいたわたしは暗いところで膝をかかえていた。


そこに手をのばし、
これまでごめんねっていって、

これからはもう、
手を取り合って生きていくって決めたあの日から
自分との対話を重ねてきたつもりだけれど、



そのわたしは
自分のほんとうの望みを口にすることができるくらい
元気になれたのかな、というと、

まだまだ癒しが必要なのかもしれない。

もっともっと栄養が必要なのかもしれない、と。


じゃあどうしたらいい?って考える。


そうだなぁ。。


少しずつ、根気強く
癒していくしかないんだろうな。


だいじょうぶだよ、って
繰り返し自分に伝え、

自分や周りの声からもらう肯定的な声を
はねのけることなく受取って、受け入れて


内側の自分が癒され、
前をみることができるように。


 今だって幸せだけど、
 もっともっと幸せにもなっていいって、
 信じることができるように。


 もっともっと望んでいいって、
 自分に許可がだせるように。


 怖がらずに、「そうなりたい」って
 自分の望みをまっすくにいえるようになるように。



そうやって
わたしはわたしの世界を
これからも少しずつ、
広げていくことができるんだろう、と
考えた一日。



**

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