当番活動の弊害
当番活動において、私はこれまで一人一役当番を採用してきました。子どもたち一人一人に責任感をもって自分の仕事に取り組んでもらうためです。また、自分の役割があることで学級への所属感を高める働きも期待していました。
ここで言う当番活動とは、学級になくてはならない必要な仕事を指していて、学級を盛り上げる係活動とは区別しています。
それぞれが当番活動を行うことで、学級の仕事が回るため、一定の効果はあります。たとえば、配り当番がいるおかげでスピーディーに配り物がいきわたります。時間割当番がいるおかげで、常にその日の時間割が可視化され、みんなが見通しをもって過ごすことができます。
しかし、私がずっと引っかかっていたことがあります。それは、学級になくてはならない必要な仕事はそんなにない。それなのに、必要と称して当番にしてしまっているものがたくさんあるということです。
整列当番は多くの学級で見かけますが、必要でしょうか。子どもたちは整列当番がいなくても並べるようになりますし、当番だから形式的に並ばせているといった感じがあります。
正直なところ、一人一役当番で割り当てるほどの本当に必要な当番などないと思います。だから結局、やらされ当番や形式的な当番の人が出てきます。
そして、やらないことを指摘し合ったり、必要感なく仕事したりすることになります。当番活動はどこかやって当然で、やらない・必要ないを見つけ出して指摘するものに陥りやすいというのが私の実感です。
とは言いながら、私もそういったことを感じつつ一人一役当番でやってきました。しかし、1年生を担任することになり、当番活動のあり方をきちんと変えようと思い立ちました。
最初、当番がまだ決まっていないとき、「誰か手伝ってくれる人?」と何気なく聞きました。そうすると、ほとんどの子が「やりたい!」と反応してくれました。しかも、何日経ってもこの意欲は下がることなく、むしろ高まる一方です。まさに主体的な姿です。
その時ふと、こんなにお手伝いに対して高い意欲をもっているのに、その意欲は当番活動によって失われてしまうのだと思いました。実際、1学期は一人一役当番をやってみたところ、想定通りの事態が起こりました。
称賛されるべき子どもたちの主体的な行動が、「◯◯くんが当番じゃないのにやっています」と言われてしまったり、「◯◯さんが全然当番をやってくれません」と指摘し合ったりする風土ができていました。
ここで当番活動のあり方を変える決心をし、2学期から改革に取り組みました。私が学級の子どもたちの実態からも適切だと考えたのは、「本当に必要な当番+ボランティア」というあり方です。
学期初めに、必要だと思う当番をみんなで出し合いました。その後、本当に必要かどうか吟味する時間を取りました。すると、次々と必要のない当番が見つかりました。理由も納得のいくものばかりで、自分でできるものは自分でやる。気づいた人がやる方が効果的なものは気づいた人がやる。1年生の子どもたちですが、こういった話し合いができるようになっています。
ちなみに、日直当番、給食当番、掃除当番は学年で統一していて、輪番制で全員が取り組む当番であるため、話し合いからは外しています。
出し合った当番の中で、本当に必要な当番として残ったのは、①おかわり当番②配り当番③黒板当番だけでした。しかも残った理由は、どれも当番を決めておかないとやりたい人が多すぎて喧嘩になるというものでした。
そのため、①②③だけやりたい人を募り当番化しました。でもあくまで主担当という位置付けで、その人がいなかったり忘れていたらボランティアの人がやってよいことにしました。
当番にならなかった人はどうするかですが、ボランティアとしてやりたいこと気づいたことをやるでいいと考えています。輪番制の当番はやっていますし、一日の中で班の◯番の人が集める等の仕事を散りばめています。そういった仕事に取り組んでいるのに、必要のない当番を無理につくり出してまでやらせても意味はあまりないと思っています。
そして何より、「本当に必要な当番+ボランティア」というあり方は、主体的な行動を認めることができ、感謝や暖かい学級風土を生み出します。また、教師の気づきや声かけも変わります。私は圧倒的にプラスのフィードバックが増えました。毎日、子どもたちにありがとうと伝える機会ができます。今の当番活動が上手くいっていなかったり、指摘し合うような風土ができたりしている場合は、当番活動のあり方を考え直すことをおすすめします。
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