もしかしたらわたしは、大きな勘違いをしてきたのかもしれない、と思った話
こどものころからずっと、
親に心を寄せてもらう、ということを
あまり期待せずに生きてきた。
大人になってから
歩み寄ろうと思ったことも何度かあったけど、
そのたび少しずつ傷ついて、
「やっぱり無理なのだ」と思ったし、
そういうものだということにしよう、
と、あきらめてきた。
そうやってあきらめることで
適度な距離感で関係を保ってこれた、
というところはあったと思う。
これまでのそんないろいろ、
全部含めて自分の感情に向き合い、
自分を癒すことができたと思えたのは
わりと最近のはなしで、
それとともに、
これまで大きく心を占めていた
親に対するモヤモヤも小さくなったし
それに悩むこともなくなってはきたのだけど、
父や母に対する気持ちそのものが
大きく変わったか、というと、、
そういうわけではなかったのかもしれない。
つまり、
「そういうものだ」
ということにしたままだったのだ。
*
それが、
「あれ?
もしかしたらわたしはこれまで、
勘違いをしてきたのかもしれない」
と思ってはっとしたのは先月の話だ。
母と電話で話していたときに、
わたしの娘(母にとっては孫)を心から心配し、
心を寄せていることが感じられたこと、
それがきっかけだった。
「孫ってやっぱりかわいいんだね」
といえばそうなのだけど、
これまでの数々のできごとから、
孫に対してもドライというか、、
あぁやっぱりそんな感じだよね、
と思うことが重なり、
彼らの祖父母としての関わりについてもまた、
そういうものだ、と
あきらめることにしていたのだと思う。
(といっても、もちろん孫に会えれば嬉しそうだし、わたしの娘たちとの関係は良好。
ちなみにわたし自身も親との関係が
超悪いわけではない)
だから意外だったのだ。
そんな母が、
100%、
孫を思い、心配し、電話口で声を詰まらせ、
涙声にさえなっているということが。
え、なにこれ、と思ってしまうくらい、
ちょっと驚いた。
いつも自分たちのことがいちばんな人たちだと
思ってきたから。
そして胸がいっぱいになった。
娘(孫)の存在、そのものに心を寄せている、
そんな母の様子は、
わたしがこどもだったころ、
そうであってほしいと願った母の姿だったから。
それで思ったのだ。
「もしかしたらわたしは、
大きな勘違いをしてきたのかもしれない」と。
子どものときから、
父も母も、わたしのために心を寄せることはないのだと思っていた。
父はスーパー無関心だったし、
母は自分の不満にいっぱいいっぱいで、
わたしに期待することがあっても
どうせ全部自分たちのためだと思っていた。
自分のプライドのため。
自分の安心のため。
わたしのために
喜んだり、心を痛めたりするわけではないと。
そう思うようになったきっかけとなる
いくつかの出来事は、確かにあった。
でも、そうでないときも
あったのではないか、
そんな想いがよぎった。
例えば
あのときも、
あのときも、
もしかしたら
ちゃんとわたしを思っていたのかもしれない。
それなのに、
それをみないことにして、
信じないようにしたのは、
わたしだったのかもしれない。
もうがっかりしたくなくて
傷つきたくなかったから。
そう思うと、
無意識にも
母との関わりにおいてフィルターをかけたのは、
ほかでもない、
わたしだったのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら
過ごしてきた数週間だった。
*
それで、
きのうは娘に嬉しい知らせがあり、
心配してくれていた母に連絡したんだけど、
そしたら
母は泣いて喜んだ。
父も喜んで、
電話口に出てきた。
父と電話で話したのは
いったい何年ぶりだっただろう。。
そんな父と母の様子がとても嬉しくて、
なんだかじーんとして、
会いたい、と思った。
そう思ってる自分が新鮮だった。
実家を出て、離れて暮らすようになって
20年くらいたつのかな。
実家に行かなくちゃ、
と思い向かうことはもちろんあったけど、
母や父に、会いたい、と心から思ったのは
なんと、、
もしかしたら、
はじめてだったかもしれない。。
それに気づいて思った。
会えるうちに「会いたい」って思えて
よかった、と。
ほんとうによかった、と思う。
状況が落ち着いたら
ゆっくり顔をみにいこう。
もっとちゃんと、話もしよう。
会ったら会ったでまた、
やっぱりだめだこりゃ。。
と思うのかもしれないけどね。笑
だけど、それでもわたしは、
『会いたい、と思えた』
そのことが、
なんとなくこれからも、
支えになりそうな気がしてる^^
なにはともあれ、
前より今がずっといい、
そう思えてるのは間違いない。
それはとても嬉しいことだ。
***
***