時は金なり


 今日は珍しく早起きである。
 仕事までまだ時間があるものの,もう一度寝ようなんて言い出したが最後,遅刻する予感しかしない。
 だからといって動画も見飽きてしまい,朝食も済ませた。着替えるにはまだ寒い。

 そこで久々に執筆してみようということになった。
 せっかく朝早く起きたので「早起きは三文の徳」と言う言葉からエッセイを書いてみることとする。

 時は金なり,とは昔からよく言ったものである。まあ時間はお金と同じくらい大事な物だということだ。自分もこの考えには異論はない。ただ,だからといって「無駄な時間を省こう。」「時間の使い方を見直そう。」という提言は鵜呑みには出来ない。
 なぜか。ぱっと見無駄に見える時間が本当に不要なものであるとは限らないからである。

 「何もしない時間」は実は大事であると様々なサイトでも言われている。ただこの文章は飽くまで本音を言うのが目的であるため,具体的な論文の出典を出すというよりはここでは実感をつらつら書いていこうと思う。

 日頃から自分はどうも脳の機能がバグっているのか,あれを思い出せばこれを忘れる,これをすればそれが抜けるという,まあなんとも仕様の悪い脳みそをしている。普段の生活ならやり直せばいいだけだが,仕事中にそれが発揮されるとたいそうやっかいだ。
 だから「思い出す」「整理する」ための時間はとても重要である。

 あと自分の実感だと人間は常に100%の体力,集中力では動けない。どこかで力を抜く,パワーを落とすなどしないと壊れてしまう。現にキャパオーバーする勢いで頑張った結果死にかけたことがある。

 例えば遺伝子においても大半は無駄な物,情報を持たない物と信じられていたのが近年無駄ではないことが研究において解明されつつあることが知られている。※1何もないとされた空間にも意味があったということのいいたとえ話になるだろう。
 このことからも「何もしない時」にも換金し切れないほどの価値があると思うのだ。

 だからどうするか。仕事が始まるまでの間つかれて動けないので何もせずゆっくり休もうと思う。このような「無」の時間にも体を休ませるという立派な価値があるのだ。

 
※1 Xing et al., Genome Res. 2013, 26:1516-1526

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