「腹を割って話す」ということ
考えてみれば、つい最近まで、誰とも腹を割って話すということができない人間だった。
【腹を割って】
主に「腹を割って話す」という形で用いられ、隠すことなく全てをさらけ出すさま、本音をさらけ出して正直に話すことを意味する表現。(実用日本語表現辞典)
少し前までは、自分のダメなところを誰にも気づかれたくなくて、常に自分を偽っていた。他人に対してだけじゃなく、「自分がこんな人間のはずがない」と、自分自身に対しても嘘をついていたくらいだ。
でも最近は、我ながら少しずつ変わってきていると思う。少なくとも、自分自身に嘘をつくことはなくなってきた。
他人に対してカッコつけてしまうところは、今も依然としてある。特に、仲良くない人の前だと、「この人に嫌われたくない」という気持ちが勝り、自分を大きく見せてしまう。
そして、自分に対して嘘をつかなくなった分、以前に増して他人に吐く嘘に自覚的になり、嘘をついてしまったことに落ち込むようになった。
嘘を吐かずにありのままの自分を見せた方が良いことは、頭ではわかっているのだけど、自分をさらけ出すことの怖さを払拭することができていないのだ。
ただ、同居人にだけは、ありのままの自分をさらけ出せるようになってきたと思う。腹の中を見せるのは、家族にすらできなかったことだから、同居人をそれだけ信頼できているということなのだろう。
しかし時々、自分としては腹を割って話しているつもりだけど、ちゃんと相手にそれが伝わっているのかなと心配になることがある。
別に伝わっていなくても良いのだけど、今までやってこなかっただけに「腹を割るってこういうことで良いのかな?」と思うことがあるのだ。
そんな疑問を抱えている中、また同居人とお酒を飲みながら腹を割って話す機会があった。自分を偽らないように気をつけつつ、まだ言えそうにないことは無理して言わない、という方針を勝手にとって、いろんな話をした。
話が進んでいくうちに、なんとなく出会った頃の話になり、当初のお互いの印象とか、思っていたことなんかを話し始めた。
今の私は、同居人から見ると出会った頃とは全然違う人に見えるらしい。
同居人と出会った頃といえば、人間関係を築こうと、いちばん無理をしていた頃で、自分自身に対してたくさん嘘をついていた頃でもあった。
だから、その頃との私とは違って当然なのだけど、「あの頃よりいろんな話をしてくれるようになったよね」と言ってくれた。
まだ言えてないこともたくさんあるけど、同居人は、私が自分をさらけ出して話すようになったことに気づいてくれていたのだ。これはもう、「腹を割って話す」ということができていると言って良いんじゃないかなと思う。
人に隠し事をしないって、すごく楽だ。自分を偽っているときと比べて消耗して疲れてしまうことがないから。
無理して言いたくないことをいう必要はないけど、自分を大きく見せようとしたり、偽ったりすることは、これかもしないようにしたい。
これでさらに良い変化が起きてくれたら最高だ。
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