「こうなったらいいな」が叶う未来を、”信じて”描く
ひそかに「こうなったらいいな」と
思ってることがあるのですけどね。
ずーーーーっと思ってるくせに
そのための行動をなかなか起こせずにいて、
なんでなんだろう、って
それまたずっと、考えていたのです。
・やりたいやりたい詐欺(←なにそれ笑)的な
この状態を、なんとかしたいし、なんとかしなきゃと思う気持ちは確かにある
・それでもわたしは動かずにいる。
これにはなにか理由があるのだろう。
なんて、他人ごとのようにw考えた結果、
さてはわたし、
結局このままでいるほうが都合が良いのでは?
つまり、夢を夢にしておきたいのか?
というところに考え至ったのですけど。
言い方を変えるなら
ほんとうはこうなったらいいなぁと
思えなくなるのがこわい。
で。
それを突き詰めると、
「できなかった」と思うのがこわい、
に行き着いて、
あぁそう思ってたのね、わたし、
と納得しかけたのだけど。
いやいや、待て待て。
わたし、「できなかったバージョン」で
考えすぎてやしないか?
とはっとしたのです。
こうなったらいいな、といいながら、
無意識にも”そうはならないこと”を前提と
しちゃっていることに、、
我ながらびっくり。。
こんなふうに潜在意識が働いてしまっていたら
できるかもしれないことも
うまくいくかもしれないことも
そうはいかないわ。。と。
なんでそうなったかって考えてみたのです。
わたしは過去に
「こうなったらいいな」を
「できなかった」で終えたことは経験している。
それはわたしにとっては既知のこと。
そしてそれをわたしは
「うまくはいかなかったけど
“やってよかったこと”」として肯定している。
だってやってみなければわからなかったから。
そういう背景もあり、
なんとなくわたしは、
やりたいことに踏み切る先に
前と同じような結果になることを
イメージしてしまっていたのかもしれない。無意識にもね。
「ずっとやりたかったこと」を
みつけたはいいけど、
叶う未来を現実的には描けていなくて、
「やれる」ということを
ほんとうには全然信じられていなかった、
ということに衝撃。。笑
あとは単純に
「怖い」という気持ちもあったんだろうな。
やってみたけどできなかった、という経験は
わたしにとって既知のことだけど(当たり前w)
いま、「こうなったらいいな」と描いている
未来は、経験したことがない未知のことだから。
いかに望んでいたことであっても、
未知なことは不安だし怖い。
だから進めなかった、ということも
あるかもしれない。
これに気づけたら、こっちのもんだ。
「怖かったんだね」
「でもだいじょうぶだよ」って
「できるよ、きっと」って。
何度だって自分に言って、
書き換えていったらいいのだ。
未知なことは誰にとっても不安だし怖い。
それでも進めるかどうか、は
その先にどれだけ希望を感じられているか、
だもんね。
(それだけではないけれど)
だから、
「こうなったらいいな」が叶う未来を
より現実的に、具体的に描こう。
「だいじょうぶだよ」って自分を安心させながら。
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今日は、ライティング・ライフ・プロジェクトの
考案者、みおさんが企画してくれた
ファシリテーターの皆さんとの研鑽クラスに参加した。
時間軸をずらしての
セッションワーク。
ちょうどいい機会だと思って、
ずっとひそかに思ってきた
『こうなったらいいな、が叶ったわたし』として
話を聞いてもらいました。
ちゃんとなりきれたかと、いうと自信がないのだけど。
楽しかったな。
ご一緒させていただいたみなさん
ありがとうございました!^^
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明朝で募集締め切らせていただきますね。
(満席になり次第クローズさせていただきます)
よかったら是非^^
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